ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

170622 むくげの第一号花開花。移動図書館で「五木寛之を読む」を借りる!平壌での壮絶の原体験!

2017年06月22日 | 五木寛之

裏庭のむくげの樹に一輪、真っ白なむくげの花が咲いた。妻の部屋から一望でき咲いたわよと呼ばれる。

秋の季語になっており、朝咲いて夕方しぼむので人の世の儚さにたとえられる。韓国の国花でもある。午後、ウオーキングにでかけると集会場横に市の移動図書館車が止まっていた。

 

何気なく覗き込むとパッと視線の正面に「五木寛之を読む」という背表紙が飛び込んできた。週刊新潮のエッセイに五木さんが左足の痛みを訴えておられた。もう84歳だからあちこち体が悲鳴をあげて当たり前だが百寺巡礼などBSテレビをみていると健脚で元気そのものの感じだったが年にはかてないということか

 この山川健一さんという作家は五木寛之さんに師事し40数年近い付き合いのようだ。カバーの版画は奥様の五木玲子さんの作品「海を渡る花」とか。いずれにしても作家五木寛之を知り尽くした作家が困難な時代を生きるテキストとしてこれからの読者への五木ワールドの案内地図をしめしたかったといううたい文句。

 序文で五木寛之が「大河の一滴」の中で「この世にしぶとく生き残った者はすべて「善き人達」の死によって生きながらえている罪深き者だ」という気がしてならないと述懐している。それは1945年終戦時の北朝鮮ピョンヤンでソビエトが日本との条約を破って攻め入って来たときの苛烈な原体験による。政府というものは国民にウソをつくということであり、大人というのは飢餓におちいれば子供をケタくっても食料にありつこうとするものであり、善人は馬鹿をみて、母親はソ連兵に犯され、そして死に至らしめられ、子供を朝鮮に置いてけぼりで自分だけ日本に逃れてゆく大人は当たり前の状況。善人は生きて帰れないのであり、中学生であった五木寛之も己が生きんがため、ひとをけたくってやっとこさ日本に帰ることができた。爾来ずっと引け目を感じて生きてきた。

 今、日本の世の中で不安を感じない、ノー天気な人間が存在することこそ恐ろしいことであり、不安を感じるのがごく普通の人間の姿なのである。戦争体験のない国会議員が憲法改正を唱え、空理空論の国会運営をし、嘘ばかりのなすりあいをしている。テロ対策と銘打って「共謀罪」法を強硬採決させてしまう。いい加減日本国民は眼をさまし声をあげ独断政治を修正せねばならない憂うべき時代になっている。

おいおい読後感を紹介してゆきたい


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 170620 「パタパタ時計」組み... | トップ | 170625 小林真央さんの死、華... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

五木寛之」カテゴリの最新記事