worldNote

世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

ドナルド・キーンの不思議な9条擁護

2014年05月01日 | 軍事・諜報
東京新聞:ドナルド・キーンの東京下町日記 憲法9条 行く末憂う 2014年1月5日
沢田は還暦を迎えた六年前、平和主義をうたう憲法九条の行く末を憂えて、バラード曲『我が窮状』を発表した。私も同じ思いだ。第二次世界大戦後、日本人は一人も戦死していない。素晴らしいことである。そんな憲法を変えようとする空気に、私が息苦しくなるのは戦争体験があるからだろう。(中略)もう一度は沖縄に上陸してからだった。「捕虜になったら殺される」と日本兵から脅されていた市民は洞穴に隠れることがよくあった。私は投降を何度も呼び掛けてから洞穴に入った。すると機関銃を構えた日本兵。私は腰を抜かさんばかりに驚いて飛んで逃げた。日本兵が引き金を引かなかった理由は分からない。ともかく命拾いした。

私は海軍通訳士官だった。最前線で撃ち合ってはいない。それでも死の淵(ふち)を見た。ましてや、物量で圧倒された日本兵や爆撃を受けた市民の恐怖たるや想像を絶する。戦争は狂気だ。終戦に日本人のほとんどは胸をなで下ろし「戦争はこりごり」と思っていた。私ははっきりと覚えている。日本人は憲法九条を大歓迎して受け入れた。
占領軍/進駐軍にとって重要なのは、駐留を受け入れてもらう事だ。確かに日本は敗れ、その皮肉な結果として、米軍の強大な軍事力に支えられたパックス・アメリカーナが明瞭な形で日本列島に訪れた。その条件の一つは軍国主義の撤廃だ。だが日本の危険性が除去されると、今度は米軍のプレゼンスや適応性にも限界がある事が顕わになる。朝鮮戦争を経て、警察予備隊という名の再軍備が始まり、アジア最強の通常戦力を保有する自衛隊が育成された。自衛隊と米軍は元々補完的存在だが、それは措く。ともあれ、再軍備と主権回復はセットだった。

そこで憲法9条が問題になる。日本共産党のスタンスは微妙だったが、9条擁護で再軍備に反対する派は(左派と言っていいだろうが、特に軸はない)、米軍出ていけと言わないでもなかったが、体制派でなくても非現実的な主張にしか聞こえなかったろう。在日米軍&自衛隊を容認しつつ9条擁護という派が多数派となった。しかし9条や憲法のいわゆる平和主義は米軍に支えられたものであるという現実は、あまり眼中になかった。9条は一種のフィクションかファンタジーだが、声の大きい連中=メディアは、基本的に左なものだから、そうは言わない。現実を見ないという日本の基本発想が、米軍駐留に寄与した。米軍にとって9条は軍事的には邪魔なはずだが、日本があまり自主性を確保するのも嫌だから、その辺は微妙。

ともあれ、米軍人だったキーン氏が9条擁護派なのは、理解しがたい。論理的には、介入主義の立場をとる米軍や米軍の行動、米国の国家戦略にも反対でなければならない。そもそも米軍の海外展開にも反対でないとおかしい。記事になってない所で何か付け加えられているのかもしれないが、それは分からない。
人気ブログランキングへ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。