混合性結合組織病と歩む

私は19歳の時(2010年)にMCTDを発病しました。

日常生活

2013-06-23 19:48:36 | 日記

この病気を患ってから気付いたこと、気をつけていること。

私は外の気温が25度を下回ると、レイノー現象で指先が白くなり始めます。

モールやスーパーの冷房だけでもレイノー現象が出ます。

体を冷やさないために、食事の際は氷抜きの水やドリンクを頼みます。

氷の入ったドリンクを持っているだけで、変色します。

本当に厄介です。

一番辛いのは、通学時です。

私は自転車で駅まで行っています。

家を出る前に薄い手袋をはめ、その上からスノーボード様の厚手のグローブをはめています。

ですが、外の気温には勝てず、二重手袋の中で指先は凍っています。

ジンジンして、感覚が分からないくらいです。

冬は毎朝手が凍傷寸前です。

医師からは絶対に冷やさないようにと念を何度も押されています。

指先が一度でも凍傷してしまうと、その進行を止められず、取り返しがつかなく、最後には指を切断しなければいけないと言われています。

駅までは自転車で10分なのだが、この10分がレイノー現象持ちの私にとってはかなりキツイです。

以前に一度友人と遊びに行った際に、昼食後の鎮痛剤を飲むのを怠ったときがありました。

夕食にファミレスに行くことになり、足裏の痛みが酷くなってきたので、だいぶ遅れてですが、鎮痛剤を飲みました。

ですが、その時には手遅れで、足を一歩も前に踏み出すことが出来ませんでした。

薬を飲まないことによって、自分が痛み耐えなければいけないだけでなく、周囲にも迷惑をかけてしまうので、その時に薬は欠かさないと決めました。

ほぼ歩けない状態でしたが、友人が私の荷物を全て持ってくれて、駅に着くと電車が大幅に遅れていました。

その遅れている間にさっき飲んだ薬が効いてくれて、電車が来たころには普通に歩けるようになっていました。

アルバイト続き

2013-06-23 19:20:39 | 日記

私は兼バイトで居酒屋の他に24時間営業のファミレスでアルバイトをしていました。

時間は午前6時~9時までです。

この時間に勤務したのは、時給が良かったからと、この時間帯は人材が不足していたからです。

出勤前に必ず鎮痛剤を飲んでいました。

勤務中は鎮痛剤のおかげで全く痛みはなく、勤務後に足がジーンと少しずつ痛みが出てくるという感じでした。

私は週に6日働いたり、連続で9日間働いた時もありました。

私がこれだけの期間連続で勤務出来たのは、1日3時間、残業をしても1日4時間しか働いていないからです。

たとえ勤務中の3時間が忙しくても、勤務後に家に帰って十分体を休めることが出来たからです。

私は店長に病気のことを告げて、勤務時間を3時間にしてもらっていました。

そのおかげで、2年間続けることが出来ました。

また職場の人にも恵まれ、このファミレスでのバイトは非常に価値あるものでした。

やはり病気持ちの人にとっては職場の上司の理解必要不可欠だと実感しました。

たまに、6時間勤務の時がありましたが、そのときは勤務開始から3、4時間後に鎮痛剤をもう1錠飲んでいました。

私は痛み出してから飲むのではなく、なんとなくもうすぐ痛み出すだろうと思われる少し前に毎回鎮痛剤を飲んでいました。

外の気温が下がると出勤前に必ずレイノー現象で指が白くなります。

寒さがマシな日は指先だけだが、寒さが増すにつれ、白色化が手の平全体に広がっていきました。

出勤したら先ずは指先を温めることから始めていました。

完全に色が戻る間もなく、お客さんに呼ばれてしまった場合はなるべく指先を隠していました。

変色した指先を見られることは非常に心苦しかったです。

変色した指先は氷のように冷たく、レジでお釣りを返す際は、なるべくお客さんの手に触れないように気をつけていました。

私はレイノー現象を少しでも緩和するために血管を広げる薬を服用しています。

その薬を飲んでからバイトに行くと、バイトで動き回るので、血管が余計に広がって血流が良くなって人より汗ばむこともありました。

アルバイト

2013-06-23 18:12:15 | 日記

混合性結合組織病は膠原病である。

発病原因が分からず、治療法も確立していません。

一生涯、薬と付き合っていかなければいけません。
と、医師から言われました。

2011年1月から私の第2の人生が始まりました。

私はドクターストップのため、地元の大学に進学することにしました。

編入学試験は9月に行われ、入学は翌年の4月です。

つまり、私は同期よりも1年遅れて卒業することになってしまいました。

病気にさえならなかったら、みんなと一緒に卒業することができ、一緒に社会人になれたのに...と悔しさがこみ上げてきます。

ですが、仕方ありません。病気は治らないとハッキリ言われましたから。

私はこの病気と向き合うことにしました。

まず何からすれば良いか分からず、とりあえず、居酒屋とファミレスでアルバイトを始めました。

お客さんからは、大学生!?と聞かれることが多くありました。

この時期、私は短大を卒業し、四大にまだ入学していません。また社会人でもありません。ニートでもありません。

私は本来であればアメリカの四大生だったのに、聞かれるたびに自分自身が誰だか分からず、辛かったです。

なので、聞かれた際はとりあえず、フリーターということにしていました。

居酒屋のアルバイトは非常に辛かったです。

居酒屋では18時~24時まで勤務していました。

手は相変わらずレイノー現象で白く変色して、温めると紫になり、赤く変わっていきました。

居酒屋の辛さは、お客さんが一気に飲み物を注文されることです。

他の学生は余裕で片手に5本ずつ生中を持って、お客さんのところまで運んでいましたが、私には重すぎて出来ませんでした。

トレイに飲み物を載せて運ぶときも、皆はトレイを手の平にしっかりとつけて運んでいたけど、私は指のこわばりのせいで、いつも手の平とトレイの間に隙間があり、もう片方の手でしっかりと支えていなければいけませんでした。

