山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

◆支援者と被支援者・・・

2011年06月02日 | 災害
3月11日の震災からもうすぐ3ヶ月が経とうとしています。

4月の下旬に、障がいのある方で在宅の方の保護者の方々へ【今回のような災害があった場合の避難所利用について】のアンケートをメールで取らせていただきました。
※主に村山地方の方
回答してくださったのは、育成会会員の他、自閉症親の会、LDの会の会員の方々でした。ありがとうございました

避難所利用については、『命が一番だから避難所へ行きます』『なんとか行けると思う』という方もいらっしゃいましたが、多くの方は『避難所へは抵抗がある。障害を理解してもらえないと思うので躊躇する。他の方の迷惑になるのは解りきっているので行こうとおもわない。』という意見が大半でした。

そして、どのような条件なら避難所へいけるか?の質問には、大半の方が『家族ごとのスペースがあれば・体育館のような大勢の所ではなく、せめて公民館くらいの広さで、障がいを理解してくれる支援者がいればいける』というものでした。
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今回、アンケートに回答をしてくれた方のお1人と話をすることが出来ました。
その方のご主人は自衛隊に勤務していらっしゃり、当然被災地にも災害派遣ということで支援に行かれているということです。

このアンケートが来た時に、ちょっとした口論になったそうです。
アンケートの回答には、『避難所へ行ければいいのでしょうが、障害のある本人がそこで生活できるか、また、その健常なきょうだいが、他の避難者からどんな目で見られるかとかいろいろ考えてしまう。災害での気持ちの痛手もあるうえに、その他の心労は避けたいと思う所は大きい
との事でした。

ご主人は、障害がある子どもの父親としては、この気持ちは理解できる。と言ったそうですが、実際に支援する立場にある自衛隊の一員としては、避難所へ行って欲しい。
との意見だったそうです。
理由としては、避難所へ行けないからと、バラバラに生活していれば、その場所への支援も当然必要になる。

避難所へ行ってもらえば、一か所で支援活動をすれば済むところが、他の場所にも人力・労力が同じように掛かってしまうことになる。
ということだったそうです。

私たちは、自分の事、障害のある子どものことを一番に考えて(当然のことですが)支援してくれる人の事はあまり考えません。

自衛隊の方々は、避難所での炊き出しからお風呂の提供、がれき撤去をしながらの行方不明者の捜索・・・
数え切れないほどの仕事をされています。

がれきもまたまだ片付いていない所もおおいようですが、そこに遺体があるかも知れないので、重機での撤去はできないそうです。
それが仕事とはいえ、数か月もたった遺体は悲惨なもので、自衛隊員のメンタルケアも重要になっているようです。
被災した方々も、最初のころは支援してもらっている事に感謝もしてくれますが、家族が見つからない、先が見えない生活にいら立ち、ちょっと立ち止まっている自衛隊の方に「なにやっているんだ、早く仕事しろ!」と罵声をあびせる方もいらっしゃるそうです。

自衛隊の方も私たちと同じ、生身の人間です。
また、他にも社会福祉協議会の方や、いろいろな団体や個人の方も支援者として被災地で活動してくださっています。

この話を聞いたことで、片方からだけの意見だけで結論を出すことの危うさというものを思い知らされた感じがしました。

毎日(ケー)が「開けない夜はない」とブログにつづっていますが、本当に素晴らしい朝が来るように私たちは何をすれば良いのか、もう一度考える必要があるような気がしました(F)

#地震発生から84日目=「本人たちによる防災会議」④

2011年06月02日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から84日目(6月2日、木曜日)。
 また、大震災発生から84日目の新しい朝を迎えた。

 今日は「本人たちによる防災会議」(略称 本防災)④である。

 本防災準備として次のような本を購入した。
 「増補版 地震から子どもを守る50の方法」(2011年5月15日初版第3刷発行)
 著者 国崎信江
 発行所 (株)ブロンズ新社

 本防災を進める上で、参考になるのでないかと期待したのである。
 ハッとした箇所を引用する。

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【引用始め】

 防災を通して、生きることを学ぶ(p.148~p.150)

 「私たちは災害大国でありながら、防災発展途上国に住んでいる」という事実です。
 園、学校、家庭、自分たちの町、どこをとっても防災対策は万全ではありません。

 災害は特別な日に起こるのではなく、日常生活の延長線上に起こるもの。いつ何時、誰にでも襲いかかってくるものなのです。

 防災を難しく考えたり、かまえてかかる必要はありません。子育ての経験や主婦のアイディアは、そのまま防災につながっていきます。私が防災を続けてこられたのも、まさに主婦や母親のアイディアが、防災に役立つことの面白さを実感したから。
 命の大切さを考えるときに、私は亡くした家族のことを思い出します。子どもを亡くすこと、親を亡くすことがどんなにつらいか、言葉にあらわせるものではありません。それが納得のいく別れでなかった場合は、なおさらです。いい尽くせない悲しみ、一生癒されることのない心の傷を負わないためには、子どもを亡くさないこと、そして自分も死なないことなのです。
 震災によって心が疲れ、大切にしてきた生活、築いてきたものを失うと、人は傷つきます。でも、時を経て立ち向かう気持ちになったとき、それを克服することは可能です。
 しかし、自分の人生になくてはならない人を亡くしてしまったら、それは2度ととり戻すことはできないのです。かけがえのない人を失った悲しみを、一生背負って生きていかなくてはなりません。
 特に、子どもにとって親を亡くすことは、その後の人生も大きくかえてしまうほど重大なこと。そんな重荷をわが子に背負わせないためにも「親も子も生きて震災を乗りきるために防災対策」が必要なのです。
 いつくるかわからない恐怖に目をつぶってしまうより、立ちむかう姿勢を持つことが、家庭内の防災教育になるのだと、私は思っています。
 先日、東京で震度5強の地震があったとき、子どもたちは、私が何も言わずとも、テーブルの下にしっかりと逃げこんでいました。子どもは親のすることをよく見ています。自宅で行っている防災対策の一つひとつを見せていくこと、その環境で育てていくことが、防災教育になるんだと確信しています。
 防災対策には完璧も終わりもありません。

【引用終わり】

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 防災に完璧はないかもしれない。しかし、できる得る対策はこうじておく必要はある。
 そのために、本人たちによる防災会議を行うのである。
 自らの命をいかに守るかそれがポイントとなる。 
     
 ささやかな実践が生活の安心につながり、いざとなった時「明けない夜はない」という前向きな気持ちも持てることになる。
 (ケー)