映画「女の園」は1954年(昭和29年)の木下恵介監督作品である。
木下恵介監督は同じ昭和29年に名作「二十四の瞳」を監督している。当時のキネマ旬報ベスト10は凄い顔ぶれで、1位が「二十四の瞳」、3位が黒澤明「七人の侍」、5位が溝口健二監督の傑作で長谷川一夫、香川京子の演技が傑出している「近松物語」、6位が成瀬巳喜男監督山村聡主演の「山の音」となっている。「女の園」はその時の2位で「七人の侍」よりも上位だ。映画は個人的好き嫌いがあるので、順位をこだわっても仕方ないが、そのくらいに評価されている。
以前見たときには、高峰三枝子のイヤな女寮監ぶりと、姫路城を映す木下恵介らしいショットが強く印象に残っていた。「「良妻賢母育成の女子大学の厳しい規則に反抗する女子大学生と鬼の寮監との葛藤」が映画のテーマである。時代背景を考えると、このころはまだ女子の大学進学率が5%に満たないわけで、男女合わせた高校進学率さえ50%に達しようかという時代である。わずかしかいない女子大生たちの厳しい規則への抵抗それ自体は、特権階級のわがままとしか一般の市民から見れなかっただろう。同じ年の「二十四の瞳」と比較すると一般大衆には支持されなかったんだろうと推測する。
それでも、こうやって見直すと、本当に憎たらしいなあと自分に感じさせる高峰三枝子のうまさが光る。
京都郊外にある正倫女子大学は、校母大友女史(東山千栄子)の奉ずるいわゆる良妻賢母型女子育成を教育の理想とし、徹底した束縛主義で学生たちに臨んでいた。七つの寮に起居する学生たちは、補導監平戸喜平(金子信雄)、寮母五条真弓(高峰三枝子)などのきびしい干渉をうけていた。姫路の瀬戸物屋の娘である新入生の出石芳江(高峰秀子)は、三年程銀行勤めをしたのちに入学したせいか、消燈時間の禁を破ってまで勉強しなければほかの学生たちについて行くことが出来ず、その上、同郷の青年で東京の大学に学ぶ恋人下田参吉(田村高広)との自由な文通も許されぬ寮生活に苦痛を感じていた。
芳江と同室の新入生で敦賀から来ている滝岡富子(岸恵子)はテニスの選手だったが、テニス友達の大学生相良との交際が学校の忌にふれて冬休み前停学処分をうけてしまった。
赤い思想を持つと噂される奈良出身の上級生林野明子(久我美子)は、学校の有力な後援者の子女であるために、学校当局も特別扱いにしていた。冬休中、芳江は厳格な父の眼をくぐって参吉とほんの束の間逢うことができた。が、休みが明け、富子の休み中の行動を五条たちが糾弾したことから、明子を先頭に学生たちの自由を求める声は爆発した。かねて亡妻の面影を芳江に見出して、彼女に関心を抱いていた平戸は、学校側が騒ぎを起した学生たちを罰したとき、芳江だけに特に軽い処置をしたが。。。
1.昭和29年の時代背景
手元のデータを見ると、昭和30年の女子の大学進学率はわずか2.4%である。しかも、高校進学率が昭和25年で42%(女性だけで36%)、昭和34年で55%となっている。高校へ進学することすら半数に至っていない時代だということだ。60年代になると、農村の子供も高校へ行くようになり、70年代になるまでに高校進学率が80%を超えるようになる。そんな時代よりもずいぶんと前だ。映画を見る大部分の人たちからは羨望のまなざしで彼女たちが見られていたはずだ。
夜間の門限が厳しいばかりでなく、男性からの手紙ですら封を開けられてしまうのだ。いくらなんでも憲法の信書の秘密に抵触すると思ってしまうが、それで通じてしまう。そんな時代だったのである。ただ、こういう厳しい規則で縛られるというのはわかって入学したはずだ。この当時に大学いける家はそれなりに財産のあった家だろうから、選択は1つでなかったはずだろう。あくまで自己責任と自分は思ってしまう。
2.高峰三枝子
この映画のあと22年後に横溝正史原作市川崑監督「犬神家の一族」に高峰三枝子が出演し、重要な役柄を演じている。自分はこの映画は良くできた映画だと思っているが、それも高峰の名演によるものが大きいと感じる。「女の園」も同様だ。本当にイヤな女である。そのイヤな女ぶりを木下恵介は何度もアップで、その表情を映す。悪だくみを考えているなと思わせるわずかな表情の変化も見逃さない。
同じ1954年のアカデミー賞はエリアカザン監督「波止場」である。この映画では、主演のマーロンブランドの表情をアップで何度も追う。おそらくは顔のアップを活用するのがトレンドだった時代だったのかもしれない。
イヤな女だけど、考えようによっては職務に忠実な女性とも解せる。厳しい規則で良妻賢母を育成するための大学ということをわかって入学してきた女子大生を、期待に反せずきっちり教育するわけだから、反抗する女子学生の方が悪いと考えてもおかしくない。一緒に学校運営の幹部を演じるのが、なんと金子信雄である。これにはビックリだ。「仁義なき戦い」の組長役時代の面影が全くない。知って思わずふきだした。