居酒屋は座敷だと、しゃがんで注文を取ったり、料理やドリンクを提供したりしていました。

ですが、私は関節痛で膝を曲げたり、正座をすることが出来ませんでした。

居酒屋はタバコを吸われるお客さんが大変多く、ニコチンを吸うとレイノー現象を悪化させてしまいます。

一度居酒屋でバイトしてみたいという思いから始めましたが、とことん相性が悪かったです。

3ヶ月後に病気を理由に辞めました。

この頃の関節痛は下半身がほとんどでした。

バイト前に必ず鎮痛剤を飲んでいました。

バイト中に薬の効果が切れることもたびたびありましたが、その時ように制服のポケットに鎮痛剤を入れておき、水分補給時にもう1錠飲んでやり過ごしていました。

2011/1 続き

2013-06-23 17:36:14 | 日記

病名が確定してからは、
1月~
プロサイリン20μg (1日3回)
ランソプラゾールOD 寝る前
リウマトレックス 2mg(1日2回)
プレドニゾロン1mg(1日3回)

2月~
プロサイリン20μg(1日3回)
ランソプラゾール寝る前
朝食後1回1錠↓
プレドニゾロン5mg
モービック10mg
ムコスタ100mg
ロキソニン60mg
ノイエルカプセル200mg

私は日本に一時帰国をして、成人式に出席をして、アメリカの大学に編入学をする予定でした。

ですが、混合性結合組織病だと判明し、月に一度通院をしなければいけないし、アメリカだと留学生というだけで現地の学生より授業料は高く、生活費、医療費のことを全て考慮した結果、留学を断念せざるを得なくなりました。

私は冬になれば寒冷地と化す大学に進学をする予定でしたが、この病気で寒冷地で過ごすということはある意味死を意味すると医師に言われ、留学のドクターストップがかかりました。

アメリカの大学を卒業することが私の夢だったので、留学できなくなったことが大変辛かったです。

涙が止まらないことも多くありました。

私はアメリカの短期大学の卒業と成人式のために一時帰国した訳ですが、成人式前にリウマチの薬やプレドニンを飲み始めたことにより、副作用で顔がパンパンにむくみ、ムーンフェイスのまま出席しなければいけませんでした。

成人式の前撮りの写真は夏に一度帰国した際に撮影をしておいたので、顔はアメリカ太りで少しふっくらしている感じでした。

ですが、自分の顔はいつも鏡で見ているためあまり顔の大きさに違和感がなかったのですが、成人式で同級生と撮った写真を見返すと、顔は誰よりもパンパンに腫れ、手も全体的にパンパンで恥ずかしかったです。

私はもともと小柄なため、周りからはかなり太った風に映ったと思います。

一生に一度の晴れ舞台の写真がムーンフェイスとソーセージフィンガーのmax時と重なって、それが残っていくのがショックです。

何十年か後に写真を見返して、「あの時が1番症状が酷かった」っと笑って言えているといいな。


2011/1

2013-06-23 17:02:24 | 日記

ようやく3回目の診察で、膠原病の中でも「混合性結合組織病」であることが判明しました。

初期症状が出てから約1年後に診断が下りました。

これほどまでに症状が進行してしまったのは、私が留学をしており、アメリカ在住中に病院で診察を受けなかったからであり、少し反省をしています。

異変を感じたら、なるべく早く病院に行くことをオススメします。

混合性結合組織病とは、簡単に言うと
全身性エリテマトーデス・強皮症・多発性筋炎/皮膚炎の3つの病気のうち、2つないし3つ全ての病気の症状の一部を持っている病気です。

詳しくは、難病情報センターのホームページを参照して下さい。

私の場合は、全身性エリテマトーデスの症状が6割、強皮症が1割、多発性筋炎が3割と言われました。

つまり、3つの病気全てを持っています。

この割合というものは月日が立つに連れて違ってきます。

処方される薬である症状が治ったと思ったら別の症状が出てきたりします。

この病気は3つの病気が混合しているため、3つのうち1つだけ(全身性エリテマトーデスだけ。強皮症だけ。多発性筋炎だけ。)の病気を患っている方よりも症状的には軽病かもしれませんが、いつどのタイミングでその割合が変わるか分からないことと、3つの病気の症状の何かしらを発症する可能性があることが怖いです。

私の初期症状は、
・レイノー現象
・手の腫脹
・SLE様症状
発熱、リンパ節腫脹、多発関節炎。
・強皮症様症状
手指にかぎられた皮膚の硬化、
食道運動機能の低下
・筋炎様症状
疲れ易い、しゃがみ立ちができない、階段の昇降ができない、重い荷物を持ち上げられない
などでした。