第二章 すべての元凶は池田大作にある より
池田大作の品格〈PART2〉創価テロリズムを許すな
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2009-07
<信仰度ゼロ編> 一,お題目一ぺんでいいんです
池田大作の勤行嫌いは有名です。池田夫人(香峯子)が、信仰当初、戸田会長に指導を受けていたくらいですから、昔から池田は怠行の名人だったのです。
平成四年四月二十六日の第五十三回本部幹部会で、とうとう池田大作の本性が出て、勤行否定論を打ち出しました。
「ねェ、朝勤行をしてない人、ずいぶんいるかもしれないけどさァ、いいですよ、お題目一ぺんでいいんです」
それまでは、五座・三座の勤行は、学会員なら誰でも日常的にしていたわけですから、急に否定すると組織内で疑問が噴出することを恐れ、徐々にマインドコントロールしていきながら、現在では、方便・自我偈と題目五分の簡略勤行になってしまいました。
そのうち、師匠と同じように、学会員は勤行をしなくなるのではないでしょうか。
もっとも、一番喜んでいるのは池田大作であり、それに連なる宗教貴族といわれる、本部職員や幹部たちです。
こんな宗教指導者に指導される学会員は、哀れという以外にありません。
このような勤行ルールの変更があったとは当時は知りませんでしたが、あるときから母親の勤行がずいぶん短くなったな~と思った記憶があります。
前にも似たようなことを書いたかもしれませんが、これが創価学会がイチから作った宗教であるならば全然構わないと思います。池田さんが教祖(宗祖)ならばね。
この簡略勤行がまかり通るっていうんなら、そもそも日蓮さんがそう言ってなきゃおかしくないですか。
確か小学校か中学校の社会の資料集かなんかで、各宗派の特徴と宗祖と呼ばれる方たちの比較がイラストで載っていました。
日蓮宗&日蓮さんの紹介では…
信者A「俺は毎日お題目を三万遍唱えてるぜ!」
信者B「何回も唱えればいいってもんじゃない。俺は心の底から真剣に、一日一回『南無妙法蓮華経』と唱えているんだ!」
そこへ通りすがる日蓮
信者A「日蓮様、お題目は数が多いほうがいいんですよね!?」
信者B「いや、真剣に唱えれば一回でいいんですよね!?」
日蓮「私は一日三万遍唱えています」
信者A「やっぱり!そらみたことか!」
日蓮「しかし、三万遍全部、心の底から真剣に祈っています」(そのままにこやかに立ち去っていく)
信者A&B「どっちが正しいんだ…?」
というやりとりでした(笑)。
資料集の結論としては、とにかく「南無妙法蓮華経」と唱えれば幸せになれるとして広まった、というように書いてあったと思います。
今だったら創価の抗議と圧力でそのページは黒く塗りつぶされるかもしれませんね。
他の宗派は全然覚えていないんですが、ま、母親がやってるやつなんで印象強く記憶に残っていました(笑)。
こういった信仰の根幹に関わる部分をコロコロ変えるって、宗教としてどうなんでしょうね。
SGIメンバーが増えてきたのでそのために、とかいう理由付けだったと思いますが、それだったら「題目一ぺん」の方がみんな負担は少なくて会員も増えるかもしれないですもんね!?
そしたら勤「行」ではなくなるかもしれないですけどね~。
【ぎょう 行 ギョウ】 ①仏教で、悟りに到達するための修行。「行を積む」「無言の行」
一ぺん題目なんて、単なるおまじないの呪文だ(笑)!
その片鱗は以前からありましたしね。
宗門も俺の下だ!!という狂った独裁欲を持っていたのでしょう。
でなきゃ、宗門に信徒がケンカふっかけるような異常なことはしないでしょうし、あれだけ狂ったように機関紙に汚れた非難など載せないでしょう^^;。
気違いで狂ってますが、でも・ちゃんと現実の世界で法曹界や政界に根回しして、悪事を表面化させず揉み消す構造を作り上げています。
要はそのための池田専用番犬の「公明党」なのですが、功徳だの福運だのと垂れ流し、宗教を利用し会員さん達がボロボロになるまでタダ働きをさせてここまで来るのですから、まあペテン師としては世界屈指の稀に見る逸材でしょうね。
その汚物池田氏がいつも機関紙の紙面を「~賞」で飾ってますね。
何もしてないのは世間じゃもうわかりきってるので、恥さらしだけなのですが、実際に世間は笑ってますが、そうするしかないところまで本人は狂い・組織も世間に笑われながらも、そうするしか会員さんを引き付けておく材料がないのでしょう。(笑)
今思えば、勤行など気にすることはないのですよね。
創価から買わされた、どう印刷されたか秘密にしてる「御本尊」たる紙を朝晩手を合わせて拝まないと幸せになれない・・・???
