永続のページ別館

愛知県岡崎市在住
永続のページ管理人の個人日記

最高・最幸・サイコー

2008年11月14日 | ノンカテゴリー
今日はすばらしい一日でした。

雲ひとつないサイコーの天気でスタートです。



◆◆ ひとつめ


メッセンジャーという冊子に発行者の杉浦貴之さんと原伸介さんの対談記事が載っています。

22号と23号の前編後編です。

あるきっかけで、この冊子の存在を知りました。しかも、販売委託先に大切な仲間であるT夫さんの会社、スギ製菓さんがあったので驚きました。明日の高知本気フォーラムにあわせて、急遽取り寄せを依頼して22号だけ入手できました。

本題はここからです。

名古屋駅に着いて、この記事を人に紹介するためにコピーしておこうと思って、お店でコピーしていたら...

「こんにちは」という声がします。

声に顔をあげると...




本人登場です。


ビックリしました。

向こう(原さん)も、見たような人間が、見たような冊子をコピーしていたので驚いたそうです。その瞬間その場にいたことは大変なご縁です。メッセンジャーを持っていなかったら原さんの方も素通りしていたかもしれません。

急遽、持っていた新幹線のキップをキャンセルして列車を変更し、原さんと岡山までご一緒させていただきました。

おかげで、道中に色々な話をうかがうことができました。

また、先日東京のセミナーで原さんのサインを頂いて帰ったとき、家内に(夫婦してファンなんです)褒められると思ったら、「私の分がない」と怒られました。そのため、 今回は原さんのサインを家内あてに色紙に頂いてくるという宿題があったのですが、いきなりクリアしてしまいました。

明日、名刺交換の列ができる前にお願いしないといけないと思って、段取りを練っていたのですが、ツイていました。

明日の本番がよけいに楽しみになりました。

サイコーです。


◆◆ ふたつめ


ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子先生の話を聴くことかせできました。
主催は岡山県中小企業家同友会です。

テーマは「愛を込めて生きる」

一言で言うなら、月並みですが「すばらしい」話でした。

開場より30分ほど早く着いたら、既に並んでいる人がいました。
最前列は逃しましたが、ラッキーなことに二列目のド真ん中でした。
先生の講和を間近で拝聴することができました。

まずはマザーテレサが来日したときのお話から始まりました。

・マザーは時間を無駄にしていない。

→ 無駄にしないとは?

→ みんながたくカメラのフラッシュひとつひとつに笑顔を応えること

→ そのココロは

→ フラッシュの一つひとつに人の幸せを祈っていた

→ よして欲しいと思う出来事に
  「どこかで誰かが私の我慢を通じて癒されますように」
  この思いを込めて我慢しているということでした。
 
キスしたり、頭をなでたり、恋したり、だけが愛ではないということです。
一つひとつの動作に愛を込めているか?祈りをこめているか?
ということです。

「どのように心で時間を使うか」=「命を使うか」(日野原先生と同じです)

× To do する
○ To be  存在するために

先生が修道時代に何も考えずに食事の皿を並べていて、これからこの食器を使う人の幸せを祈りながら並べなさいと教わった話を例示してくださいました。



・時々でいいから自分に問うてください

→「私は時間を無駄にしていないか」

→やり直すとかそんな話でなく、上記のように質の話

→「無駄なものはない。でも無駄にすることはできてしまう。」



・自分の人生にも愛を込める

→ 「失敗も成功も一つひとつのことを丁寧に(両手で)受け止める」

→ 人の命も物も両手でいただきなさい

→ マザーの場合の写真のフラッシュのように
 「自分にとっても面倒なことこそ、両手で受け取るように」

→ 「成長するためには、痛みを覚えること」

→ 自分との戦いを避けていないか?


・顔の造作は親の責任、表情は自分の責任

・両手で頂く仕事に変えることで自分が変わる

→ (皿を並べるときに)祈った相手が幸せになったがどうかはわからない

→ でも両手で受けとると「自分は幸せになっている」


・木こりを例に

→ 仕事ばかりしていて、木を切っているオノをいたわっているか?

