山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

#地震発生から87日目=「本人たちによる防災会議」⑦

2011年06月05日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から87日目(6月5日、日曜日)。
 また、大震災発生から87日目の新しい朝を迎えた。

 今日は「本人たちによる防災会議」(略称 本防災)⑦である。
 
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 本防災準備のために次の本を購入した。

 「増補版 地震から子どもを守る50の方法」(2011年5月15日初版第3刷発行)
 著者 国崎信江
 発行所 (株)ブロンズ新社

 本防災を進める上で、参考になるハッとした箇所、なるほどと思った箇所を引用する。

【引用始め】

 震度7はどんな揺れ?

 もうあかん、これで死ぬのかと思った

 地鳴りに気づいて、子どもの上にかぶさった瞬間、ドーンとすごい衝撃で別べつに飛ばされた。ワッサワッサと家中が振りまわされた直後、壁から天井からなんだかわからないものが一気に落ちてきて、閉じこめられた。動こうにも、あまりの重さでびくともしない。もうあかん。これで死ぬのかと思った。そのとき、少し離れたところで子どもの声。
 「お母ちゃんのほうが、力、強いやろ。頑張って助けて」
 生きてたんや。頑張るしかない。とにかく明るいほうへ抜けでようと力をふりしぼって踏んばったら、スポンと顔と肩が出た。でもそれ以上は身動きできない。3時間後にようやく引っぱりだされ、続いて子どもも救出された。でも、隣の部屋に寝ていた私の妹はだめだった。途中まで苦しそうな声が聞こえていたのに・・・・・・。(阪神・淡路大震災)

 自宅近くのスーパーマーケットで被災

 近所の大型スーパーでレジに並んでいるときに、突然、ものすごい揺れが襲ってきました。
 とにかく立っていられなくて、子どもを抱えこんでしゃがみこむのが精一杯。陳列棚からは商品がバラバラと落ち、お酒のビンが次つぎに割れ、あたりに匂いが漂う。真っ暗な店内に、非常時のアラームが鳴りつづける不気味な状況に、一体これからどうなるんだろう?と不安がつのりました。
 エレベーターを無理矢理開いて、中の人を引きずりだすなどの異様な光景に、子どもたちは怯えた様子。
 主人が社員旅行中だったので、自分がしっかりしなくてはと思うのだけど、店員さんが誘導してくれるわけでもなく、戸惑うばかり。みんな、予想外の出来事に自分のことで精一杯という様子。自分で判断するしかないと思いました。
 家に帰ったとたん、下の子どもは緊張が重なったためか、ひどく吐いてしまい、しばらく止まりませんでした。
 それ以来、揺れを非常にこわがるようになり、そこへ行くとまた地震が起きると思うようで、発生から時間が経った今でも、被災したスパーマーケットに行きたがりません。(新潟県中越地震) 
 
【引用終わり】

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 震度7は部屋にいると食器や本が飛び出し、たんすや電化製品は生きもののように動くという。もちろん、立っていることができずしゃがみこんでしまう。
 私も今回の東日本大震災の揺れを経験した。山形県庁の7階会議室にいた。確かに揺れは大きく長かった。いつ終わるともない感じの揺れが続いた。長机につかまって、揺れに身を任せるしかなかった。山形市の震度は4と発表されている。
 山形気象台の観測計は地盤のしっかりしたところに設置されている。
 山形県庁も地盤はがっちりしたところに建てられている。
 山形市内でも他の地域に比べたら揺れはそれほどでもなかったのかもしれない。
 でも、7階だったし建物が大きくゆさぶられた。
 会議室には長机とイスしかない。あとは天井の蛍光灯が落ちてくる可能性はあったろう。幸い、机やイスがコントロールできないように、動きまわるということはなかった。

 大震災のとらえも、自分がそのときどこにいたかで、ずいぶんと印象が違っている。いずれにしても、今まで経験したことのない揺れだったことは確か。    
     
 この経験を次に備えて生かすことである。「明けない夜はない」とすぐに前向きになれるためにも。
 (ケー)