映画「たかが世界の終わりJuste la fin du monde」は2017年日本公開のカナダ制作フランス映画
ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティアール、ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥと現代フランス映画を代表する主演級を集めてできた作品で、グザヴィエ・ドラン監督がメガホンをとる。カンヌ映画祭グランプリに輝く作品である。
1995年、38歳の若さで亡くなったフランスの劇作家ジャン=リュック・ラガルスの戯曲に「まさに世界の終わり」がある。これをグザヴィエ・ドラン監督が映画にした。長きにわたる日々を描いているわけではない。死を告げるために久々に実家に帰った主人公が、実家にいる母、兄、兄嫁、妹の4人と過ごす1日を描いているのだ。死に至る前の自らの帰郷体験が基調にあったのかもしれない。
ここで繰り広げられるのは、フランスを代表する国際俳優たちで繰り広げられる演技合戦だ。久々帰郷した主人公がそれぞれの肉親および兄嫁と会話を交わす。それ自体は日常ありがちな会話に聞こえる。けっして、非現実的ではない。ただ、長年のお互いの思いがうまく通じ合えないところがある。しかも、少し卑屈な生き方をしている人もいる。久々出会って本来はもっと楽しく会話をしたいところがそうならないもどかしさが我々には伝わる。
「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ(ギャスパー・ウリエル)。母のマルティーヌ(ナタリー・バイ)は息子の好きだった料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)は慣れないオシャレをして待っていた。浮足立つ二人と違って、素っ気なく迎える兄のアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)、彼の妻のカトリーヌ(マリオン・コティアール)はルイとは初対面だ。
オードブルにメインと、まるでルイが何かを告白するのを恐れるかのように、ひたすら続く意味のない会話。戸惑いながらも、デザートの頃には打ち明けようと決意するルイ。だが、過熱していく兄の激しい言葉が頂点に達した時、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる――――。(作品情報より)
帰郷したルイはナイーブだ。口数は少ない。その一方で4人はよくしゃべる。兄嫁が自分の子供の名づけかたなど話す。それを兄がそんな話ルイに話をしても楽しくないだろうとチャチャを入れる。お互いが話すことそれぞれをお互い気に入らない。すぐさま家族げんかになってしまう。母親は仲よくしてほしいと望むがそうならない。でもこんな感じ、日本でもよくあることなのかもしれない。久々の再会で最初はよそゆきの会話をしていても、しばらくしてお互いのいやがることに触れて混乱する。ぜんぜん非日常でない会話が続く。
グザヴィエ・ドラン監督はまだ28歳なのに若くしてすばらしいキャリアを積んでいる。その成果はすばらしいということもあるせいか、フランスを代表する俳優5人が集まった。これもすごいことである。
彼はカンヌ国際映画祭での受賞スピーチで述べる。「登場する人物は意地悪く、時に毒を吐きますが、何よりみな心に傷を負った人たちです。彼らは我々の周りにいる人たち、母や兄弟、姉妹たちの多くがそうであるように、恐怖を感じ、自信を失い、愛されていると確信できないで生きています。そんな登場人物たちの感情を描き出すことを、僕は目指しました」と。
何でこんなこと言うの?というようなヴァンサン・カッセルの癇癪とその癇癪に真っ向から対抗するレア・セドゥのあばずれぶりが印象的だけど、それぞれの俳優の演技合戦に優越はない。その実力を引き出した天才監督グザヴィエ・ドランの将来を期待したい。
ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティアール、ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥと現代フランス映画を代表する主演級を集めてできた作品で、グザヴィエ・ドラン監督がメガホンをとる。カンヌ映画祭グランプリに輝く作品である。
1995年、38歳の若さで亡くなったフランスの劇作家ジャン=リュック・ラガルスの戯曲に「まさに世界の終わり」がある。これをグザヴィエ・ドラン監督が映画にした。長きにわたる日々を描いているわけではない。死を告げるために久々に実家に帰った主人公が、実家にいる母、兄、兄嫁、妹の4人と過ごす1日を描いているのだ。死に至る前の自らの帰郷体験が基調にあったのかもしれない。
ここで繰り広げられるのは、フランスを代表する国際俳優たちで繰り広げられる演技合戦だ。久々帰郷した主人公がそれぞれの肉親および兄嫁と会話を交わす。それ自体は日常ありがちな会話に聞こえる。けっして、非現実的ではない。ただ、長年のお互いの思いがうまく通じ合えないところがある。しかも、少し卑屈な生き方をしている人もいる。久々出会って本来はもっと楽しく会話をしたいところがそうならないもどかしさが我々には伝わる。
「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ(ギャスパー・ウリエル)。母のマルティーヌ(ナタリー・バイ)は息子の好きだった料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)は慣れないオシャレをして待っていた。浮足立つ二人と違って、素っ気なく迎える兄のアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)、彼の妻のカトリーヌ(マリオン・コティアール)はルイとは初対面だ。
オードブルにメインと、まるでルイが何かを告白するのを恐れるかのように、ひたすら続く意味のない会話。戸惑いながらも、デザートの頃には打ち明けようと決意するルイ。だが、過熱していく兄の激しい言葉が頂点に達した時、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる――――。(作品情報より)
帰郷したルイはナイーブだ。口数は少ない。その一方で4人はよくしゃべる。兄嫁が自分の子供の名づけかたなど話す。それを兄がそんな話ルイに話をしても楽しくないだろうとチャチャを入れる。お互いが話すことそれぞれをお互い気に入らない。すぐさま家族げんかになってしまう。母親は仲よくしてほしいと望むがそうならない。でもこんな感じ、日本でもよくあることなのかもしれない。久々の再会で最初はよそゆきの会話をしていても、しばらくしてお互いのいやがることに触れて混乱する。ぜんぜん非日常でない会話が続く。
グザヴィエ・ドラン監督はまだ28歳なのに若くしてすばらしいキャリアを積んでいる。その成果はすばらしいということもあるせいか、フランスを代表する俳優5人が集まった。これもすごいことである。
彼はカンヌ国際映画祭での受賞スピーチで述べる。「登場する人物は意地悪く、時に毒を吐きますが、何よりみな心に傷を負った人たちです。彼らは我々の周りにいる人たち、母や兄弟、姉妹たちの多くがそうであるように、恐怖を感じ、自信を失い、愛されていると確信できないで生きています。そんな登場人物たちの感情を描き出すことを、僕は目指しました」と。
何でこんなこと言うの?というようなヴァンサン・カッセルの癇癪とその癇癪に真っ向から対抗するレア・セドゥのあばずれぶりが印象的だけど、それぞれの俳優の演技合戦に優越はない。その実力を引き出した天才監督グザヴィエ・ドランの将来を期待したい。
たかが世界の終わり | |
現代フランス映画を代表する俳優の演技合戦 | |