バチが当たる??(爆笑)
そんなことはないと思います。
本来、信仰は生活・生き様そのものです。
自分の日々の生活時間を感謝で充実して過ごす。
見えない存在に・生きとし生きるもの全てを慈しみ育てる法則に感謝して過ごす。
その心根と振る舞いが信仰の姿です。
そこに全ての純粋な祈りは包含されてると思います。
短くなって ラッキーと思った半面、じゃあ今までは何だったんだろうって・・
母親は勤行にはすごく厳しくて 幼い頃から20代後半になって 実家を出るまで 私は五座三座を 毎日真面目にやっとりました
(涙)母親の監視のもと・・(悲)
一ぺんのお題目にもすごい力があるとか 忙しい時には 心の中で唱えても問題ないとか 徐々に信仰に関しては簡略化してきたんでしょうね。
あっこの前クロさんから 新聞止めたら 家の中の不快指数が激減するって 言って頂きましたが、まさしく!その通り!
ほんとに気分的にすっきりしたせいか、快適日々です。
「題目には全宇宙の仏性を呼び覚ます偉大な力が。信心一筋の人は最強無敵」
とありました???
で、「全宇宙の仏性」ってナンデスカ?
宇宙のことなんて現代においてもほとんど解明されてないのに全宇宙を語る、語れるとは一体何者でしょうか???
そして信心一筋なら「最強無敵」とのこと‥「最強無敵」なんてドラゴンボールとかのアニメでしか使わないような言葉です。
こんな証明しようもない事を信者に植え付けてどのように責任を取るつもりでしょうか?
あっ元々責任の所在なんてない組織でしたね、ソーカ、ソウダッタ。
>元々池田氏は教祖になりたいのでしょうね。
矢野氏も「皇帝がダメだったから法王を目指した」と著書に記していましたね。
自称・法王なのが何ともアレですが…。
>気違いで狂ってますが、でも・ちゃんと現実の世界で法曹界や政界に根回しして、悪事を表面化させず揉み消す構造を作り上げています。
側近・ブレーンがしっかりしてそうですもんね。
かのオウムでも、東大出身やら医者やら頭脳明晰と言われる人たちが、あの胡散臭さ満載の教祖にコロッと騙されていました。
しかし現在の創価の迷走振りを見る限り、そちらの人材も枯渇気味なのではと窺えます。
あるいは、名誉会長もお年を召してワガママに拍車がかかっているのかもしれませんね。
「年を取って自分を抑えられなくなったら現役からは引退」が常識かと思います。
政治家によく言われていることです。
年嵩になればそれなりに権力もあり、ワガママが通ってしまう上にみんな遠慮して諌めてくれない。
なので自分で自分を抑えられなくなると、身を引きましょうということです。
でも暴走族でもいますよねー。20代後半や30代になっても引退しないヤンキーが。
あれって、やっぱり下がチヤホヤしてくれてその集団の中では自尊心が保たれるので、やめられないようです。
いかに自分のことを分かっているか、客観的に見られるかで、人格が問われるところでしょう。
>短くなって ラッキーと思った半面、じゃあ今までは何だったんだろうって・・
そうそう、普通みんな思いますよね。
短くてもいいんなら最初からそうしといてよ!って。
五座三座ですか?それを「しなさい」と指導していたのならそれなりの理由があったはずであろうに、その理由はどうでもいいんですかねー。
それにしてもお母様の厳しい創価教育、大変でしたね。
うちもそうなっててもおかしくなかった…。
最初の子である私の自我があまりに強かったせいと、肝心の幼少教育期にそれどころではない家庭のゴタゴタが続いていたせいもあるのでしょうが(苦笑)。
もしもゆっくりじっくり子供の教育に情熱を注げる環境だったならば、私もヤバかったかもしれません。
グレてたかも(笑)。
そう考えると、りりこさんは現在しっかりと自分の人生を歩んでおられて、とても立派ですね!
例の恐怖新聞のない生活、すっきりしてて良いでしょう~。
一面が気味悪い感じでいつも飾られてますので、どうしても不快感を煽られる代物です。
生理的嫌悪を抱く時すらありますので(汗)。
自分にも環境にも優しい、日蓮さん的に言うと邪教に対するお布施の停止にも当たりますしねー。
これからもご自分に合った、快適な環境で日々を送ってくださいね!
>「題目には全宇宙の仏性を呼び覚ます偉大な力が。信心一筋の人は最強無敵」
ぐふぅ!相変わらずなフレーズですね~。
最強無敵…。かなり低年齢層向けのヒーローモノに出てきそうですね。
大人が使うには恥ずかしい四字熟語ですわ(笑)。
コレを考えて寸鉄に書こうと決めた聖教職員(?)の方の勇気には、ある意味恐れ入ります!
でも信心一筋でも、やられっぱなしの人もいます。
そういうとき、やっぱり暖かく励ます環境であってこそ宗教なのに、何故か「信心が足らない」と蔑まれる…。
「最強無敵」は元より、「信心一筋」という状況がそもそも曖昧なのですよね。
だから何とでも言える。責任も取らなくていい。
低レベルだけど、だからこそ「分かりやすい」となって広まった部分もあるのかなー?
それが分かっててやっているなら、知能犯と言えなくもないのかも!