「熱闘」のあとでひといき

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冷戦時代に聴いたソ連のジャズ(1)/プロローグ

2014-04-02 23:00:56 | 地球おんがく一期一会


混迷が深まる一方の世界情勢にあって「冷戦の復活」とも「新冷戦時代の到来」とも言われる昨今。しかし、ソ連や共産圏という言葉自体が死語となりつつある中で、「冷戦」と言われてもピンと来る人がどれだけ居るだろうか。

1989年のベルリンの壁崩壊に引き続き1991年にはソ連も崩壊した。それまではアメリカ対ソ連という図式で対峙していた2強のひとつが斃れてしまったことで、ほんの一瞬だが異様な空白感を味わったことを覚えている。今にして思えばそんなことはあり得なかったはずなのだが、まるでアメリカの一人勝ち状態となり、ついに世界平和が訪れたという安堵感すら覚えたのだから笑ってしまう。歴史は繰り返すというか、ひとりの独裁者が倒れても次にまた別の独裁者が現れるだけなのだが。

それはさておき、「ソ連崩壊」は社会や政治に留まらず、文化やスポーツなど様々な分野にも影響をもたらした。冷戦時代の頃のオリンピックはソ連を筆頭とする共産圏諸国の国威発揚の場で、とくに「CCCP」(ロシア語のソ連の頭文字でエス・エス・エス・エルと発音)のユニフォームを纏った選手達がいやと言うほど力を見せつけていた。後にドーピングが問題となるDDR(東ドイツ)の強さも際立っていた。共産圏諸国のアスリート達にとって、確かな将来を約束してくれる金メダルの価値は計り知れないものがあったし、当事国にとっても彼らがもたらす対外的な宣伝効果は大きかった。復活基調にあるとはいえ、旧ソ連東欧圏のスポーツがかつての力を失ったことは否定できない。

文化面では少し様相が違っていた。文学や音楽では自由な表現を求めて西側へ亡命を試みる者が後を絶たず、映画でもタルコフスキー作品のように当局との長期にわたる神経戦を経てお蔵入りを免れて公開に至ったものがあった。逆に言えば、冷戦状態にあったことで共産圏諸国の芸術作品が注目を集めた面があっただろうし、質の高いものが生まれていたことも否定できないと思う。ソ連崩壊後、むしろ映画も文学も外に訴えかける力を失ったように見えるのは気のせいだろうか。



話がついつい堅くなってしまった。ソ連崩壊前の文化を語るという意味でひとつ面白い音楽がある。それはジャズだ。ソ連にとっては冷戦時代の敵役であるアメリカを象徴する音楽で、戦時中の日本になぞらえれば「敵性音楽」と言うことになるだろう。ソ連にとっても日本にとっても同じ相手の同じ音楽が敵の象徴だったなんて、偶然の一致とは言え不思議と言えば不思議。

でも、ソ連ではジャズは制限こそかけられていたかもしれないが、禁止されていたわけではなかったようだ。さもなければ私が偶然の徒で手にすることになった彼の地のジャズのレコードは存在しなかったはずだから。クラシックの音楽家のようにソ連の顔(文化使節)の役割を担うこと(言い換えれば、豊かな生活を手に入れること)はできなくても、情熱的にジャズに取り組んだ人たちがいて、またそれを聴くことを楽しみにしていた人たちも少なからず居たのだ。

遠く離れたアメリカとは敵対していて、レコードの入手も不可能だった状況のなかで、如何にしてソ連の人たちにジャズが伝わり、また愛されることになったのか。さらには、そのソ連のジャズの魅力を情報入手が困難な当時の日本で知ることができたのか。それは、ある方法によって国境を簡単に越えることが可能だった音楽の力によることが大きかったから。冷戦時代の私自身の体験を通じて、ジャズの魅力の一端について語ってみたい。
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