3.高峰秀子
この映画のクレジットトップは両高峰の2人だ。姫路の瀬戸物屋の娘で、銀行に3年勤めた後に親からの結婚話を断ってむりやり女子大に入ったという設定である。当時30歳の高峰がこの役を演じるのは無理があるけど、仕方ないだろう。「二十四の瞳」の方が適役というのは言うまでもない。同郷の青年を演じる田村高広は「二十四の瞳」では教え子である。1年でこういう共演を2回してしまうなんて、今となってみれば、すごい話である。
この2人が大学について語る場面がある。その時のバックの天気はどんよりとしている。逆に姫路城で2人が映る時は快晴である。これは木下恵介の意図的なものを感じる。子役で木下監督の作品に出ていた方を知っている。その人によると、木下監督は天気が思い通りになるまで撮影を開始しなかったという。「カルメン故郷に帰る」など他のいくつかの映画でも感じることであるが、撮影の設定条件にはものすごくこだわっている印象を受ける。姫路城のロケ映像は貴重なものだと思う。
他の学生よりも、勉学に熱心である。若干遅れているから懸命に勉強する設定になっている。それにしても、数学の教科書をあけて悪戦苦闘しているが、どうみても理系の大学に見えないけど、数学やるかなあ?アカの巣京都じゃ数学を使う近代経済学もやっていなかっただろうしね。あと、最後の自殺ってどうも不自然な感じがぬぐえない。当時の人はどう感じたのであろうか?天皇陛下のため自ら命を絶つ人がいた時期からそんなにたっていないから、この自殺も不自然でなかったのかなあ??
4.岸恵子
この出演者で現代に通じる女子学生の顔をしているのは岸恵子くらいだ。主力3人ともう1人山本和子を除くと、女子学生の大多数が醜いと言ってもおかしくないくらいだ。実際に大学教育を受けるという人たちがわずかしかいないわけなんだから、その他大勢で映る女子学生の顔がどっかの工場の女工のようでドンくさくても仕方ない。61年たった今と比較すると違うもんだなあと感じる。
敦賀出身でテニスの選手という設定だ。プレイがいくつか映るが、ひどいもんだ。テニスコートの恋で名高い美智子皇后陛下はどの程度の腕前だったのであろうか?それでも彼女の洋装のあでやかさは際立っている。昭和29年の日本映画興行収入1位は前年に引き続き「君の名は・第3部」である。3位の「七人の侍」5位の「二十四の瞳」を上回る。当時の岸恵子の人気絶頂ぶりがよくわかる。
5.久我美子
溝口健二の作品で田中絹代主演「噂の女」がある。ここでの久我は現代的な雰囲気を醸し出してよかった。血統からいうと東山千栄子と同じくらい上流の出身だけど、ここではそんなによく見えない。アップで彼女の顔をくっきり映し出すが、アップに耐えられるような美貌ではない。社会主義思想に染まっているという設定だけど、はしかの様なものだ。お嬢さんの方が、アカ思想を唱えている男にひかれるなんて話はよく聞く。この映画で1つ好感が持てるのは妙に観念的なセリフを登場人物にしゃべらせていないこと。頭で整理できていないようなわけのわからないセリフをしゃべらせる映画はよくあるが、最悪だ。
木下恵介監督は同じ昭和29年に名作「二十四の瞳」を監督している。当時のキネマ旬報ベスト10は凄い顔ぶれで、1位が「二十四の瞳」、3位が黒澤明「七人の侍」、5位が溝口健二監督の傑作で長谷川一夫、香川京子の演技が傑出している「近松物語」、6位が成瀬巳喜男監督山村聡主演の「山の音」となっている。「女の園」はその時の2位で「七人の侍」よりも上位だ。映画は個人的好き嫌いがあるので、順位をこだわっても仕方ないが、そのくらいに評価されている。
以前見たときには、高峰三枝子のイヤな女寮監ぶりと、姫路城を映す木下恵介らしいショットが強く印象に残っていた。「「良妻賢母育成の女子大学の厳しい規則に反抗する女子大学生と鬼の寮監との葛藤」が映画のテーマである。時代背景を考えると、このころはまだ女子の大学進学率が5%に満たないわけで、男女合わせた高校進学率さえ50%に達しようかという時代である。わずかしかいない女子大生たちの厳しい規則への抵抗それ自体は、特権階級のわがままとしか一般の市民から見れなかっただろう。同じ年の「二十四の瞳」と比較すると一般大衆には支持されなかったんだろうと推測する。
それでも、こうやって見直すと、本当に憎たらしいなあと自分に感じさせる高峰三枝子のうまさが光る。
