永続のページ別館

愛知県岡崎市在住
永続のページ管理人の個人日記

8.8世界夢ケーキの日

2012年08月08日 | ノンカテゴリー
午後から伊那へ行ってきました。(日帰りで...)

8.8世界夢ケーキの日 東日本復興チャリティーイベント

YUME CHARGE PROGRAM 2012という チャリティー講演会です。


ドリームケーキプロジェクト


◆◆

今回は大久保寛司さんと渡辺和子先生のリンクを感じました。


大久保寛司さんが最近口にするのが『美しい人』という表現。

綺麗でなく美しいというのがその意味です。

そうなると、間違いなく思い出すのが、この一冊。

美しい人に 新装版―愛はほほえみから
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PHP研究所



・本物は360度、いつでも、どこでも、誰に対しても

 → 特定の人だけを愛するのはエゴという渡辺先生の言葉を思い出しました。

・反面教師の登場 ・・・ 『きたか』・・・自分を磨いてくれる人が現れた。

 → 我以外皆師なり

・飛行機に乗るとき、アテンダントさんに最高の挨拶。
 目を見て...With smile
 その一瞬だけでも一流になろうとする。

 仏頂面のタクシーの運転手さんにも笑顔でサイコーの挨拶。


◆◆ ほほえみ と言えばこの詩

ほほえみは お金を払う必要のない安いものだが

相手にとって非常な価値をもつものだ

ほほえまれたものを豊かにしながら

ほほえんだ人は何も失わない

フラッシュのように瞬間に消えるが

記憶には永久にとどまる

どんなにお金があっても ほほえみなしには貧しく

いかに貧しくても ほほえみの功徳によって富んでいる

家庭には平安を生み出し 社会では善意を増し

二人の友の間では友情の合言葉となる

疲れたものには休息に 失望するものには光となり

悲しむものには太陽 

いろいろな心配に対しては

自然の解毒剤の役割を果たす

しかも買うことのできないもの

頼んで得られないもの

借りられもしない代わりに盗まれないもの

なぜなら自然に現れ 与えられるまでは存在せず

値打ちもないからだ

もし あなたが誰かに期待したほほえみが得られなかったら

不愉快になる代わりに

あなたの方からほほえみかけてごらんなさい

実際 ほほえみを忘れた人ほど

それを必要としている人はいないのだから


◆◆ 高野登さん

夢を見る力とは、まだないものを心のスクリーンに映し出す力。

テレビ、ゲーム、携帯..この夢を見る力をそぐもの。

自分で考えずに外部情報に依存、目まぐるしく変わる、など

心のスクリーンが荒れてしまい、自分で映し出す力がなくなる。

『心のスクリーンを磨く』

『夢を語ることを恐れるな!!』・・・恩師より

『背中を見せる、背中を押す』


会話はほとんどできませんでしたが、笑顔の高野さんに会えて

うれしかったです。

※ペットボトルネタを言ったのはいいですが、「ラッパ飲みの習慣は日本にない」というところまで言わないとダメじゃないですか。壇上で嬉しそうだったから...忘れました?(笑)


リッツ・カールトンと日本人の流儀
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ポプラ社



◆◆ 大棟耕介さん

人となりの一部を聴かせていただきました。

大久保さんが惚れ込むのもわかります。


・『軸』を守るという言葉が印象的でした。

クラウンに徹し、家族にも、医師にもならず、ミラクルを求めない。

『病気の子ども』ではなく『子ども』として接する。


・『またね』の口癖の持つ意味。


テーブルを頭に乗せたり、玉に乗ったり、物理的に重心を捉え、

バランスをとる仕事だからでしょうか?

『ものごと』『空気』『目の前の事象』の『重心を見極める力』が

きっと、強いんだなぁと感じました。


一度、お話してみたいなぁと思う、魅力的な方でした。

ホスピタルクラウン・Kちゃんが行く―笑って病気をぶっとばせ! (感動ノンフィクションシリーズ)
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佼成出版社


◆◆ 清水慎一さん

今回の企画をしたNPOの代表。

菓匠Shimizuの清水さんと言った方がいいですね。

清水さんが初めて夢ケーキが世界平和をもたらす日がくるかもしれません。

素晴らしい活動です。

世界夢ケーキ宣言!
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文屋



◆◆ はせがわファミリー

新作を見せていただくことができました。

陸前高田、南三陸、気仙沼...

スターリィマンが行脚している幻想的優しい絵。

スターリィマン自体、嵐に流され亡くなった、動物園の飼育委員さん。

みんなの願いを受け、スターリィマンとして復活した存在。

痛みを身をもって知っている存在なのです。

これを知っている人はどれだけいるかなぁ?

9つの風船を届けるのは、東日本の自然、生き物など人にだけではありません。

まだまだ旅は続きます。


◆◆ 大海の一滴

どこにでも、来るねぇ。とよく言われます。

言う人も毎回そこにいるので、私が来ているとわかるのですが(笑)

とはいえ、私個人としては、全然行けてない、できてないと思っています。

ただし、それがムダとは思っています。



「わたしたちのすることは、
 大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。

 でも
 その一滴の水があつまって
 大海となるのです」

マザーテレサの言葉だそうですが。

チャリティーの本質はここにある気がします。


◆◆

私の力はたかが知れています。

今回も伊那に行く旅費があるなら、行かずに浮いたお金を寄付した方が

お役に立てるかもしれません。


懐の痛まない範囲ではなく、

死なないけど、痛い。痛みを感じる協力というものも、

必要とおもっています。

(もっと、すべきことあるでしょ!!

という叱責が頭の中に響いているのも事実です。


1000億ある人が1億出すことも大事、100円しかない人が1円出すのも大事。


◆◆ 『大海の一滴でありたい』

何かをなそうとしている人が大海に一滴を注ぐのでなく、

我々が『大海の一滴でありたい』


クジラもシャチもマグロも...

大海がないと、その本領を発揮できません。


クジラが自由に泳げるように、その場を支える。

クジラになれなくても『一滴』になら、なれる。

その活躍に無関係、無関心、次元の違うところにいる自分でいたくない。


あとの活躍はクジラに託す。

そんな、他人頼み、逃げ越しの弱っちい人間です。


関わられていただき、

消えそうな存在価値を、行くことでなんとか保っている自分です。


ダメダメ君が、素晴らしい人に定期的にお会し学ぶことで、

なんとか、極悪にならず、

ダメダメダメ君にならずにいる感じです。


皆さま、今後とも、よしなにお願いいたします。




感謝。