映画「日本の悲劇」は昭和28年制作の木下恵介作品である。
名画座で見てきました。
望月優子というと社会党の代議士時代のイメージが強すぎる。労働者の味方という仮面をかぶった偽善者のような気がして何か好きになれない女優であった。そのせいもあるのか、キネマ旬報6位の木下恵介作品にもかかわらず、「日本の悲劇」を見るのがずっと後回しになってしまった。でも今回かなり古いプリントの映像で見たが、想像よりもよかった。傑作だと思う。
戦争未亡人が2人の子供に高等教育を受けさせるために、自分の身を売りながら裏稼業にも手をつけしぶとく生きていく姿を映しだす。この時代はこういう裏の世界で生きていく女を描いた映画多いよなあ。戦後10年たっていないころなので、先行きに希望が見えなかったのかもしれないけど
木下恵介作品の場合、バックで木下忠司のちょっとうるさい音楽が耳についてイヤな場合があるが、この映画は余計な音がない。逆に佐田啓二扮する流しに「湯の街エレジー」を歌わさせるのが味がある。
熱海の旅館「伊豆花」に女中として働く春子(望月優子)は夫を空襲で亡くした。終戦前後の混乱どき、歌子と清一の二児をかかえて、闇のかつぎ屋にまで身を落し、唯一の財産だった家も義兄夫婦にわがものにされる。
二人の子供は成長して、長女歌子(桂木洋子)は21歳で洋裁学校と英語塾に通っている。清一(田浦正巳)は東京で大学の医学部にて学ぶ。女手だけで育てているのに二人が母に冷めたいのは、母と客との酔態を見てしまったからである。歌子は、その美貌にもかかわらず嫁入り先がない。英語塾教師赤沢(上原謙)が彼女に心を傾けているが、それを感じた妻霧子(高杉早苗)が激しく嫉妬している。一方清一は、戦争で息子を失った資産家の医師から養子にのぞまれ、籍を移してくれと母に頼んでくる。春子はこれまで育ててきた苦労を強調し反対する。
また、春子は客に勧められ、株式投資をしているが損している。取り返そうと追加買いをするため、なじみの客から金を借りたが、うまくいかない。その借金を返済するために、終いには娘の貯金まであてにしようとする。苦労した母に2人の子供がなつこうとしないのであるが。。。
「日本の悲劇」という題名がどうもしっくりこない。そんなに悲劇には見えない。こんな感じに社会の底辺でたくましく生きる女性は多かったんじゃないだろうか?戦後の名作といわれている現代劇は成瀬巳喜男作品にせよ、溝口健二作品にせよ同じような境遇の女性が大勢いる。その時代は自分が生まれるより少し前であるが、実際に多かったからこういう映画もつくられたんだろう。
でも主人公の不遇を描くだけだったら、この映画物足りなかったのかもしれない。この映画では娘と英語塾の教師が不倫をするという構図があるので話の幅が広がっておもしろい。戦前は姦通罪があるから完全にアウトなんだけど、だいたいこの時期くらいから不倫を題材にしている映画が増えてくる。この映画では娘と教師の奥さんとの会話がなかなかおもしろい。いかにも女のイヤミな情念を描くのは実質独身をとおした木下恵介ぽい脚本というべきか。
1.裏稼業に手をつける主人公
小学校で学級委員を選ぶ場面が出てくる。一人の少女が手をあげて、○さんの家ではヤミ米を流通する仕事をしているから委員には適さないなんて、バカなことをいう少女がいる。すると逆にその少女の家でもヤミ米を食べているんじゃないかという反論が出てくる。その少女は食べるのと、商売にするのは違うなんてまたまた反論だ。
きっとこういう話は日常されていたんだろう。城山三郎「小説日本銀行」にインフレ対策をしない日銀行員の没落が語られる。映画でもバカまじめにやってひもじい思いをした大学教授がいたんなんて語られる。
そう考えると、現代の異常なまでのコンプライアンス社会は、世の中がうまくいっているからこそ語られることではないかと思う。法令順守でも商売がうまくいくのである。直近でいえばアベノミクスに基づく経済政策がうまくいっているからである。昭和20年代は混乱の時期でそうはいかなかったんだろうなあ。そういう時代に育っていなくてラッキーだ。
2.母親になつかない子供たち
これがよくわからない。
