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S20年生、元企業戦士の一身二生(いちみにしょう)、ハッピーセカンドライフ実現のための徒然実践写真日記

170720 五木寛之作品集、さらばモスクワ愚連隊(小説現代新人賞)蒼ざめた馬をみよ(直木賞)など読む!!

2017年07月20日 | 五木寛之

 作家五木寛之は1932年福岡県生まれ、中学生時代までは北朝鮮で過ごした。私は1945年5月敗戦間際、大阪で焼夷弾の雨の下で生まれた。13歳年上の85歳ということになる。よく父親がロスケの裏切りで日本は負けたとかなんとか言っていた。五木寛之さんは支配民族であった日本人がソ連の日ソ不可侵条約破棄で満州に攻め寄せられ、一転、被支配民族、難民に転落、生き残るために非情に徹した生き方を余儀なくされた原体験が五木ワールドのルーツとなっている。

 私と五木寛之作品との出会いは多分、私が大学を卒業して、週刊現代で青春の門の連載が始まったころだろう。大学卒業の2月に家業が倒産して、4月から社会人としてスタート、青春の門の世界とはタイムギャップがあった。ひたすら経済成長、生活レベル向上のために邁進した団塊世代。ということで五木作品との実質的出会いは学生期、家住期をへて定年がちかくなる頃、林住期ということになる。ひたすら仕事オンリーに邁進して、子供たちが巣立ち、家族をもち、両親が死去し夫婦ふたりの生活に戻り、人生とはいかにと振り返る頃に五木作品と多く接してきたようだ。

 ウキペディアの記述を借用すると五木さんの作品は1966年、モスクワで出会ったジャズ好きの少年を題材にした『さらばモスクワ愚連隊』(第6回小説現代新人賞)1967年にソ連作家の小説出版を巡る陰謀劇『蒼ざめた馬をみよ』で、第56回直木賞。同年『週刊読売』連載したエッセイ『風に吹かれて』は、刊行後から2001年までの単行本・文庫本の合計で460万部に達した。

 1969年に『週刊現代』で『青春の門』掲載を開始した。1972年から一度目の休筆に入り、その間の1973年に『面白半分』編集長を半年間務める。1974年委に執筆活動を再開。「カモメのジョナソン」の翻訳を刊行、ベストセラーとなる。1975年、日刊ゲンダイでエッセイ『流されゆく日々』の連載を開始。このエッセイは、2014年現在も続く長寿連載となる(2008年に連載8000回の世界最長コラムとしてギネス世界記録に認定)

 1976年、『青春の門・筑豊編』により、第10回吉川英治文学書を受賞。1981年からは再び執筆活動を一時休止し、京都の龍谷大学聴講生となり、仏教史を学ぶ。1984年山岳民の伝説を題材にした『風の王国』で、執筆活動を再開。吉川英治文学賞等の選考委員としても活躍、特に直木賞は1978年から32年間に渡り長く務めた。

 1998年には『大河の一滴』がベストセラーとなり、2001年に同タイトルが映画化された。また、2002年には菊池寛賞を受賞、同年、英語版『TARIKI』が2002年度ブックオブザイヤー、スピリチュアル部門を受賞。2004年には仏教伝道文化賞、2009年にはNHK放送文化賞、2010年には『親鸞』上・下により、第64回毎日出版文化特別賞を受賞した。・・というそうそうたる経歴である。

 ということで現在の人生論に至る30代40代の若い頃の作品を読んでみようということで市の図書館で五木寛之作品集を借り出し読み始めた次第。

 作品集1・・・さらばモスクワ愚連隊、こがねむしたちの夜、艶歌、天使の墓場、デラシネの旗、蒼ざめた馬をみよ

 作品集3・・・青年は荒野をめざす、悪い夏悪い旅

今、作品集2・・GIブルースを読み、霧のカレリヤに入っている。若かりし頃、週刊パンチや週刊プレイボーイなどに連載されそうな実に読者をひきつけるエンターテイメント性のたかいおもしろい作品ばかりである。そのベースに、大日本帝国、満州、北朝鮮、シベリヤ、ソ連、ロシアなど原体験の世界史観が深く静かに鮮明に流れているのを見ることができる。実におもしろい小説が連なっている・・・・これらがどう親鸞、蓮如につながってくるのか面白い。

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