映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「日本の悲劇」 木下恵介&望月優子

2015-08-05 21:39:04 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「日本の悲劇」は昭和28年制作の木下恵介作品である。
名画座で見てきました。


望月優子というと社会党の代議士時代のイメージが強すぎる。労働者の味方という仮面をかぶった偽善者のような気がして何か好きになれない女優であった。そのせいもあるのか、キネマ旬報6位の木下恵介作品にもかかわらず、「日本の悲劇」を見るのがずっと後回しになってしまった。でも今回かなり古いプリントの映像で見たが、想像よりもよかった。傑作だと思う。
戦争未亡人が2人の子供に高等教育を受けさせるために、自分の身を売りながら裏稼業にも手をつけしぶとく生きていく姿を映しだす。この時代はこういう裏の世界で生きていく女を描いた映画多いよなあ。戦後10年たっていないころなので、先行きに希望が見えなかったのかもしれないけど

木下恵介作品の場合、バックで木下忠司のちょっとうるさい音楽が耳についてイヤな場合があるが、この映画は余計な音がない。逆に佐田啓二扮する流しに「湯の街エレジー」を歌わさせるのが味がある。

熱海の旅館「伊豆花」に女中として働く春子(望月優子)は夫を空襲で亡くした。終戦前後の混乱どき、歌子と清一の二児をかかえて、闇のかつぎ屋にまで身を落し、唯一の財産だった家も義兄夫婦にわがものにされる。
二人の子供は成長して、長女歌子(桂木洋子)は21歳で洋裁学校と英語塾に通っている。清一(田浦正巳)は東京で大学の医学部にて学ぶ。女手だけで育てているのに二人が母に冷めたいのは、母と客との酔態を見てしまったからである。歌子は、その美貌にもかかわらず嫁入り先がない。英語塾教師赤沢(上原謙)が彼女に心を傾けているが、それを感じた妻霧子(高杉早苗)が激しく嫉妬している。一方清一は、戦争で息子を失った資産家の医師から養子にのぞまれ、籍を移してくれと母に頼んでくる。春子はこれまで育ててきた苦労を強調し反対する。


また、春子は客に勧められ、株式投資をしているが損している。取り返そうと追加買いをするため、なじみの客から金を借りたが、うまくいかない。その借金を返済するために、終いには娘の貯金まであてにしようとする。苦労した母に2人の子供がなつこうとしないのであるが。。。

「日本の悲劇」という題名がどうもしっくりこない。そんなに悲劇には見えない。こんな感じに社会の底辺でたくましく生きる女性は多かったんじゃないだろうか?戦後の名作といわれている現代劇は成瀬巳喜男作品にせよ、溝口健二作品にせよ同じような境遇の女性が大勢いる。その時代は自分が生まれるより少し前であるが、実際に多かったからこういう映画もつくられたんだろう。

でも主人公の不遇を描くだけだったら、この映画物足りなかったのかもしれない。この映画では娘と英語塾の教師が不倫をするという構図があるので話の幅が広がっておもしろい。戦前は姦通罪があるから完全にアウトなんだけど、だいたいこの時期くらいから不倫を題材にしている映画が増えてくる。この映画では娘と教師の奥さんとの会話がなかなかおもしろい。いかにも女のイヤミな情念を描くのは実質独身をとおした木下恵介ぽい脚本というべきか。

1.裏稼業に手をつける主人公
小学校で学級委員を選ぶ場面が出てくる。一人の少女が手をあげて、○さんの家ではヤミ米を流通する仕事をしているから委員には適さないなんて、バカなことをいう少女がいる。すると逆にその少女の家でもヤミ米を食べているんじゃないかという反論が出てくる。その少女は食べるのと、商売にするのは違うなんてまたまた反論だ。
きっとこういう話は日常されていたんだろう。城山三郎「小説日本銀行」にインフレ対策をしない日銀行員の没落が語られる。映画でもバカまじめにやってひもじい思いをした大学教授がいたんなんて語られる。
そう考えると、現代の異常なまでのコンプライアンス社会は、世の中がうまくいっているからこそ語られることではないかと思う。法令順守でも商売がうまくいくのである。直近でいえばアベノミクスに基づく経済政策がうまくいっているからである。昭和20年代は混乱の時期でそうはいかなかったんだろうなあ。そういう時代に育っていなくてラッキーだ。

2.母親になつかない子供たち
これがよくわからない。
いくら裏稼業に手を出していたとはいえ、自分を育ててくれた母親である。普通大学にいくのも10%台だったんじゃないか?医学部に通っている弟は昭和28年に19歳というと昭和9年生まれ、まさに新制中学に通う年代で、普通であれば高校すらいけない。統計をみると1950年の中学卒業の就職率は45%だ。1953年の大学進学率も就職した人が通う夜間大学をふくめてその高校卒業者の40%程度だ。そんな時代に大学までだしてあげているのに、いくらなんでも子供2人のこんなに冷たい態度はないでしょうと思えてくる。


