映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

娘の文化祭見学とキューポラのある街

2008-09-05 22:14:24 | 映画(日本 昭和35年~49年)
家に帰ったら、娘が高校の文化祭を見に行く話をしていた。

まだ中学一年生である。女の子は早熟なのか?
自分が中一の時は考えもしなかった。
私は中学三年になって初めて高校の文化祭を見に行った。慶応高校の文化祭に行って、校舎の中を戸惑いながら歩いていた気がする。占いをやってもらったとき、ドキドキした。
今思うとそれまでトランプ占いなんてやってもらったことなかった。
また、慶応女子高校の学生とマンドリン?を仲良くやっている姿を見ていて良いなあと思った気がする。青春っていいなあと感じた想い出だ。

娘が行くのは昔からの浦和の名門公立女子高だ。
女の子の仲間同士4人くらいと自転車に乗っていくといっていた。妻は危ないといっていたが、約束だから行くのであろう。女子高はいじめがありそうだからいやだといって、娘は共学に行きたがる。それでいいのだと思う。
大学の同じクラスにその名門女子高出身の子がいた。おとなしい子であんまり話したことなかったが、埼玉の銀行へ就職した。昨年その銀行の役員さんと話す機会があって、彼女どうしているかと聞いたら、まだ独身でその銀行にお勤めしているとのことだった。埼玉の名門から名門へとわたっていまだ独身の人も多いんだろうなあ。そんな話を娘にしたら、やっぱりなあといっていたけど、人それぞれでしょう。

「キューポラのある街」という吉永小百合の代表作といわれる映画がある。川口が舞台のその名を知っていても見たことない人の方が多いかもしれない。川口駅に近い貧民街に生まれた吉永小百合は、鋳物工場に勤める職人東野英治郎を父にもつが、父はけんかばかりして家は貧しい。母親も飲み屋で働いて家計を支え、吉永小百合はパチンコ屋の機材の裏にいる球出しのバイトを中学生だてらにしている。
勉強はできるんだけれども、修学旅行に行く金すら困る彼女は高校進学をしたいのだけれども家計を考えて戸惑う。
その時に浦和の名門女子高校が映画の場面に出てくる。吉永小百合が川口駅で「浦和」と言って切符を買う。そして学校に向かい本当は行きたい女子高の校庭を眺める。場面では女子学生が仲良く体操をしていたシーンが印象に残る。本当にせつないシーンである。結局映画の中では、小百合は昼は仕事して夜は定時制という道に進む。
鋳物工場の社長の娘のところに勉強教えに行くくらい学力あるのにままならない彼女は、父親の職転を手伝おうとするが、「巨人の星」の星一徹がちゃぶ台をひっくり返すように荒れくれって父は言うことを聞かない。八方塞である。

そんなせつない姿は今はあまりないと思う。
娘の話を聞いてあの映画が目に浮かんだ。在日朝鮮人の問題も取り上げられていて、船に乗って北鮮に帰る人たちの姿も出てくる。川口駅前で大勢に送られた帰国者の姿も昔は多かったのであろう。今の川口駅前は近代化されて、あの面影はラストシーンで吉永小百合が走り回る陸橋以外見当たらない。。。。。





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2 コメント

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少しずれていると思う (さすらい日乗)
2015-03-06 13:43:22
この映画での「貧困」は、映画が公開された1961年には、かなり少なくなっていたと思う。と言うのも、原作は1950年代中頃のことで、それが評判になり、製作されたのが1960年ですから時代的にズレているのは仕方ないでしょう。経済の高度成長期にはこうしたズレは多かったと思う。

川口駅の北朝鮮への帰還のシーンは、大エキストラで大変だったそうです。
音楽の黛敏郎は、この時にすでに「自分と思想が違うので、協力したくない」と言ったそうですが、この川口駅のシーンには来て、音楽の指揮を取ってくれたそうです。

今村昌平の映画の音楽はほとんどが黛で、彼は今村の才能を認めていたのは、さすがですね。
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川口の貧困 (wangchai)
2015-03-08 11:36:54
川口は今でこそ鋳物工場の跡地にタワーマンションが立ち並び、町が変貌していますが、私が初めて川口で仕事した今から20年前では、貧富の差が激しい大阪のような印象をもちました。浦和と比較すると川口の方がイメージは悪いですが、サラリーマン主体の浦和とちがい得体のしれない大金持ちがいます。それも大阪と同じです。

埼玉で長く仕事したので、この映画では吉永小百合が勉強を教えているお嬢様のような川口出身の人にはずいぶんと出会いました。吉永さんと同世代でも、東京の私立女子高校出身が目立ちました。逆に川口周辺の飲み屋では高校中退の若い子やお姉さんにもずいぶん出会いました。そんなにいい育ち方はしていません。貧富の差が激しい前近代的家内工業主体の資本主義社会のような様相は川口ではかなり強いです。

平成のはじめでも貧富の差はかなり残っていたので、実際にその時代に育ってはいませんが、この映画の町の人々の生活は実態とはそんなにずれてはいないでしょう。

この映画の舞台となる金山町あたりには、平成になるころでも、小汚い掘立小屋も多かったですが、もう一掃されて現在はかなりきれいになっています。それでも、赤羽~川口というのは独特のムードをもっていて個人的には散歩するのが好きです。
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