同じ県内にあるので「佐原」にはもう何度となく足を運んでいる。
そろそろ花菖蒲の見頃が終わってしまう、と聞いたので花菖蒲を見るために今年もまた「佐原」を訪れてみた。
「水郷佐原 あやめパーク」
この日はあいにくの小雨だったが傘をささずに歩けた程度なので、花菖蒲見学にはちょうど良かったのかも。
花菖蒲が見られるのは香取市(かとりし)が運営している「水郷佐原 あやめパーク」。
(以前は佐原市だったが、現在では市町村合併で香取市と名前が変わっている)
このパークに植えられているのは花菖蒲、でも「あやめパーク」とは?
多分、「あやめ」の方が一般的受けするからなのかもしれない。
パーク内は広さが8ヘクタール、その中に川・島・橋などを配してあり、ほとんどの場所に花菖蒲が品種ごとに植えられていた。
花菖蒲はちょうど見ごろだった。
すべてに品種名が書いてあったので、自分好みの花を見つけたりしながら1時間ほど散策した。
池の中にはスイレンも。
パークを出て、次に向かったのは「十二橋巡り」。
パーク内にも小さな舟(サッパ舟)はあったのだが、それには乗らず、外に出て「加藤洲十二橋巡り」の方の少し大きな舟に乗ることにした。
「加藤洲十二橋めぐり」
佐原は水郷なので、かつては家と家の間には縦横に水路が張り巡らされていて、そこを行き来するために笹舟のような形をした「サッパ舟」と名付けられた小舟を利用していた。
そんな中で、常陸利根川の南岸にあった加藤洲地区は、昔は孤島だった場所で、地区内を流れる新左衛門川の両側に並ぶ民家をつなぐように12本の橋が架けられていた。
現在では11本が現存していて、その橋の下の水路を舟で巡るコースが「加藤洲十二橋めぐり」で、舟の乗り場は「あやめパーク」から出てすぐのところにあった。
ここから1時間のコースに出発した。
12人乗りの舟に女性が7人と男性の船頭さん1人の8人が乗った。
以前も乗ったことがあったのだが、その時とはコースが違っていて、今回は珍しい体験ができた。
それが2ヶ所の閘門(こうもん)を通ったこと。
閘門とは水位の異なる河川などに設けられ、舟を通航させるための施設のこと。
最初に舟は水位の低い加藤洲にある水路を走っていた。
そこから水位の高い常陸利根川に出なければならない。
① 陸にいた係員が閘門入り口の鉄の扉を開け、舟が入ったらそれを閉める。
② 閘室内の舟はエンジンを止め(川に出るまでは船外機を使っていた)、閉じ込められているようにじっとしている。
③ 出口側の扉を少しずつ上げていくと水が徐々に流れ込んできて、水位が常陸利根川と同じになった時、出発する。
これが閘門のシステムだった。
閘門という言葉も初めて知った。
それからしばらくは広い常陸利根川を一気に走った。
そしてまた今度は少し大きな閘門から入り、水位の低い加藤洲に戻った。
この閘門には信号機があり、青になったら閘室に入れる。
前にもう一隻舟がいて、2隻同時に入った。
今度は水位の高い常陸利根川から低い方へ向かったので、先ほどとは全く逆の操作をした。
この閘門は係員がいなく、船頭さんが手動でレバーを引いて門の開閉をしていた。
ここから「加藤洲十二橋めぐり」が始まった。
狭い川なので、船頭さんは船外機ではなく櫓(ろ)に変えてゆっくりと進んだ。
川の両側にはアジサイが満開になっていて雰囲気がとても良く、船頭さんは11本の橋の名前と由来などの説明をしてくれながら、舟を漕いでくれた。
それぞれの橋は全く違った顔を見せていた。
「憩いの橋」と名付けられた場所には売店があり、舟から買い物ができるようにもなっていたが、この日はお休みだった。
説明によると、昔はこの橋すべてが川の右岸にあった家のものらしく、左岸に道路があってそこに行くためのものだったとか。
(現在は観光名所なので市が整備と管理をしている)
[水仙橋]
[おもいで橋]
昔の橋に近い姿、現在は渡ることができないらしい。
「十二橋めぐり」を終えた後は次の見学地の町並みの方へ移動した。
約30分の車での移動だった。
「佐原の町並み」
佐原は利根川の水運によって江戸時代から繁栄してきた町。
市内を流れる小野川の両岸には、古い商家、レンガ造りの家、酒造所、護岸には「だし」と呼ばれる荷揚げ場などが並んでいる。
こうした古くからの落ち着いた風格のある場所一帯は「伝統的建造物群保存地区及び景観形成地区」に指定されている。
[街並みと小野川]
そんな小野川に沿ってお店をのぞいたりしながら歩いていくと、伊能忠敬の生家があった。
生家は内部の見学ができるようになっていて、裏庭には忠敬の銅像も立っていた。
『伊能家は酒や醤油の醸造などを営む佐原の名主で、その家に忠敬は17歳で婿入りし、50歳で隠居。
その翌年から日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた。』
と、このような説明が書いてあった。
伊能家の前にあったのが、有名な通称「じゃあじゃあ橋」と呼ばれる橋で、正式名称は「樋橋(とよはし)」。
この橋は江戸時代初期に造られ、農業用水を水田に送るために架けられた大きな樋(水を運ぶ装置)で、あふれ出す水が川に流れ落ちる音から「じゃあじゃあ橋」になったらしい。
まだ水が流れていない。
1日数回観光用に流している。
これは午後3時に流れた時。
こうして昔の雰囲気を味わいながら佐原の町歩きは終わった。