いくら裏稼業に手を出していたとはいえ、自分を育ててくれた母親である。普通大学にいくのも10%台だったんじゃないか?医学部に通っている弟は昭和28年に19歳というと昭和9年生まれ、まさに新制中学に通う年代で、普通であれば高校すらいけない。統計をみると1950年の中学卒業の就職率は45%だ。1953年の大学進学率も就職した人が通う夜間大学をふくめてその高校卒業者の40%程度だ。そんな時代に大学までだしてあげているのに、いくらなんでも子供2人のこんなに冷たい態度はないでしょうと思えてくる。
しかもある医者に養子に来ないかといわれている。これも母親を説得するいい方ってあるでしょう。この望月優子演じる主人公には同情してしまう。これまで母親に世話になったんだから、今後も一部仕送りをしたいと言えば済む話なのにそういう話すらない。
もっともあえて変な奴と思わせるように木下恵介が脚本をつくったのかもしれない。
最後に「おかあさん」という言葉を息子が言うようになってようやく母親が養子縁組を承諾する。これだけで急変する気持ちもよくわからない。
3.娘と英語教師との不倫
先日山本富士子主演「夜の河」を見たが、そこでも上原謙が浮気をしている。この手の類の役が一番まわっていった時期なのかもしれない。その上原謙扮する英語教師はむしろ一方的に主人公の娘歌子に恋をして、日記にその想いを書いている。それを妻にこっそり見られた。妻は自分の娘を連れて歌子の下宿を訪ねて、娘のために洋服をつくってくれと頼みに来る。これはあくまで皮肉だ。ここでの会話がいかにも女性的で極めておもしろい。妻も歌子も女のエグイ部分を全面にだした会話だ。
あえて相手の言うことの反対をつこうとする会話で、こういえば絶対相手はおこるんだろうなあという話し方をわざとする。これ自体は今でも同じように女性どうし世間一般で繰り広げられているかもしれない。
ここで感じるのは実質独身をとおした木下恵介の女嫌いだ。女がらみの面倒くさいことには日常巻き込まれたくないという気持ちをもっているのがよくわかる。
色々言ったが、同じ木下作品でも「二十四の瞳」とはまったく真逆でおもしろい。社会派映画といっても、赤におぼれた映画ではなく、戦争によって図らずも世間の荒波にさらされたたくましい女を描いているだけだ。
(参考作品)
名画座で見てきました。
望月優子というと社会党の代議士時代のイメージが強すぎる。労働者の味方という仮面をかぶった偽善者のような気がして何か好きになれない女優であった。そのせいもあるのか、キネマ旬報6位の木下恵介作品にもかかわらず、「日本の悲劇」を見るのがずっと後回しになってしまった。でも今回かなり古いプリントの映像で見たが、想像よりもよかった。傑作だと思う。
戦争未亡人が2人の子供に高等教育を受けさせるために、自分の身を売りながら裏稼業にも手をつけしぶとく生きていく姿を映しだす。この時代はこういう裏の世界で生きていく女を描いた映画多いよなあ。戦後10年たっていないころなので、先行きに希望が見えなかったのかもしれないけど
木下恵介作品の場合、バックで木下忠司のちょっとうるさい音楽が耳についてイヤな場合があるが、この映画は余計な音がない。逆に佐田啓二扮する流しに「湯の街エレジー」を歌わさせるのが味がある。
熱海の旅館「伊豆花」に女中として働く春子(望月優子)は夫を空襲で亡くした。終戦前後の混乱どき、歌子と清一の二児をかかえて、闇のかつぎ屋にまで身を落し、唯一の財産だった家も義兄夫婦にわがものにされる。
二人の子供は成長して、長女歌子(桂木洋子)は21歳で洋裁学校と英語塾に通っている。清一(田浦正巳)は東京で大学の医学部にて学ぶ。女手だけで育てているのに二人が母に冷めたいのは、母と客との酔態を見てしまったからである。歌子は、その美貌にもかかわらず嫁入り先がない。英語塾教師赤沢(上原謙)が彼女に心を傾けているが、それを感じた妻霧子(高杉早苗)が激しく嫉妬している。一方清一は、戦争で息子を失った資産家の医師から養子にのぞまれ、籍を移してくれと母に頼んでくる。春子はこれまで育ててきた苦労を強調し反対する。
また、春子は客に勧められ、株式投資をしているが損している。取り返そうと追加買いをするため、なじみの客から金を借りたが、うまくいかない。その借金を返済するために、終いには娘の貯金まであてにしようとする。苦労した母に2人の子供がなつこうとしないのであるが。。。
