ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

150323 三回忌法要無事終了。生まれ故郷の寝屋川沿いを散策、60年前にタイムスリップ

2015年03月23日 | アフターセブンティ

 弟の家は一条工務店が施工、なかなかのものだね。室内を快適環境に維持するための床暖房や換気装置が内蔵されたり、窓の外枠がなくとも泥棒に破壊侵入されない鉄線入りの窓などセイフティー対策、廊下など自動点消灯など、おまけに24時間ぶろなど追加装備されて実に結構な住環境。「朝寝、朝酒、朝湯が大好きでそれでシンショウつぶした!」という民謡があったがこの家は心身快適、やる気を醸成してくれる家かもね。

12時、真宗大谷派のご住職がこられる。2Fの仏壇が設置されているコーナーに参列者待機。挨拶をかわし、お茶を飲んでもらってから三回忌法要開始。このご住職、きゃしゃな体型だが声に張りがあり風邪をひいて体調万全でないとおしゃるがそうは思えないほど。前半30分しっかり読経をいただく。足がしびれたが5分休憩。後半は正信偈を軸にまた30分。ありがたく終了。

 法事の意味はよく追善供養などというが浄土真宗ではそう解釈せず、亡くなった人はすでに諸仏になっておられ、おこがましく生き残った者が追善し仏様の冥福を祈ったりするものではなく、他力本願で人は生かされているという基本思想から、法事、法要というのは亡き人をご縁にして集まった人たちが仏法にふれ、僧の話を聞く(聞法)ことで生きる意味を見直し、感謝報恩の仏の眼をいただくことにあるとしている。

 三回忌が終わった後、お斎(とき)をいただきながら親族がこころを通い合わせ、わだかまりなどある時はそれを氷解すべき場となり、親族の一体感をたかめる場となる、ようにせよということである。親鸞は20年も比叡山で修行するが開眼できず、悶々としている時に法然とであい、ただひたすら阿弥陀仏に帰依することで心の平静をうることができた。爾来、浄土宗、真宗ではひたすら6文字の南無阿弥陀仏を一心にとなえれば浄土にいけると教えたとされる。つらい修行や勉学は不要としたのである。

 16時弟と生まれ故郷の寝屋川河沿いのウオーキングロードを散策。ジョギングしている女性、釣り糸をたれている人、飛び交う野鳥、川をおよいでいくカモたち。桜もこの暖かさの中、開花し始めていた。まさに平和な光景である。

幼少期遊んだ水門近くの川沿いもきれいに整備され新たな景観をうみだしている。なつかしい名前の表札など発見して、ブザーなどおして入って行ったら60年前の子供だったのが今70になって目の前にあらわれたらさぞびっくりされるだろうとおもいつつ歩みをすすめる

懐かしの学び舎、小学校もきれいになっている。

通学時いつも通った皇大神宮。むかし夏祭りでダンジリが子供たちにひっぱられコンコンチキチキコンコンチキと鐘や太鼓の音が今にも聞こえてきそうな感慨におそわれる。

60年前にタイムスリップしたような約2時間の散策であった

18時ごろ帰り、一風呂浴びさせていただき、美味な夕食に舌鼓をうち、20時すぎカラオケにでかける。弟夫婦のカラオケ上手におどろかされる。とくに弟の声や節回しはプロ級、はじめて兄弟でカラオケにいったがおどろきましたね。私も相当カラオケには年季をかけてきたがそれ以上のうまさだったね。いろいろ苦労してきたであろう仕事ぶりがうかがえた。4人でたっぷり歌い11時前帰還、心地よく眠りにつくことができました。

・歌ったことをおぼえている曲は1、舟歌 2、とんぼ、3、酒よ、4、細雪、5、兄弟船、6、愛燦々

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