「熱闘」のあとでひといき

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冷戦時代に聴いたソ連のジャズ(2)/BCL事始め

2014-04-04 00:00:52 | 地球おんがく一期一会


本題(ソ連のジャズのお話)に入る前に、まずジャズが国境(冷戦時代の東西の壁)を越えることを可能にした「ある方法」について説明しなければならない。

今でこそ世界は有線のケーブルを経由したインターネットで隈無く繋がっているわけだが、私がソ連のジャズに出逢った80年代半ば頃にはそんなことは想像にも及ばないことだった。もちろん、地上はもとより大陸間も海底ケーブルによって繋がってはいたのだが、一般人がその恩恵に与ることができるほどの大動脈ではなかった。さらに10年以上遡れば、ダイヤル通話での国際電話ですらままならなかったのだから、通信手段の驚異的な進歩には目を見はらせるものがある。

第二次世界大戦から冷戦時代にわたってもっとも威力を発揮した国際間の通信手段は空中を飛び交う電波だった。こう書くとイメージされるのは人工衛星を通じた衛星中継になると思う。しかし、衛星回線も限られていた中で一般的に利用されていたのは、人工衛星を必要としない遠距離通信を可能にしたある種類の電波。限られた周波数帯域にあった「短波」(Short Wave)がその電波だった。

でも、人工衛星を使わないのに何故丸い地球の裏側まで電波が届いたのか不思議に思われるだろう。ここで人工衛星の役割を果たしたのが「電離層」。地球を取り巻く大気の上層部にある分子や原子が、紫外線やエックス線などにより電離した領域にある層で、電波を反射させる性質を持っている。このため、地上(海上)と電離層の間での反射を繰り返させることにより、電波を地球の裏側のような遠方まで届けることができた。ただ、電離層の状態は太陽光線の影響を受けて時々刻々と変化する。ごく普通のAMラジオでも、夜になると遠くの地域の放送(ナイター中継や深夜放送)や外国語の放送が聴けるのは、電波にこのような性質があるから。

電離層の状態は時刻だけでなく季節によっても変動するため、短波では電波を安定した状態で確実に伝えるのは難しい面がある。でも、上で書いたような原理を使えば1台の送信機でも世界中に向けて放送を行うことが可能になるため、短波帯は一時期飽和に近い過密状態にあった。ちなみに、後に一大ブームが到来することになるBCLとは "Broadcasting Listener" の略。短波放送を聴く人は自らをSWL(Short Wave Listener)と称していて、BCLを「中波で主に国内ラジオを聞く人」として区別していた。いつの間にか外国放送を聴く人のすべてがBCLということになってしまったのかはよくわからない。

それはさておき、電離層どころか短波という言葉も知らなかった1少年が、新聞記事をきっかけに海外からの短波放送の受信に興味を持つに至った。忘れもしない、小学校6年生の時のある朝だった。世界の14カ国から日本に向けて日本語による国際放送が行なわれていることが新聞の1面を使って紹介されていたのだ。NHKテレビの「特派員報告」等の番組を通じて海外への関心がとみに高まっていたこともあり、海を越えて日本に届く電波を捉えてみたいという想いに駆られた。

早速、父親が持っていたポータブルの2バンドのトランジスタラジオを手に受信を試みることになった。当時の2バンドラジオは中波と(FMではなく)短波が聴けるのが一般的。短波も3.9~12MHzの帯域しかカバーされていない。しかし、日本向け放送ということもあって、ほどなくして殆どの国からの放送を聴くことができた。とくに強力だったのは、中波帯でも容易に聴くことができた北京放送、平壌放送、韓国KBS放送にモスクワ放送(ウラジオストック中継)を加えた4つ。



距離的に近いアジアからの放送も同じ。台湾からの「自由中国之声」、ハノイからの「ベトナムの声」(当時は北ベトナムだった)、極東放送(フィリピン)にラジオ・オーストラリアも全く問題なくキャッチできた。欧州からもシンガポール中継だったBBC放送(英国)とバチカン放送は朝夕とも聴くことができた。さらに南米からは赤道直下にあるエクアドルの首都キトーから放送されていたHCJB「アンデスの声」が遠距離を感じさせないくらいにクリアに聞けたのだった。ちなみに、「アンデスの声」は日本から南米に渡った移民達にとって(宗教放送のミッションは別にしても)大きな心の支えになっていたそうだ。

14カ国制覇まで残りはいよいよあと3つ。しかし、この最後の3つが難物だった。まず、第二次大戦中には(密かに)戦況を知らせる上で貴重な情報源となっていたVOA「アメリカの声」は、「役割を終えた」ため同じ頃に放送を止めてしまい、日本語に関しては幻の放送局に終わる。また、地球の裏側のアルゼンチンにあるRAEも、「本当に放送しているのだろうか?」とBCLの間でも話題になっていたくらいに日本語放送だけ受信が難しい局だった。それに較べたら、西ドイツのケルンから放送されているドイチェ・ヴェレは聞こえていいはずの放送局。ほぼ同じ距離のバチカンからの電波は確実に日本まで届いているのだからそう考える。

ドイチェ・ヴェレは季節ごとに行われる周波数の変更が何故かことごとく裏目に出てしまう不運な放送局だった。もっとも、放送時間帯を考えると、近隣諸国の放送がひしめいて一番混んでいる周波数帯(9MHz帶や11MHz帯)で欧州からの電波を捉えるのはかなり難しかったことも確か。もっと上の周波数なら少しは楽に受信できていたはずで、12MHzまでしか受信できないラジオを恨めしく思ったものだ。

しかし、遂に12番目を達成する日がやってきた。時間は夜の9時頃。いつものようにラジオのダイヤルをいじっていたら、混信状態の中から今まで聴いたことのない日本語の放送がすーっと浮かび上がってきた。どうやら欧州からのあの放送局らしい。はやる気持ちを抑えながら局名のアナウンスを待った。そして放送終了直前に、「こちらはドイチェ・ヴェレ、ドイツ海外放送の日本語番組です。」のアナウンス。思わず「やった-!」と叫んでしまった。ちょっとマニアックかも知れないが、DXer(遠距離受信者)を目指すSWL(BCL)にとって、普段は聞こえない放送が聞けたときに最高レベルの興奮がやって来る。その第1歩がこの日だったのだ。



後日、生まれて初めて航空便を使い、西ドイツに受信報告書を送った。「送信所:Julich、日時:1969年12月27日12:00 GMT、周波数:11.795MHz」。ドイチェ・ヴェレから届いたヴェリカード(Verification Card:受信証明書)には確かにこう記載されている。
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