初めて知る高齢という現実

最近、弱ってきたオット82歳。
何とか二人で明るく過ごしたいとあがく毎日を記録します。
だんだんグチに移行?

・8月に思い出すこと

2006年07月20日 15時02分51秒 | 孫に残す私の子どもの頃のこと
日本各地で梅雨末期の雨で、すごい被害が出ています。
思いがけなく命を落とされたり、お家を流されたり
被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。

そうは言っても、立ち直るのは大変ですよね。
でも、頑張って欲しいです。
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夫は1930年生まれ
私は1935年生まれ
娘は1960年生まれ
ホラホラ計算しやすいでしょ。
数字に弱い私でも指を折らなくても計算できることが多いんですよ。

何につながるかと言うと、終戦を迎えたのが1945年。
ちょうど10歳、小学校いや国民学校4年生のときでした。

うちの孫達よ、どこまで知っているか知らないけど、60年前
日本はアメリカと戦争して負けたんですよ。
よく終戦から何十年とか言いますが、ほんとは敗戦と言うべきと思う。

その4年前の1941年(昭和16年)日本はアメリカを相手に
大東亜戦争に突入していきました。
勝つはずのない国を相手にどうしてそういう戦争までに突っ込んで
いったのか?
アメリカと戦うまえにも紛争があっていたのです。

『昭和6年に満州(まんしゅう)事変(じへん)という争いごとがありました。
日清(にっしん)・日露(にちろ)戦争(せんそう)以来(いらい)の日本の権利を
守りたいと言う国民の率直な願いを取り入れて、陸軍の一部が、
排日(はいにち)運動(うんどう)(日本はイヤだという中国の人たちの運動)
に対抗する争いでした。支那北部を日本の一部にしたいことと
満州国といって、中国の中に日本の思いのままに動かす国を作ることなどの
日本の考えとイギリス・アメリカ・ソ連(現在のロシア)が複雑に
それぞれの自分の利権(利益にまつわる権利)を抱えて抗争していた』

ぐぐるした文章は長くむずかしい漢字ばかりで、読みたくないので、
フウちゃんでも読めるようにと思って書き直したけど、
そんでもわかんないね。

明日は、おばぁちゃんの子ども時代の話を書きますね。