京都郊外にある正倫女子大学は、校母大友女史(東山千栄子)の奉ずるいわゆる良妻賢母型女子育成を教育の理想とし、徹底した束縛主義で学生たちに臨んでいた。七つの寮に起居する学生たちは、補導監平戸喜平(金子信雄)、寮母五条真弓(高峰三枝子)などのきびしい干渉をうけていた。姫路の瀬戸物屋の娘である新入生の出石芳江(高峰秀子)は、三年程銀行勤めをしたのちに入学したせいか、消燈時間の禁を破ってまで勉強しなければほかの学生たちについて行くことが出来ず、その上、同郷の青年で東京の大学に学ぶ恋人下田参吉(田村高広)との自由な文通も許されぬ寮生活に苦痛を感じていた。
芳江と同室の新入生で敦賀から来ている滝岡富子(岸恵子)はテニスの選手だったが、テニス友達の大学生相良との交際が学校の忌にふれて冬休み前停学処分をうけてしまった。
赤い思想を持つと噂される奈良出身の上級生林野明子(久我美子)は、学校の有力な後援者の子女であるために、学校当局も特別扱いにしていた。冬休中、芳江は厳格な父の眼をくぐって参吉とほんの束の間逢うことができた。が、休みが明け、富子の休み中の行動を五条たちが糾弾したことから、明子を先頭に学生たちの自由を求める声は爆発した。かねて亡妻の面影を芳江に見出して、彼女に関心を抱いていた平戸は、学校側が騒ぎを起した学生たちを罰したとき、芳江だけに特に軽い処置をしたが。。。
1.昭和29年の時代背景
手元のデータを見ると、昭和30年の女子の大学進学率はわずか2.4%である。しかも、高校進学率が昭和25年で42%(女性だけで36%)、昭和34年で55%となっている。高校へ進学することすら半数に至っていない時代だということだ。60年代になると、農村の子供も高校へ行くようになり、70年代になるまでに高校進学率が80%を超えるようになる。そんな時代よりもずいぶんと前だ。映画を見る大部分の人たちからは羨望のまなざしで彼女たちが見られていたはずだ。
夜間の門限が厳しいばかりでなく、男性からの手紙ですら封を開けられてしまうのだ。いくらなんでも憲法の信書の秘密に抵触すると思ってしまうが、それで通じてしまう。そんな時代だったのである。ただ、こういう厳しい規則で縛られるというのはわかって入学したはずだ。この当時に大学いける家はそれなりに財産のあった家だろうから、選択は1つでなかったはずだろう。あくまで自己責任と自分は思ってしまう。
2.高峰三枝子
この映画のあと22年後に横溝正史原作市川崑監督「犬神家の一族」に高峰三枝子が出演し、重要な役柄を演じている。自分はこの映画は良くできた映画だと思っているが、それも高峰の名演によるものが大きいと感じる。「女の園」も同様だ。本当にイヤな女である。そのイヤな女ぶりを木下恵介は何度もアップで、その表情を映す。悪だくみを考えているなと思わせるわずかな表情の変化も見逃さない。
同じ1954年のアカデミー賞はエリアカザン監督「波止場」である。この映画では、主演のマーロンブランドの表情をアップで何度も追う。おそらくは顔のアップを活用するのがトレンドだった時代だったのかもしれない。
イヤな女だけど、考えようによっては職務に忠実な女性とも解せる。厳しい規則で良妻賢母を育成するための大学ということをわかって入学してきた女子大生を、期待に反せずきっちり教育するわけだから、反抗する女子学生の方が悪いと考えてもおかしくない。一緒に学校運営の幹部を演じるのが、なんと金子信雄である。これにはビックリだ。「仁義なき戦い」の組長役時代の面影が全くない。知って思わずふきだした。
3.高峰秀子
この映画のクレジットトップは両高峰の2人だ。姫路の瀬戸物屋の娘で、銀行に3年勤めた後に親からの結婚話を断ってむりやり女子大に入ったという設定である。当時30歳の高峰がこの役を演じるのは無理があるけど、仕方ないだろう。「二十四の瞳」の方が適役というのは言うまでもない。同郷の青年を演じる田村高広は「二十四の瞳」では教え子である。1年でこういう共演を2回してしまうなんて、今となってみれば、すごい話である。
この2人が大学について語る場面がある。その時のバックの天気はどんよりとしている。逆に姫路城で2人が映る時は快晴である。これは木下恵介の意図的なものを感じる。子役で木下監督の作品に出ていた方を知っている。その人によると、木下監督は天気が思い通りになるまで撮影を開始しなかったという。「カルメン故郷に帰る」など他のいくつかの映画でも感じることであるが、撮影の設定条件にはものすごくこだわっている印象を受ける。姫路城のロケ映像は貴重なものだと思う。
他の学生よりも、勉学に熱心である。若干遅れているから懸命に勉強する設定になっている。それにしても、数学の教科書をあけて悪戦苦闘しているが、どうみても理系の大学に見えないけど、数学やるかなあ?アカの巣京都じゃ数学を使う近代経済学もやっていなかっただろうしね。あと、最後の自殺ってどうも不自然な感じがぬぐえない。当時の人はどう感じたのであろうか?天皇陛下のため自ら命を絶つ人がいた時期からそんなにたっていないから、この自殺も不自然でなかったのかなあ??
