池田大作の品格〈PART2〉創価テロリズムを許すな 価格:¥ 1,575(税込) 発売日:2009-07 |
第五章 色あせた「池田神格化」の現実 より
二,トインビー博士の孫娘・ポーリー女史の痛烈批判 その5
〈対談集続編の発行は拒絶〉
―利用されたことを認める著名人も―
私達が日本を出発するとき、池田氏の秘書が横に来て、「初版で洩(も)れた部分を、池田・トインビー会談の2冊目として出版したいが、その手助けをしてくれるか、どうか」と尋ねてきました。出版および著作権で、何か問題があったようです。
また、一九八五年六月に池田氏がイギリスに行く予定があり、それで何らかの手助けが必要だったようです。それが何だったのかは明らかにされませんでしたが、少なくとも私達を利用しようとしていたのです。
私達は、イギリスに戻ってから、池田氏により招待され、また彼の訪問を受けたりした何人かの人物に、電話を架けてみました。尋ねられること自体が不愉快、という明らかな反応を示した人もありましたが、何人かは、池田氏の名声を高めるために利用されてしまったことを認めました。つまり、すべての行事が素晴らしいものであるかのように繕(つくろ)われ、写真が撮(と)られ、そっけない型どおりの会話が、あたかも非常に重要な会談であったかのごとくに取り扱われ、記事にされた、と。
私は、祖父の著作を出版しているオックスフォード大学出版(OUP)にも問い合わせてみました。
OUPでは、池田氏が、祖父の死後、宣伝のためにトインビー・池田対談の出版をしようと頼んできたが、最初は固く断った、と言っていました。
その決断を貫き通せればよかったと思うのですが、池田氏はニューヨークの出版社から出版させることに成功し、OUPも、それに従わざるをえない形になってしまった、ということです。また、保存されているファイルの中には、「対談の第2冊目が出版されるかもしれない」といった内容の手紙もありました。
その6に続く・・・
先週、書き上げた記事の消失によりお休みさせて頂いた分をお届けいたします。
ポーリー女史ご家族の招待旅行は、トインビー対談本の続編発刊のためであったと。池田氏のイギリス訪問云々はちょっとよく分かりませんが、現実的な理由がここではっきりしたわけです。
それでやはり思いませんか。その目的を達するための手段としては、悪手以外の何物でもなかったのでは、と。
フツーにポーリー女史の下へ学会幹部とかが訪問して、事務的に依頼すればスマートに済んだ話だったかもしれません。
無論、続編の出版目的以外に女史が仰っているような写真を撮られ会話を重要な会談のように記事にされ、池田氏の名声を高めるという2本柱であったことは確かです。
しかしそれも、事務的な依頼の後、池田氏がイギリスに行って握手の一つでも写真に収めれば充分な結果が残せたのではないでしょうか。
少なくともポーリー女史のこういった手記はこの世に出てはこなかったでしょう。
何故に金をかけて愚かな行為を繰り返すのか。他の人らも不愉快だったというではありませんか。
学会上層部はどんだけおバカなのか?それとも池田氏の強い意向なのか?
学会員さんたちへの意識誘導、大雑把にMCと括ってもいいと思いますが、その辺の人身掌握術には大変長けているのに、著名人や学者・識者と呼ばれるような人に対しての接し方があまりにもあんまりな印象を受けるのは、私だけではないと思います。
こういった対外的な接待に関して、100%ではないにしても池田氏の半ば強制的な意向が働いていることは想像に難くありません。
そして自分より立場が下である学会員さんたちへの巧妙な対応と、いわば目上に見られるような知識人へ対しての拙劣な対応の落差。
これはそのまま池田氏のコンプレックスが反映されているのでは、と思います。
矢野氏の著書などでは繰り返し、池田氏は人の心を掴むのが上手かったと書かれてあります。けれどそれはあくまで創価学会という閉ざされた組織で上に立ちその下にいる人の心を掴むのに長けていたということであり、世間一般の対等な人間関係や信頼関係というものは、該当しないのではなかったのかと思います。
もっと言えば、盲目的な尊敬で媚び諂う人間や、恫喝や暗に脅迫めいた言動が通じ、自分を脅かすことがない・できないと思える人間にしか、池田氏は向き合うことができない極度の臆病者であると、私は思います。
さて、今回はちゃんとメモ帳に書き上げたものを保存してコピペしましたので、前回のような失敗はもうしません!
次回はポーリー女史の手記(全文)から思わず拍手喝采したい部分をピックアップしてお届けしたいと思います。(あくまで予定w)