ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

180702 台風影響は明日、写真愛好会例会、合評で盛り上がったが?!佐伯泰英、「声なき蝉」なんと面白いことか!!!

2018年07月02日 | 趣味と交遊

 台風の影響は1日ずれて今日は晴天。欠席と言っていたメンバーもでてきていたが10時から写真愛好会の例会スターと。月曜日は各種例会が多いのかコミセンの駐車場は満杯。バス撮影会は2週間延期して23日に決まった。それでも欠席5名、退会1名でて、結局14名でいくことになった。バス会社が安値受注がお上から禁止されていて中型バスのチャーター代が高騰、一人当たりの会費も1万円近くになる。バス会社が企画する1日バスツアーは大型で4~50名乗せるから一人当たりが安くなる。15名が団体扱いの下限らしいので14名というのは微妙だね。

(夏ドリのアマサギが飛来、最初遠目,夜目でサギの幼鳥かと間違う)

 打ち合わせの途中に小学2年生の会合見学がありかわいい子供たちがオジンオバンの会合の部屋にはいってきた。皆かわいい。引率の先生が質問を促す。「写真をはじめて何年くらいですか?」「今、何をしているのですか」などかわいく質問してくる。ギスギスした打ち合わせが一瞬なごやかに。撮影会は桜の季節と紅葉の季節に第一月曜日にすることに決定。まあ加齢と共にバスツアーも大変になってくるね。

 11時半からUSBに入れてもちよった各自の5点の作品をプロジェクターで投影して意見、アドバイスを出し合う。面白い作品が多くだされ、いつもの13時終了が2時間超過。盛り上がりました。

私は入会10年ほどになるが最初の頃の新鮮味は薄れがち。会の中身も変質してきている。が、マイペースでやりますかね。

 この1~2か月、内田康夫の旅情ミステリー一辺倒だったが、久しぶりに佐伯泰英の時代小説に戻る。累計2000万部突破といわれる「居眠り磐音 江戸双紙」、第一巻の「陽炎の辻」から始まって最終第五十一巻の「旅立ちの朝」まで読破。直心影流の達人、坂崎磐根の十六歳の嫡男、空也が武者修行の旅に出る。大分、豊後関前藩で親子の別れ、空也は薩摩の東郷示現流を学ぶべく命がけの修業の旅に出る。空也十番勝負青春篇。アマゾンで中古本のチェック。「声なき蝉」上下。本代、各1円送料300円。602円で調達。新品だと1冊700円。

 読み始める。あまりにもおもしろい。ぐいぐい引き込まれる。なぜかね??

ウキペディアによると佐伯泰英は1942年北九州市西区八幡生まれの76歳。

実家は新聞販売店。家業を継ぐ予定であったが、これを断念して芸術を志す。29歳、1971年より1974年までスペイン滞在。のち、『闘牛士エル・コルドベス 1969年の叛乱』と『闘牛はなぜ殺されるか』、小説『ゲルニカに死す』を発表。スペイン語圏を舞台にした良質のミステリー小説を数多く執筆するが、売れず、ヒットに恵まれないまま1998年、56歳の頃には仕事の依頼が激減。作家廃業寸前の窮地に立たされた。この時、作家として生き残りを図るべく、時代小説への転身を決断。

 57歳、1999年、初の書き下ろし時代小説「瑠璃の寺」を発表。出版されるかどうかさえ分からぬ状態のまま売り込んだ同作は、発売1週間で重版がかかるヒットとなる。佐伯にとっては生まれて初めてのこと。以後、「密命」シリーズをはじめ、数々の人気シリーズをかかえ、「月刊佐伯」の異名をとるほどのハイペース(ほぼ20日で文庫1冊分を書きおろしているという)で作品を発表する人気時代小説作家となる。主人公の多くは大分豊後諸藩の下級藩士・・・と紹介されている。

 そして、この空也十番勝負。声なき蝉。蝉は十数年暗い地中ですごし、地上に出て1週間ほどで生を終える。なかなかのタイトルだ。そして最初の修業地が藩主の承認状がなければ決して入国できない全く異国の薩摩藩。さて16歳の若武者がどのようにして目的を果たしてゆくのか、波乱万丈のスタートである・・・

コメント
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