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26年という時間

2016-05-17 12:58:40 | 日記
今から26年前の1990年6月から約10ヶ月間、私はアメリカのアラバマ大学に留学していました。最初の約2ヶ月間はアラバマ大学付属の English Language Institute (ELI) で集中的に英語を勉強。そのELIで出会ったのが、2007年11月2日の日記「証し」に書いた先生、ビリーでした。ビリーは私がアラバマにいた時、私を一番助けてくれた友人の一人。私がイエス・キリストを自分の救い主として受け入れることを決心した瞬間もその場にいて、私のために祈ってくれました。命に「肉体の命」と「魂の命」があるのなら、彼は私の「魂の命」の恩人ということになります。

1991年の5月に私は日本に帰国しましたが、その後もビリーとは手紙でやりとりしていました。当時は電子メールという便利なツールはなく、手書きの手紙を航空便で送るしかなかったのです。ビリーは外国で宣教活動をすることを目標にしており、アジアの国に行けるようにとずっと祈っていました。その祈りが聞かれ、彼は奥さんのメアリー・ジョーと小さな男の赤ちゃんを連れて台湾の台北に赴任。日本からの距離が近くなったので、1993年に台北のビリー一家に会いに行きました。ビリーが台湾にいる数年間も、またアメリカに帰国した後も私たちは手紙、そして電子メールで時々やりとりしていました。が、そのうちに互いの住所やメールアドレスが変わったために、とうとう音信不通になってしまいました。

そのビリーから突然連絡が来たのは今から5年前の2011年3月11日でした。つまり、東日本大震災の日です。彼は私が無事かどうかを確認するため、Facebookで私の名前を探し、わざわざ連絡をくれたのでした。私のFacebookのプロフィール写真はこのブログと同じうさぎの画像で、実際の顔を確認できないため、彼はまず私がビリーの友人のFumiko(私の名前)と同一人物か確認してきました。ひょっとしたらビリーは私と同じ名前の他の人にもメッセージを送ったのかもしれません。とにかく私は、私がFumikoであること、無事であることを伝え、わざわざ私を探し出し、メッセージをくれたことに感謝しました。そして、それからの私たちはFacebookでやりとりし始めました。

去年の12月、古い写真の一部をデジタル化した私は、今年4月のビリーの誕生日に、1990年当時のアラバマ大学のELIの全職員と全生徒の集合写真を誕生日プレゼントとしてビリーのFacebookに貼りました。それがこの写真です。どれがビリーでどれが私なのかは秘密ですw



ビリーはそれをとても喜んでくれて、「今度スカイプで話そう」とメッセージをくれました。そして、それが先週の5月14日に実現しました。ビリーやメアリー・ジョーの写真はFacebookで見ていましたが、ビリーにとっての私は1993年台湾訪問以来のFumikoでした。ビリーもメアリー・ジョーも私も23年分、年を取っていました。でも、彼らの話し方や思いやりにあふれたキャラクターは変わっておらず、23年のギャップをまったく感じませんでした。ビリーやメアリー・ジョーの目から見ると私の性格は変わっていたかもしれませんが・・・。26年の時を経て「アメリカにいた頃は将来こんな風に(スカイプで)話せるなんて思いもしなかったね」と、時代が完全に変わったことをお互いに実感したのでした。

そう、時代は確かに変わりました。当時は冷戦が終結した直後で、私は冷戦中に第三次世界大戦が起きなかったことを安堵し、これからは平和な世界になるだろうと期待していました。が、その後も世界ではいろいろな戦争や紛争が起き、テロ事件も多発していて、世界が冷戦時よりも平和になったとは言いがたい状況です。ビリーが現在のアメリカを「この国はもう自分のHomeではない」と言ったことに衝撃を受けました。26年という時間の中で確かにアメリカは変わったし、日本も変わった。でも、ビリーとメアリー・ジョーは変わっていなかった。それが何よりうれしかった、23年ぶりの再会でした。

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