ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

150428 玄海、呼子、唐津うわば紀行その1。5年ぶりに浜野浦の夕日棚田撮影、強烈夕日に水田鏡の如し

2015年04月28日 | 趣味と交遊

 天気予報では26、27の土日が晴れ、唐津城の藤とあわせて、5年ぶりの玄海、浜野浦の棚田夕日の撮影に出かける。片7100キロの行程だから、それでもナビでは3時間ほどの所要時間。福岡外環状202号線で唐津まで、その先は204号線をまっしぐら。26日土曜日11時出発。12時半、セブンイレブンでいつものサバ飯昼食。二時過ぎ、唐津の虹の松原。個々のシーサイドホテルは現役時代、何回か仕事できたことがある。

14時半に唐津城につく。日曜とて観光客で駐車場もいっぱい、1時間100円なり。16時過ぎには浜野浦についておきたいのであまりゆっくりはできない。また明日帰りよればよい。暑い、階段がこたえる。佐賀名木100選に指定されている舞鶴公園の白藤、満開ではなさそう。うわーすごいというレベルではない。

唐津うわばエリア。呼子、鎮西、玄海、肥前の4エリアは上場(うわば)と呼ばれる丘陵性の玄武岩台地からなり、リアス式海岸で東松浦半島周辺は古くから中国、朝鮮半島方面の海上交通の要衝として栄えた。1592年豊臣秀吉はここに肥前名護屋城をきずき、朝鮮を攻めさせた。130以上の大名の陣屋跡が残っており、名護屋は幻の巨大都市であったとされる。

15時15分出発、棚田近くの玄海海上温泉パレアにナビ設定、16時着。

520円で温泉がはいれるらしい。しかも棚田まで車で5分とか。16時20分、浜野浦棚田の第一駐車場につく。すでに車でいっぱい。日没は18時45分ごろなのにまあ早いこと。展望台まで2~3分、すでに三脚がずらっと二重、三重に場所どり。

5年前に写真の愛好会での撮影バスツアーで来たときは棚田には水がなかったことを覚えている。今日は満々と水をたたえた棚田がうつくしく輝いている。

段々と太陽が西にかたむき棚田を照らし始める。

17時、家ではいつも夕食の時間、はやいこと夕食をすませ体制をつくる。さらにカメラ小僧は増えるだろうから彼らのいかないところをロケハンでさがす。ペンタックスの肩紐の付いたおじさんがいたので声をかける。なんと100万円のペンタックス645Dをこれもしっかりした三脚にセット。でかいカメラバッグを前においている。昨日もきたらしい。上の写真の真ん中くらいに陽が落ちるという。昨日は下におりて撮ったらしいがいまいちだったとか。それにしてもモサがいるものだ。車を移動させ、人のいない一段下がったところで三脚をセットしてスタンバイ。

18時、左手の棚田に夕日が反射、そこから太陽が光っているように光芒がでたのを撮る。ホワイトバランスを電球にかえ、ブルートーンにしてみる。タイトルは?

夕日が西の方にやや傾き黄色く染まってきた。

いつもの問いかけ。何を撮るか、どう撮るか?どんどん陽が沈んでゆく。

もう少しで水平線上に没する。

沈んだ後の残照に期待したがたいしたことなく7時20分引き上げることにする。上の方ではまだ20人ばかり粘っている。さきほど寄ってきた玄海海上温泉パレアに向かう。露天ブロから星空が見える。20時20分、名護屋城跡近くの道の駅「桃山天下市」につく。NHK大河、「はな燃ゆ」を見る。井伊大老の安政の大獄で吉田松陰は処刑される。安易に開国したら日本は滅びると狂気に一途な思いで上訴するが30歳で命を落とす。視聴率が上がらないらしいが確かに少々しちめんどくさい感じがするドラマだね。もっともドラマの主人公は松陰の妹のふみということなのでこれからどうなるかね。

9時前、パソコンに写真をとりこんでから眠りにつく。

コメント
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