平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から84日目(6月2日、木曜日)。
また、大震災発生から84日目の新しい朝を迎えた。
今日は「本人たちによる防災会議」(略称 本防災)④である。
本防災準備として次のような本を購入した。
「増補版 地震から子どもを守る50の方法」(2011年5月15日初版第3刷発行)
著者 国崎信江
発行所 (株)ブロンズ新社
本防災を進める上で、参考になるのでないかと期待したのである。
ハッとした箇所を引用する。
************************************************
【引用始め】
防災を通して、生きることを学ぶ(p.148~p.150)
「私たちは災害大国でありながら、防災発展途上国に住んでいる」という事実です。
園、学校、家庭、自分たちの町、どこをとっても防災対策は万全ではありません。
災害は特別な日に起こるのではなく、日常生活の延長線上に起こるもの。いつ何時、誰にでも襲いかかってくるものなのです。
防災を難しく考えたり、かまえてかかる必要はありません。子育ての経験や主婦のアイディアは、そのまま防災につながっていきます。私が防災を続けてこられたのも、まさに主婦や母親のアイディアが、防災に役立つことの面白さを実感したから。
命の大切さを考えるときに、私は亡くした家族のことを思い出します。子どもを亡くすこと、親を亡くすことがどんなにつらいか、言葉にあらわせるものではありません。それが納得のいく別れでなかった場合は、なおさらです。いい尽くせない悲しみ、一生癒されることのない心の傷を負わないためには、子どもを亡くさないこと、そして自分も死なないことなのです。
震災によって心が疲れ、大切にしてきた生活、築いてきたものを失うと、人は傷つきます。でも、時を経て立ち向かう気持ちになったとき、それを克服することは可能です。
しかし、自分の人生になくてはならない人を亡くしてしまったら、それは2度ととり戻すことはできないのです。かけがえのない人を失った悲しみを、一生背負って生きていかなくてはなりません。
特に、子どもにとって親を亡くすことは、その後の人生も大きくかえてしまうほど重大なこと。そんな重荷をわが子に背負わせないためにも「親も子も生きて震災を乗りきるために防災対策」が必要なのです。
いつくるかわからない恐怖に目をつぶってしまうより、立ちむかう姿勢を持つことが、家庭内の防災教育になるのだと、私は思っています。
先日、東京で震度5強の地震があったとき、子どもたちは、私が何も言わずとも、テーブルの下にしっかりと逃げこんでいました。子どもは親のすることをよく見ています。自宅で行っている防災対策の一つひとつを見せていくこと、その環境で育てていくことが、防災教育になるんだと確信しています。
防災対策には完璧も終わりもありません。
【引用終わり】
************************************************
防災に完璧はないかもしれない。しかし、できる得る対策はこうじておく必要はある。
そのために、本人たちによる防災会議を行うのである。
自らの命をいかに守るかそれがポイントとなる。
ささやかな実践が生活の安心につながり、いざとなった時「明けない夜はない」という前向きな気持ちも持てることになる。
(ケー)
また、大震災発生から84日目の新しい朝を迎えた。
今日は「本人たちによる防災会議」(略称 本防災)④である。
本防災準備として次のような本を購入した。
「増補版 地震から子どもを守る50の方法」(2011年5月15日初版第3刷発行)
著者 国崎信江
発行所 (株)ブロンズ新社
本防災を進める上で、参考になるのでないかと期待したのである。
ハッとした箇所を引用する。
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【引用始め】
防災を通して、生きることを学ぶ(p.148~p.150)
「私たちは災害大国でありながら、防災発展途上国に住んでいる」という事実です。
園、学校、家庭、自分たちの町、どこをとっても防災対策は万全ではありません。
災害は特別な日に起こるのではなく、日常生活の延長線上に起こるもの。いつ何時、誰にでも襲いかかってくるものなのです。
防災を難しく考えたり、かまえてかかる必要はありません。子育ての経験や主婦のアイディアは、そのまま防災につながっていきます。私が防災を続けてこられたのも、まさに主婦や母親のアイディアが、防災に役立つことの面白さを実感したから。
命の大切さを考えるときに、私は亡くした家族のことを思い出します。子どもを亡くすこと、親を亡くすことがどんなにつらいか、言葉にあらわせるものではありません。それが納得のいく別れでなかった場合は、なおさらです。いい尽くせない悲しみ、一生癒されることのない心の傷を負わないためには、子どもを亡くさないこと、そして自分も死なないことなのです。
震災によって心が疲れ、大切にしてきた生活、築いてきたものを失うと、人は傷つきます。でも、時を経て立ち向かう気持ちになったとき、それを克服することは可能です。
しかし、自分の人生になくてはならない人を亡くしてしまったら、それは2度ととり戻すことはできないのです。かけがえのない人を失った悲しみを、一生背負って生きていかなくてはなりません。
特に、子どもにとって親を亡くすことは、その後の人生も大きくかえてしまうほど重大なこと。そんな重荷をわが子に背負わせないためにも「親も子も生きて震災を乗りきるために防災対策」が必要なのです。
いつくるかわからない恐怖に目をつぶってしまうより、立ちむかう姿勢を持つことが、家庭内の防災教育になるのだと、私は思っています。
先日、東京で震度5強の地震があったとき、子どもたちは、私が何も言わずとも、テーブルの下にしっかりと逃げこんでいました。子どもは親のすることをよく見ています。自宅で行っている防災対策の一つひとつを見せていくこと、その環境で育てていくことが、防災教育になるんだと確信しています。
防災対策には完璧も終わりもありません。
【引用終わり】
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防災に完璧はないかもしれない。しかし、できる得る対策はこうじておく必要はある。
そのために、本人たちによる防災会議を行うのである。
自らの命をいかに守るかそれがポイントとなる。
ささやかな実践が生活の安心につながり、いざとなった時「明けない夜はない」という前向きな気持ちも持てることになる。
(ケー)