「日本の悲劇」という題名がどうもしっくりこない。そんなに悲劇には見えない。こんな感じに社会の底辺でたくましく生きる女性は多かったんじゃないだろうか?戦後の名作といわれている現代劇は成瀬巳喜男作品にせよ、溝口健二作品にせよ同じような境遇の女性が大勢いる。その時代は自分が生まれるより少し前であるが、実際に多かったからこういう映画もつくられたんだろう。
でも主人公の不遇を描くだけだったら、この映画物足りなかったのかもしれない。この映画では娘と英語塾の教師が不倫をするという構図があるので話の幅が広がっておもしろい。戦前は姦通罪があるから完全にアウトなんだけど、だいたいこの時期くらいから不倫を題材にしている映画が増えてくる。この映画では娘と教師の奥さんとの会話がなかなかおもしろい。いかにも女のイヤミな情念を描くのは実質独身をとおした木下恵介ぽい脚本というべきか。
1.裏稼業に手をつける主人公
小学校で学級委員を選ぶ場面が出てくる。一人の少女が手をあげて、○さんの家ではヤミ米を流通する仕事をしているから委員には適さないなんて、バカなことをいう少女がいる。すると逆にその少女の家でもヤミ米を食べているんじゃないかという反論が出てくる。その少女は食べるのと、商売にするのは違うなんてまたまた反論だ。
きっとこういう話は日常されていたんだろう。城山三郎「小説日本銀行」にインフレ対策をしない日銀行員の没落が語られる。映画でもバカまじめにやってひもじい思いをした大学教授がいたんなんて語られる。
そう考えると、現代の異常なまでのコンプライアンス社会は、世の中がうまくいっているからこそ語られることではないかと思う。法令順守でも商売がうまくいくのである。直近でいえばアベノミクスに基づく経済政策がうまくいっているからである。昭和20年代は混乱の時期でそうはいかなかったんだろうなあ。そういう時代に育っていなくてラッキーだ。
2.母親になつかない子供たち
これがよくわからない。
いくら裏稼業に手を出していたとはいえ、自分を育ててくれた母親である。普通大学にいくのも10%台だったんじゃないか?医学部に通っている弟は昭和28年に19歳というと昭和9年生まれ、まさに新制中学に通う年代で、普通であれば高校すらいけない。統計をみると1950年の中学卒業の就職率は45%だ。1953年の大学進学率も就職した人が通う夜間大学をふくめてその高校卒業者の40%程度だ。そんな時代に大学までだしてあげているのに、いくらなんでも子供2人のこんなに冷たい態度はないでしょうと思えてくる。
しかもある医者に養子に来ないかといわれている。これも母親を説得するいい方ってあるでしょう。この望月優子演じる主人公には同情してしまう。これまで母親に世話になったんだから、今後も一部仕送りをしたいと言えば済む話なのにそういう話すらない。
もっともあえて変な奴と思わせるように木下恵介が脚本をつくったのかもしれない。
最後に「おかあさん」という言葉を息子が言うようになってようやく母親が養子縁組を承諾する。これだけで急変する気持ちもよくわからない。
3.娘と英語教師との不倫
先日山本富士子主演「夜の河」を見たが、そこでも上原謙が浮気をしている。この手の類の役が一番まわっていった時期なのかもしれない。その上原謙扮する英語教師はむしろ一方的に主人公の娘歌子に恋をして、日記にその想いを書いている。それを妻にこっそり見られた。妻は自分の娘を連れて歌子の下宿を訪ねて、娘のために洋服をつくってくれと頼みに来る。これはあくまで皮肉だ。ここでの会話がいかにも女性的で極めておもしろい。妻も歌子も女のエグイ部分を全面にだした会話だ。
あえて相手の言うことの反対をつこうとする会話で、こういえば絶対相手はおこるんだろうなあという話し方をわざとする。これ自体は今でも同じように女性どうし世間一般で繰り広げられているかもしれない。
ここで感じるのは実質独身をとおした木下恵介の女嫌いだ。女がらみの面倒くさいことには日常巻き込まれたくないという気持ちをもっているのがよくわかる。
色々言ったが、同じ木下作品でも「二十四の瞳」とはまったく真逆でおもしろい。社会派映画といっても、赤におぼれた映画ではなく、戦争によって図らずも世間の荒波にさらされたたくましい女を描いているだけだ。
(参考作品)
「日本の悲劇」 | |
苦労人の戦争未亡人と2人の子供との葛藤 | |
赤線地帯 | |
溝口健二監督がドツボにはまった女たちを描く | |
浮雲 | |
成瀬巳喜男監督が描く戦後没落した女 | |