84歳になる叔母と、京都で、デート!リーガロイヤルで、ランチしました。14階のトップオブキョウトはスカイレストランねて。ゆっくり、床ごと、回って、京都の町を眺めながら、フレンチダイニング。優雅なひととき。うふ、少しずつ見ためもキレイなお料理が、次々と!おしゃべりも、たっぷりと。女子会のノリだった!叔母さん も喜んでくれたようで、嬉しかったな!
AFP BB NEWS ナチスの空港後、難民たちの収容施設に 独ベルリン
冷戦初期の1948~49年の旧ソビエト連邦による「ベルリン封の際に、「ベルリン空輸」のハブ空港となった旧・テンペル空港が、難民の一時収容施設になるとは、なんというか皮肉。
難民の収容施設には、早急に広い施設が必要で、ナチスにまつわる空港跡であろうと、躊躇している余裕なないのであろう。
私が、ドイツにいた、つまりは、25年前のドイツ統一あたりでも、語学教室に、難民の人たちが、ふつうに同級生にいたが、今回の難民のヨーロッパ流入は、規模の点で、破格すぎる。難民の多くが、ドイツを目指しているという。メルケル首相は、人道と寛容の心を持って受け入れるという政策を打ち出したが、他のヨーロッパ先進諸国にも、相応の負担をと、釘を刺している。
初めに入った国で、難民申請をするというが、認定を受けて、難民の人たちが、安堵するのに、まだまだ時間がかかるだろう。ドイツ人が、ことさらに、寛容な人たちだとは思わないが、
グローバリズムに、少なくとも、私たち日本人より慣れているとは思う。
公共交通機関のバスや、電車に乗るという日常のなかに、いろんな国籍、肌の色の違う人たち、宗教・信条の違う人たちが、当たり前に乗り合わせている。難民たちが、難民認定を受けても、ドイツの地で、生きていくには、さまざまな困難が待ち受けている。自分の国を捨てるという決断をしなければならなかった人たちの運命は、過酷だ。できれば、平和になれば、故国に帰りたいだろう。
自分の国を捨てさせる決意をさせた彼らの故国の政治的混沌は、収まる兆しは、このままないのだろうか?
それにしても、難民問題に、取り組めば、取り組むほど、悪夢のように、ナチスの名も、ついてくるのは、ドイツの宿命なのか?
どれだけ、難民に寛容になれるのか?かつて、東独という国を捨てた人たちには、自分の生まれ育った国を捨てるという決断をした人たちへの、思いやり、想像力は働かせやすいと思うのだが。
日本が、なんにしても、戦後70年、戦争がなかったことは、良かったと思う。だが、世界がつながれる速度が急速に縮まった分、対岸の火事と、世界の動きに、無関心ではいられない。