昨日投開票だったさいたま市長選挙は、民主党県連支持候補者が当選をした。活動を微力ながら手伝わせていただいた身としては率直にうれしく思う。
今日、各マスコミの報道を見ていると、敗れた陣営の人たちが「政党対立を持ち込まれた」「国の政局を持ち込まれて政策で勝負できなかった」といった趣旨の事をの賜っていたようである。連日民主党本部の役員が応援に入り、鳩山代表も代表就任後初の地方遊説が今回の選挙戦であったわけだが、こうした点を指しているものと思われる。
こうした候補者たちは(候補者本人が言ったわけではないにしても)自身の行動の結果を他者になすりつけている時点で、既にリーダーの資格はなかったのであろう。市民の皆様はやはりそれを見抜いておられたようである。
民主主義とは「最大多数の最大幸福」を追求するシステムである。これは多数決とも言いかえられる。政党とはこの「最大多数の最大幸福」を議会という場を通じて実現する仕組みである。首長も例え形式的に無所属であっても、己が提出した議案や予算を実現するには議会の賛成-それは実質的には最大会派の-を得る必要がある。民主党出身の上田清司埼玉県知事が、自民系会派にも配慮する必要があるのは、こうした事情によるものだ。我が国が議会制民主主義を採用している以上、個々人の好き嫌いに関わらず政党の存在を否定することはできない。中央集権的な我が国で地方分権を進めるために、国の政治のあり方が重要なのではないのか?地方分権が進んだ場合でも、十分な見識をもったリーダーがいなければ自治体運営はできないのではないか?我が民主党は「地方分権が進んだ場合、さいたま市を任せられるのこの人だ」と思ったから当選した候補者を支持したわけです。これを単なる「政局」という見方をしてしまう人は、やはりリーダーの器にあらず!脳みそが55年体制のままの人たちが除外された今回の選挙戦はやっぱり良かったと思う。
上記のような「負け惜しみ」をの賜った候補者たちは、何らかの形で政党の支持を得ていた人たちばかりである。当選した候補者は「○○という政党の支援を受けています」ということを正直に表現したに過ぎない。やはり真面目な正直者が最後には勝つということか?
でも、こうした「負け惜しみ」を現職の候補者も言っていたのには正直幻滅でしたが・・・。未練がましいことこの上ないです。
日本もいい加減に「人治」から「法治」に変わる必要があります。