しかもある医者に養子に来ないかといわれている。これも母親を説得するいい方ってあるでしょう。この望月優子演じる主人公には同情してしまう。これまで母親に世話になったんだから、今後も一部仕送りをしたいと言えば済む話なのにそういう話すらない。
もっともあえて変な奴と思わせるように木下恵介が脚本をつくったのかもしれない。
最後に「おかあさん」という言葉を息子が言うようになってようやく母親が養子縁組を承諾する。これだけで急変する気持ちもよくわからない。

3.娘と英語教師との不倫
先日山本富士子主演「夜の河」を見たが、そこでも上原謙が浮気をしている。この手の類の役が一番まわっていった時期なのかもしれない。その上原謙扮する英語教師はむしろ一方的に主人公の娘歌子に恋をして、日記にその想いを書いている。それを妻にこっそり見られた。妻は自分の娘を連れて歌子の下宿を訪ねて、娘のために洋服をつくってくれと頼みに来る。これはあくまで皮肉だ。ここでの会話がいかにも女性的で極めておもしろい。妻も歌子も女のエグイ部分を全面にだした会話だ。


あえて相手の言うことの反対をつこうとする会話で、こういえば絶対相手はおこるんだろうなあという話し方をわざとする。これ自体は今でも同じように女性どうし世間一般で繰り広げられているかもしれない。
ここで感じるのは実質独身をとおした木下恵介の女嫌いだ。女がらみの面倒くさいことには日常巻き込まれたくないという気持ちをもっているのがよくわかる。

色々言ったが、同じ木下作品でも「二十四の瞳」とはまったく真逆でおもしろい。社会派映画といっても、赤におぼれた映画ではなく、戦争によって図らずも世間の荒波にさらされたたくましい女を描いているだけだ。

(参考作品)
日本の悲劇
苦労人の戦争未亡人と2人の子供との葛藤


赤線地帯
溝口健二監督がドツボにはまった女たちを描く


浮雲
成瀬巳喜男監督が描く戦後没落した女
コメント (2)
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映画「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」ヴィム・ヴェンダース

2015-08-05 06:18:01 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」を映画館で見てきました。


世界的な報道写真家セバスチャン・サルガドの膨大な作品と、本人へのインタビューで構成するドキュメンタリーである。映画解説を読んでいて、ものすごい写真がいくつかあり、自然に映画館に引き寄せられた。予想通り見応えのある映像でおすすめのドキュメンタリーだ。。

20数年前、映画監督ヴィム・ヴェンダースが、写真家セバスチャン・サルガドが撮った一枚の写真に魅せられる。難民となったトゥアレグ族の盲目の女性の写真である。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』などドキュメンタリー監督としても精力的に活動するヴィム・ヴェンダースは、サルガドの長男で映画作家のジュリアーノ・リベイロ・サルガドが共同監督を務め、この作品を作り上げた。


セバスチャン・サルガドもともと写真家を目指していたわけではない。ブラジルの小さな農場主の息子として生まれて経済学を学んだ後にフリーランスの写真家になったのだ。


南米やアフリカにいったり、貧困にあえぐアフリカ難民の姿を撮ったり、被写体は多岐にわたる。結局被写体が人間から自然環境になった理由、そして生まれ育った農場を干ばつによる荒廃から植林によって再生させた活動“インスティテュート・テラ”を映しだす。
彼が撮ってきた写真の歩みにインタビューを組みこむ。その映像の迫力はすごい。
予告編↓




ネタばれ気味だが、いくつか印象に残る写真をピックアップする。

まずは金鉱で働く労働者たちの映像にびっくりする。アリの巣のようだ。
 

ブラジルの金鉱セラ・パラーダを見渡したサルガドが言う。「体中に鳥肌が立った。人類の歴史とピラミッド建設の歴史、バベルの塔やソロモンの洞窟だった」5万人いる労働者たちは金鉱山を金の入った砂を取ろうとして1日に何度も上下往復する。これは命懸けだ。見るからにヒヤヒヤするが、落ちる人はいないという。サルガドは、カメラを担いで1日に何度も往復して撮るのだけど、この場面を最初に見た時は恐れおののいただろうなあ。






