日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

佐原(再訪)

2022-06-19 07:00:00 | 国内旅行

同じ県内にあるので「佐原」にはもう何度となく足を運んでいる。

そろそろ花菖蒲の見頃が終わってしまう、と聞いたので花菖蒲を見るために今年もまた「佐原」を訪れてみた。

 

 「水郷佐原 あやめパーク」 

この日はあいにくの小雨だったが傘をささずに歩けた程度なので、花菖蒲見学にはちょうど良かったのかも。

花菖蒲が見られるのは香取市(かとりし)が運営している「水郷佐原 あやめパーク」

(以前は佐原市だったが、現在では市町村合併で香取市と名前が変わっている)

このパークに植えられているのは花菖蒲、でも「あやめパーク」とは?

多分、「あやめ」の方が一般的受けするからなのかもしれない。

パーク内は広さが8ヘクタール、その中に川・島・橋などを配してあり、ほとんどの場所に花菖蒲が品種ごとに植えられていた。

 

花菖蒲はちょうど見ごろだった。

すべてに品種名が書いてあったので、自分好みの花を見つけたりしながら1時間ほど散策した。

 

池の中にはスイレンも。

パークを出て、次に向かったのは「十二橋巡り」。

パーク内にも小さな舟(サッパ舟)はあったのだが、それには乗らず、外に出て「加藤洲十二橋巡り」の方の少し大きな舟に乗ることにした。

 

 「加藤洲十二橋めぐり」 

佐原は水郷なので、かつては家と家の間には縦横に水路が張り巡らされていて、そこを行き来するために笹舟のような形をした「サッパ舟」と名付けられた小舟を利用していた。

そんな中で、常陸利根川の南岸にあった加藤洲地区は、昔は孤島だった場所で、地区内を流れる新左衛門川の両側に並ぶ民家をつなぐように12本の橋が架けられていた。

現在では11本が現存していて、その橋の下の水路を舟で巡るコースが「加藤洲十二橋めぐり」で、舟の乗り場は「あやめパーク」から出てすぐのところにあった。

 

ここから1時間のコースに出発した。

12人乗りの舟に女性が7人と男性の船頭さん1人の8人が乗った。

以前も乗ったことがあったのだが、その時とはコースが違っていて、今回は珍しい体験ができた。

それが2ヶ所の閘門(こうもん)を通ったこと。

閘門とは水位の異なる河川などに設けられ、舟を通航させるための施設のこと。

最初に舟は水位の低い加藤洲にある水路を走っていた。

そこから水位の高い常陸利根川に出なければならない。

 

① 陸にいた係員が閘門入り口の鉄の扉を開け、舟が入ったらそれを閉める。

② 閘室内の舟はエンジンを止め(川に出るまでは船外機を使っていた)、閉じ込められているようにじっとしている。

③ 出口側の扉を少しずつ上げていくと水が徐々に流れ込んできて、水位が常陸利根川と同じになった時、出発する。

 

これが閘門のシステムだった。

閘門という言葉も初めて知った。

それからしばらくは広い常陸利根川を一気に走った。

そしてまた今度は少し大きな閘門から入り、水位の低い加藤洲に戻った。

 

この閘門には信号機があり、青になったら閘室に入れる。

前にもう一隻舟がいて、2隻同時に入った。

今度は水位の高い常陸利根川から低い方へ向かったので、先ほどとは全く逆の操作をした。

この閘門は係員がいなく、船頭さんが手動でレバーを引いて門の開閉をしていた。

 

ここから「加藤洲十二橋めぐり」が始まった。

狭い川なので、船頭さんは船外機ではなく櫓(ろ)に変えてゆっくりと進んだ。

川の両側にはアジサイが満開になっていて雰囲気がとても良く、船頭さんは11本の橋の名前と由来などの説明をしてくれながら、舟を漕いでくれた。

それぞれの橋は全く違った顔を見せていた。

「憩いの橋」と名付けられた場所には売店があり、舟から買い物ができるようにもなっていたが、この日はお休みだった。

説明によると、昔はこの橋すべてが川の右岸にあった家のものらしく、左岸に道路があってそこに行くためのものだったとか。

(現在は観光名所なので市が整備と管理をしている)

 

[水仙橋]

 

[おもいで橋]

昔の橋に近い姿、現在は渡ることができないらしい。

 

「十二橋めぐり」を終えた後は次の見学地の町並みの方へ移動した。

約30分の車での移動だった。

 

 「佐原の町並み」 

佐原は利根川の水運によって江戸時代から繁栄してきた町。

市内を流れる小野川の両岸には、古い商家、レンガ造りの家、酒造所、護岸には「だし」と呼ばれる荷揚げ場などが並んでいる。

こうした古くからの落ち着いた風格のある場所一帯は「伝統的建造物群保存地区及び景観形成地区」に指定されている。

 

[街並みと小野川]

 

そんな小野川に沿ってお店をのぞいたりしながら歩いていくと、伊能忠敬の生家があった。

生家は内部の見学ができるようになっていて、裏庭には忠敬の銅像も立っていた。

 

『伊能家は酒や醤油の醸造などを営む佐原の名主で、その家に忠敬は17歳で婿入りし、50歳で隠居。

その翌年から日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた。』

と、このような説明が書いてあった。

 

伊能家の前にあったのが、有名な通称「じゃあじゃあ橋」と呼ばれる橋で、正式名称は「樋橋(とよはし)」

この橋は江戸時代初期に造られ、農業用水を水田に送るために架けられた大きな樋(水を運ぶ装置)で、あふれ出す水が川に流れ落ちる音から「じゃあじゃあ橋」になったらしい。

 

まだ水が流れていない。

 

1日数回観光用に流している。

これは午後3時に流れた時。

 

こうして昔の雰囲気を味わいながら佐原の町歩きは終わった。

 

 

 

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