→ 「自分のオノを大切にする」

→ 自分にも愛を込める

→ 常にというのは難しい時々で結構、内省してください。


・36才で学長になった際に引用した話

→ 慰められる人より慰める人に
  理解される人より理解する人に
  愛される人より愛する人に
  なってください。

→ ○○してくれない 勝手な期待で不満に思う「くれない族」にならないように

→ 仕事の奴隷にならないで、仕事の主人になりなさい
  環境の奴隷にならないで、環境の主人になりなさい
  時間の奴隷にならないで、時間の主人になりなさい

→ 「置かれたところで咲きなさい」

→ 「人様には笑顔、自分にはたたかい」

→ 私たちは他人の生活を暗くする権利はない


・「他人に左右されないで、自分らしく生きなさい」

→ × ありがとうと言ってくれたら、ありがとうと言う
  ○ ありがとうと言ってくれない人にこそ、ありがとうで返す

→ 自分を大切にする = 自分を愛すること

→ 「自分の主体性を守り抜く」

→ 「相手のレベルまで、自分を落とさない」(両手でいただくこと)
  口汚い相手に口汚い言葉で返さないこと


・人に時間に○○に愛を込める

→ 愛は他人だけに向けるものではない

→ 自分が自分を受け入れているか?

→ 「私が私に愛を込めているか」
   自分自身と仲良くする

→ 自分の弱さを受け入れないと、人を受け入れられない

→ 誠の愛は価値なきものに見えるものに注ぐ


・利己主義の反対は自分を愛すること

→ 利己主義はホレボレする自分しか愛せない

→ 自分を愛する方は、どんな自分でも愛する

→ 「24時間一緒にいるのは、誰でもなく私自身」

→ 好きな人と一緒にいると幸せを感じる

→ 自分が好きでいれば24時間幸せでいられる


・大切にされて初めて自分の大切さに気づく

→ 愛されている、大切だと思ってくれているという実感を子供にももたせること


・最後は高見順さんのこの詩で締めくくりです。

我は草なり    伸びんとす
伸びられるとき  伸びんとす
伸びられぬ日は  伸びぬなり
伸びられる日は  伸びるなり

我は草なり    緑なり
全身すべて    緑なり
毎年かわらず   緑なり
緑のおのれに   あきぬなり

我は草なり    緑なり
緑の深きを    願うなり

ああ生きる日の  美しき
ああ生きる日の  楽しさよ

我は草なり    生きんとす
草の命を     生きんとす


→ 無理せずに成長を目指すことのようです。

  できるときには伸びて、ダメなときはそのままでもいい。
  自分が緑であること、つまり、自分らしくあることに飽きない
  そんな説明です。

  心をうつ詩でした。

この90分間の話で、とってもやすらかな気分になれました。


教え子の方も多数参加しているようで、講義のノート持参できている方もいました。尊敬を集めている様子が手にとるようにわかりました。


渡辺先生ありがとうございました。

当初1000人定員の募集でしたが、10月半ばに早々と定員超え。
最終は1400人ときいています。
でも混雑を予測したすばらしい運営で非常にスムーズでした。
企画してくれたみなさん、ありがとうございました。

サイコーです。


◆◆ ほかにもすばらしいことが

実は、この岡山という地には、私の同級生のMさんが住んでいます。

保育園から入れて小学校、中学校でトータル9年も一緒だった方です。

中学卒業のときにカウントしましたが彼女が一番でした。二位は8年が一人。

しかも、互いの母親も同級生。

卒業の際の寄せ書きにも「くされ縁」という言葉をいただいたのも納得です。

家内にもその存在は知られていて、呼び名はT屋さん。(ご両親の経営する業種です)



「彼女」とあるように、女性なわけで、何で岡山にいるかって...

渡辺先生の教え子なんです。


10何年ぶりに意を決して連絡とったら、当初は都合が悪かったのですが、どうもムリヤリ都合をつけてくれたみたいです。

今朝、電話をくれました。
「今回会えないと、いつ会えるかわからないので...」

てなわけで、岡山で会って、渡辺先生の情報収集をしました。



感謝・感謝・感謝です。

Mさん貴重な時間をありがとうございました。
会えて良かったです。
他のみんなに会ったら、全然変わらず、元気だったと言っておきます。

サイコーです。


◆◆

直接、高知にいかなかったおかけでサイコーの連鎖が起きました。
サイコーです。

恥ずかしながら渡辺先生の存在を知ったのは、ここ1、2年です。
ハクジーの久保さんに教えていただいて、私の周波数にインプットされました。

家内は本を持っているし、同級生の恩師だし。
久保さんの言うとおりでした。

見ようとしないと見えない。
見ようとするから、視界に入る。

久保さんに言われて興味をもたなかったら、岡山同友会の教育講演会に興味を持たなかったので、今日一日のサイコーの連鎖はありませんでした。

明日は、久保さんに最敬礼です。

明日もきっとサイコーです。