まだ到着していないが、墓の移転をしようとしているN霊園から改葬許可証や埋葬証明などの書類ができた。そして改葬先予定のS墓苑と最終的な詰めを行っている。自分が死んだ後の処置について、まさに死支度をしているようでおかしかった。99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんが「死支度」や「寂聴九十七歳の遺言」などの著書を出しているが私はまだまだ80歳、確かに男の平均寿命81,07歳からするとまんざら早すぎることはないかもしれないが写真仲間は85前後で皆、なにかしらの疾患はもってはいても元気にやっている。
永代供養墓といのは最後の埋葬予定者が亡くなって、墓の承継者がいなくなった時点から20年、S墓苑が墓を預かり、春のお彼岸には合同供養をして、20年を経た時点で永代供養塔に合祀する、塔の後ろの蓋をあけて地下にお骨を散骨するというしくみ。私の両親と我々夫婦と、子供のいない息子夫婦,計6人のお骨が合祀されるということ。ということは息子の嫁は今44歳だから、仮に平均寿命の88歳でなくなったとすると合祀されるのは64年先の話。要は無縁仏にしないということだが気の遠くなるような話。その頃、葬式や墓に対する価値観がどうなっているかわかりはしない。今でも海への散骨など数は少ないのだろうが行われる時代。昔のように血の継承などを考えれば私の場合、娘の孫二人だけということになる。
私は30年前に親父が亡くなった時にN霊園に墓を持った。今は親が子供たちの墓の心配もする時代になったとか担当のYさんが話していた。
90歳で亡くなった浄土真宗の祖、親鸞聖人は亡くなったたら遺骨は鴨川の魚に与えよと言ったとか。とにかく人間というのは死ぬ間際まで煩悩から逃れられない凡夫だから、ひたすた阿弥陀仏に帰依し、南無阿弥陀仏を念じ続ければ浄土に迎えられると説いた。だから偉そうに善人ぶって人様にどうこうすべきではないというわけですね。今はみなスマホ中毒、中傷合戦を繰り返しているお馬鹿さんばかりの世の中ということですね。
先般、クリスチャン作家の曽野綾子さんが92歳で亡くなられたが神や仏の視点を人間がもてば人生がわかり、偏らない判断ができ、右往左往しなくなると言っておられる。
曽野綾子「心に残るパウロの言葉」より
- 主は私たちをどのように造るべきか知っておられた。私たちが塵にすぎないことを御心に留めておられる。人の生涯は草のよう。野の花のように咲く。風がその上を吹けば消え失せ、生えていたところを知るものもなくなる。詩編103章14~16節、ダビデの詩・・・後は野となれ山となれ!私たちはこの地球に生まれ合わせ何億人の中から知り合い、迷惑もかけたが多少は手助けもした、まさにそれは一つの驚異である!
- 太陽のもと、人は労苦するがすべての労苦も何になろう。一代過ぎればまた一代が起こり、永遠に耐えるのは大地。日はのぼり日は沈み、喘ぎ戻りまた昇る・・コヘレトの言葉、伝道の書、1章3^5節・・私たちは死を重く見るが誰が死んでも生きても大地は何も動揺しない!できれば自分の生死というものを重く見すぎないこと。人間に決められることは晩飯のお菜くらいのもの、今私の存在はどれ一つ見ても自分の意志ではなかった。人間は死ぬ以上、流されることが自然。堂々と流されればよいのだ
- 定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世のことにかかわっている人はかかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです・・若い世代にみせてやれるのは人間がいかに死ぬかというその姿である。
幸福にふさわしい人間。苦しみの中からしかほんとうの自分は発見できない。眼というのは悪くなった人間にしかわからないが絶えず頭痛に悩まされ、時には痛みも伴うが医者はそんなことはないと言い、とにかく起きてる間中見え方がうっとおしいということを1分たりとも忘れることができない。はじめて自分の感覚をわかってくれる人物と遭遇できた!パウロはユダヤ教徒でキリスト教徒の圧迫業務を嬉々として勤めていたが、キリストの啓示で目がみえなくなり、新たな布教活動を命ぜられ、目からうろこが落ちて回心する。その後も目が悪化、痛みをあたえるトゲをかかえながら、唯一、神のみがささせてくれているということのみで苦しい布教活動を続け、最後にはローマで殺されてしまう。しかしそのような苦しみの中でさえ、神がそばにいてくれた喜びで死んでゆく。日本では無神論者を公言する人間はいる。家族が窮地に陥っても絶対、神仏に祈ったりしないと意地を張る人間がいる。でも人間としてやはり普通ではないだろう・・・・・・・・・・・・
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