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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

陰謀論批判と擬似科学批判批判

2007年10月01日 | 軍事・諜報
政府や軍は時に真相を闇に葬ることがある。でもCIAは陰謀や謀略を何度も組み立ててきたようだが、後になって、基本的によく証言されているようにも思える。一般に「陰謀論」と括ってしまうとレッテル貼りになってしまうが、その手の話を一笑に付すかどうかは、個々に慎重に考えるべきものだと思う。北朝鮮による拉致だって、長いこと陰謀論だった。

一つの例は911をめぐる疑惑。これに関して、擬似科学批判で有名なkikulogさんの言説とヒロさんの反論(およびそれぞれのコメント欄が)興味深いことになっている。

kikulog:11th of September
日本にも9.11陰謀論を弄ぶ人たちがいます。妄想と現実の区別がつかないのでしょう。

(コメント欄で菊池さんのコメント)どんなに馬鹿馬鹿しいことでも「検証するまで否定してはならない」のだとすれば、常に陰謀論が勝利します。なぜなら、馬鹿馬鹿しいことは無数に思いつくことができ、それをいちいち検証によって否定している暇など誰にもないからです。
否定されないだけでは、勝利したことにはならないですね。むしろ「疑似科学的陰謀論」の特徴は、証明がうまく出来てないことを、繰り返し、蒸し返し主張する態度ではないでしょうか。

パラダイム論じゃないですが、「新説」の証明は、パラダイム転換するまでは非常に難しいことがある。既成の(知的ステータスを持った)権威は、うまく証明されていない新説に対しては、疑わしきは信ずるに値せず、という態度をとりがちです。証明されてから持って来い、というわけです。「証明」されてないのであれば、それは事実上は「偽」と同義なのです。心証的に「偽」として処理されます。


ヒロさん日記:全体主義学者へ捧げる、ミズ知らずの私からの伝言


引用はしませんが、興味深いです。ところで、どうもkikulogの同記事が書き換えられているのかな? ヒロさんとこから孫引きしておきます。

kikulog:11th of September(旧?)
9.11はアメリカ政府の自作自演だとか、WTCの崩壊は爆破によるものだとか、そういうたぐいの陰謀論を弄ぶ人たちがいまだにいます。妄想力はあっても想像力のない人たちということですが、死者への冒涜という意味でも許し難い。

9.11自作自演説や月着陸捏造説は「非常に高いありえなさ」で、ダイアナ妃については「ありえなさ」はもっとずっと低くなるのでしょうね(これについては、ほとんど理解していません)。

9.11陰謀論にはまったく「理」がないので。陰謀論者は文字通り「陰謀論を弄んで」いるだけですよ。

9.11のような事件を最後まで(今にいたるまで)秘密を漏らさずに遂行するには、いったい何人が口裏を合わせなくてはならないのか、というのが最大の問題です。

9.11に関する限り、現在知られている常識的な事実で説明できないことはありません。
911については、ビルの崩壊事象はともかく、他に不可解な点がいくつもある。それらは事実として報告されているものだ。そこに何らかの陰謀、秘密を感じ取るのは、必ずしもトンデモとは思わない。

たまたま見つけた↓ これをどう評価するかは、私には分らない。内容的にはよく言われている話だと思う。

『 9/11委員会報告書 』── 省 略 と 歪 曲  ──

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