4.岸恵子
この出演者で現代に通じる女子学生の顔をしているのは岸恵子くらいだ。主力3人ともう1人山本和子を除くと、女子学生の大多数が醜いと言ってもおかしくないくらいだ。実際に大学教育を受けるという人たちがわずかしかいないわけなんだから、その他大勢で映る女子学生の顔がどっかの工場の女工のようでドンくさくても仕方ない。61年たった今と比較すると違うもんだなあと感じる。
敦賀出身でテニスの選手という設定だ。プレイがいくつか映るが、ひどいもんだ。テニスコートの恋で名高い美智子皇后陛下はどの程度の腕前だったのであろうか?それでも彼女の洋装のあでやかさは際立っている。昭和29年の日本映画興行収入1位は前年に引き続き「君の名は・第3部」である。3位の「七人の侍」5位の「二十四の瞳」を上回る。当時の岸恵子の人気絶頂ぶりがよくわかる。
5.久我美子
溝口健二の作品で田中絹代主演「噂の女」がある。ここでの久我は現代的な雰囲気を醸し出してよかった。血統からいうと東山千栄子と同じくらい上流の出身だけど、ここではそんなによく見えない。アップで彼女の顔をくっきり映し出すが、アップに耐えられるような美貌ではない。社会主義思想に染まっているという設定だけど、はしかの様なものだ。お嬢さんの方が、アカ思想を唱えている男にひかれるなんて話はよく聞く。この映画で1つ好感が持てるのは妙に観念的なセリフを登場人物にしゃべらせていないこと。頭で整理できていないようなわけのわからないセリフをしゃべらせる映画はよくあるが、最悪だ。
3人の主人公をのぞいた女学生の中で、その美形ぶりも含めて、1人だけ異様な存在感をもっていたのが山本和子でしたね。最初はツンとしていて、反対勢力の様な雰囲気を醸し出していたけど、次第に重要人物になっていきました。いいお子さん残しているんですね。
>学長の毛利菊枝さんも京都くるみ座座長の大女優で、溝口健二の『山椒太夫』では田中絹代一行を騙す巫女で出ています。
彼女についてはコメントしようと思っていました。自分が小学生のころは、NHK朝のテレビ小説は視聴率40~50%の時代で、「信子とおばあちゃん」で大谷直子と出ていた記憶が一番強いです。その面影を映画の中で発見できて、嬉しくなった覚えがあります。
市川雷蔵主演の「ぼんち」での大阪船場の女系家族の祖母役が一番印象的で、この映画の学長役と同様しっかり者の役の方があっているようですね。さすが京都くるみ座座長というだけの貫禄を備えた方だと思います。
>この女子大は、多分京都女子大で、そこには故土井たか子がいたはずで、当時彼女はどういう立場だったのか、非常に気になるところです。
土井さんは昭和24年に京都女子大を卒業されて、もう同志社に移られているようですね。この時期は同志社の大学院生なのでは?自分の関西勤務の時には京都女子大出身の才色兼備の優秀な事務の女性がいましたが、最近はどうなんでしょう。
学長の毛利菊枝さんも京都くるみ座座長の大女優で、溝口健二の『山椒太夫』では田中絹代一行を騙す巫女で出ています。
この学生同士が傷つける物語は、大島の『日本の夜と霧』に影響を与えており、木下恵介の持つ「倫理性」は大島に受け継がれていると私は思います。
この女子大は、多分京都女子大で、そこには故土井たか子がいたはずで、当時彼女はどういう立場だったのか、非常に気になるところです。
この映画の製作のため、松竹のスタッフは京都に来て、京大映画研究会の部員が協力しました。
その一人が不破三雄で、彼は松竹大船の助監督になり、1本だけ映画を作っています。