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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

「抵制日貨」は大陸中国の伝統

2012年09月02日 | 歴史・伝統
香港から出航して尖閣に上陸した連中の件で、「日貨排斥」の運動が始まっていた。

保釣人士被拘 華人怒:抵制日貨

日本料理店攻撃や日本車(なんとパトカー含む)破壊など、いつもの事であるが、「抵制日貨=日本製品ボイコット」というか、戦前も日本が散々やられたと記憶していたが、そもそもは袁世凱が始めた!ものだった。攻撃手段としての「製品ボイコット」はシナの歴史的伝統であり、少なくとも数百年は遡るようだ。組合(ギルド?)というから、権力者の手段ではなかったと思えるが、商道徳として無茶苦茶なものであり、いずれにせよ近代法とは相容れない。

国際派日本人養成講座より(孫引き恐縮)
数世紀にわたってシナ人は、商人、銀行家の団体や同業組合においてボイコットを常用してきた。(中略)現代のボイコット運動において、近年の熾烈なナショナリズムと結合した。国民党はそのナショナリズムの組織的な表現だ(中略)雲行きがおかしくなったのは、辛亥革命後(中略)袁が新「中華民国」の大総統に就任した「南北妥協」(明治45年1月)の頃からである。袁は(中略)革命派の弱体を看て取り、革命により自国権益が回収されることを恐れるイギリスを後ろ盾に、革命派と日本の離間を図り、日本に満洲侵略の意図ありとの風説を流した。動乱の責任を日本になすりつけ、漢民族大衆の「中華」意識から発する排外主義に火をつけた袁の術策は当たり、大衆は日貨排斥に走った。(中略)袁世凱の日貨排斥の成功に学んだのは、蒋介石率いる国民党であった。昭和初年に、満洲の支配者・張作霖を打倒するために、張を「日本の傀儡(かいらい)」として、大衆の排外ナショナリズムを燃え上がらせ、日貨排斥を広めたのである。
中国の教育がどうとか、そんなレベルではない。もっと根深い伝統であることは確かだ。

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