なんとも言えない美しさである。よくもまあこんな大群の被写体に近づいたものだ。
白クマに接近する映像もいい感じだ。


クウェートが侵攻され、油田が破壊される映像も凄い


映画の最後に出てくる。アマゾン奥にいる部族が近年発見されて、そこを訪れる。全裸であごのところに角みたいなものがある。女の人が赤い色のパウダー??を塗りたくっている。この部族についての記述は16世紀のイエズス会の著述にもあるそうだ。昔の人って冒険家なんだよね。この人たちイスラムの一夫多妻でなく一妻多夫なんてことがあるらしい。女性天国だ。

メインはエチオピア、ルワンダ、コンゴの難民たちの悲惨な姿を撮った写真だ。あまりにも悲惨なのでここには載せない。
サルガドは、時間をかけじっくりと被写体に寄り添い撮るらしい。どう考えても、これらの写真はホテル住まいで撮ったものでなく。キャンプに寝そべって撮ったのであろう。栄養失調で苦しみ、コレラで死んでいる人たちの中で生活するってこと自体が信じられない。

(参考作品)
Genesis
サルガドの写真集


Africa
写真集
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映画「新宿泥棒日記」 大島渚&横尾忠則&横山リエ

2015-08-03 05:40:19 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「新宿泥棒日記」は昭和44年(1969年)公開の大島渚監督作品である。


ずっと気になっていながらなかなか見れなかった作品である。国立近代美術館シネマの特集でようやく見ることができた。

東大入試が中止になる前年の昭和43年といえば、歴史的に新宿は学園紛争で荒れ放題だった印象をもつ。その夏に紀伊国屋書店で万引きをした若者(横尾忠則)をとっ捕まえて社長の元につきだす若い女性書店員(横山リエ)と万引き犯との妙な関係に、紀伊国屋書店社長田辺茂一氏を実名で登場させからませるのが基本ストーリー。そこに当時花園神社境内で赤テントを張っていた唐十郎劇団のメンバーを混在させ、現実か虚実か何が何だかよくわからない世界をつくりあげている。


想像よりも唐十郎の「状況劇場」の存在が大きい。何が何だかわかりづらい前衛劇と映画の根幹となる2人の物語をからませる。
息子の大森南朋たち2人が現代映画界を引っ張る麿赤兒と途中から出てくる李礼仙の存在感が凄い。
また、実写と思われる学生運動をひきいる暴徒たちによる新宿東口交番への乱入を映しだす。

1.横尾忠則
もうこのころにはイラストレーターとして、一定の地位を築きあげているころである。寺山修二や三島由紀夫とも一緒に仕事をしていた時代の寵児だった。ここでは劇中役に岡の上鳥男なんて妙な名前をつけている。田辺氏の出身校にあわせて慶應義塾の勝利の歌「丘の上」をひっかけたようだ。
俳優ではないので棒読みである。でも妙に味があり、状況劇場の赤テントの中で由比小雪役で活躍する。最後にむけての横山リエとのネチッコイからみは横尾ファンにとっては貴重な映像だろう。

2.横山リエ
当時まだ20歳である。それにしても美しいし、大人の女の雰囲気を醸し出す。そして脱ぎっぷりが潔い。そののち高橋洋子主演「旅の重さ」や「遠雷」あたりでも主演級の活躍をする。この映画の出演者は当時の彼女よりもみんな格上なのに、そう感じさせない貫禄をもつ。今でも飲み屋を営んで元気だ。


3.田辺茂一
その昔は遊び人の社長ということでテレビによく出ていたなあ。特に深夜。今回映像で見て妙に懐かしくなった。ただ、セリフの棒読みは横尾忠則と同じようなものだ。この映画はかなりの低予算と想像されるが、紀伊國屋がスポンサーになったのであろう。書店内でかなりの部分撮影されているし、ちょっとだけ出るのではなく田辺社長の出演場面が多い。いかにも大島が敬意を表している印象をもつ。


4.唐十郎&李礼仙
いきなり新宿東口広場で、裸でパフォーマンスをする唐十郎を映しだす。入れ墨をしたふんどし姿だ。なんかよくわかんねえなあ。と思っているうちに映像が変わる。そののちも何度か出てくるがよくわからない存在だ。

しかし、途中から赤テント内の光景を映しだすようになってから、少し様相が変わってくる。特に、李礼仙のエキゾティックな表情にインパクトの強さを感じる。実際に唐十郎の状況劇場はそのころ新宿花園神社でテント劇をやっていたようだ。隣のゴールデン街からもたくさん観客が流れていたんだろう。もしかして大島渚は当時アングラで人気の唐十郎を撮るためにこの映画をつくったのかなという気がしてくる。

昭和30年代に松竹でとった大島渚作品と比較すると、ちょっと肌合いが違う。先ず何より金がなくてつくったという匂いがプンプンする。
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