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真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

学会版「法名」はなんと言うの?

2017-02-26 23:10:37 | 創価学会問題

ちょっと忙しい週末が続き、先週に続き本日も更新はお休みとさせていただきます。

まあこれだけではなんですので、ちょっとした世間話などを・・・。

宗教関連で言えば、某宗教団体へ人気女優さんが出家したとのことが連日話題になっていますね。

まあ事務所とのトラブルやその出家自体のやり方が問題になっているという感じですが。彼女も二世さんだとか。

しかしこういった報道で思うのは、創価学会はやはり地力が違うな、と。

この某宗教団体と出家女優さん、完全に広告塔、炎上商法的な効果を上げています。恥ずかしながらあまりテレビを観ないものでこの女優さんのこと、知らなかったんですよね。私。たぶん顔は見たことあるんですけど名前まで知らなくて。この報道で一気に知りました。というか出家後の名前の方が印象に残っているくらいなんですけどw

で、宗教団体の方にしても、今回のことで若者に大変興味を持たれたことと思います。そういやアイドルグループもデビューしていたし、若年層を重点的にターゲットにしているのかな。この辺は学会と違い発展途上の宗教団体っぽいですね。

宗教団体、女優さん、両方の宣伝効果としていくらに相当する金額になっていることやら。億は下らないんじゃないかと思います。

で、創価学会。

学会はまずこういった商法(?)は取らないですよね。学会芸能人は多数いますが、信仰心の昂ぶりのあまり職員となって学会に尽くします!という人はいません。あ、例の女優さんも「出家」と言うと勘違いしそうですが実質は団体職員のようなものだそうです。その宗教団体に就職します、ということのよう。

話を戻しまして何故学会は職員にならないのか。「ならない」のではなくて「ならなくていい」「ならないほうがいい」というのが近いでしょうね。

広告塔も炎上商法も必要ない。というのが学会の地力だと思います。

バンバン普通にCM打てますし。新聞に広告も出せますし。マイナスイメージを負ってでも名前を売るという必要がないのですよね。

そして芸能人・有名人の効果としては、学会の外から応援させるほうが効果がある。その効果がある、という環境にまで作り上げられたのが創価学会という団体だと思います。

聖教新聞には連日海外の識者、学者、政治家などから池田氏(夫妻)を讃えてやまないメッセージが寄せられていますね。彼らが「だから創価学会(SGI)に入会します!!」となったことは今までありません。折伏すらされていないということの証左ではないでしょうか。

彼らと接している筈の池田氏、及び学会幹部たちの怠慢という声すら聞こえてこないのが不思議ですけどw

さて、しかしそれでも入会させられなかった人たちでも聖教新聞にはバンバン登場します。「外」からの賞賛である方が効果が高いということを分かっているからです。

「認められる」という行為は外からでなくてはできないからです。そして学会はこの「認められる」という事象を非常に大事な戦略にしています。学会員さんは創価学会そのものを自分と同一視する傾向が強いです。自分=学会、というように。

そして学会員さんや、多くのカルト宗教にはまる人たちは「認められたがり」です。承認欲求が強い、あるいは今までその欲求が満たされてこなかった人たちが多いからです。その欲求を満たしてくれる宗教(もどき)にこうして依存していくのです。

日本における学会芸能人にしても、「あの人、実は学会員だぜ」と陰で囁かれるほうが対外的には学会のイメージ向上に効果がある上に、内部的には有名人が同じ信者だということで承認欲求が満たされる&秘密の共有(「あの人実は~」的な)での求心力があるのです。

これを某宗教団体ができるまでには、まだ力及ばずどいうところでしょうか。知名度がねー。まだちょっと力及ばずって感じでしょうか。

しかしこれを受けて、学会芸能人の有名どころが職員に!ってなったら面白いですけどね。学会ではある意味「芸術部」として職員的な扱いになっているから無用ということもあるのでしょうが。

そういえば池田氏に芸名をつけてもらったという芸能人もいますよねぇ。彼らは「芸名」ではなくて「法名」とかって言う名称ないんでしょうか。せっかくなのに、ですよね。

ではでは、もうすぐ3月。年度末で皆さまお忙しくなるかもしれませんが、お疲れが溜まったりしませんようリラックスできる時間をしっかり作ってお過ごしくださいね。


元職員3名

2017-01-22 23:45:23 | 創価学会問題

彼らのブログ、ご覧になっている方も多いと思います。

1月16日「⑬私たちに対する質問について」の記事をご覧になられましたでしょうか。

彼らが働くの働かないのということがグダグダと書かれているのですが、あまりのグダグダっぷりになんと言っていいものやら。

これまでどれだけ裁判やブログや座談会やサイレントアピールの準備や唱題やで寝る間を惜しんで頑張ってきたかがくどくどと書かれています。

でも働いて同志への借金を返そうとすると、同志達が反対するそうです。創価学会を変革する闘いは彼らにしかできず、それを諦めることは師弟の敗北だとか。

彼らの主張も主張ですが、支援者も支援者です。やはり彼らを支援するだけのことはある。いや、それは自由と言えば自由なのですが。

たとえば「白バラ通信パンドラの箱」の希望さんはお一人でブログ運営も裁判もされており、その上お仕事も投げ出してはおられません。

様々な情報収集、勉強を重ねておられることもブログを読めば分かることです。寄付金を募ることで裁判だけに集中するなんていうことは考えてはおられません。

彼らは生活支援されていることに「甘えている」と言い切って、時間を全部創価学会の変革のため、愛する先生のために使うのだと言います。それが学会、先生に尽くすことであり、「働いている姿を見て先生が喜ぶのか」とまで支援者に言われています。

凄いです。開いた口がふさがらないという心境にここまでさせてくれるものは滅多にお目にかかれません。

俺らめっちゃ頑張ってたんだけどお金出してもらいっぱなしは悪いからちょっと働いてみたら、やっぱり目いっぱい反対されちゃったので開き直りました、と、簡単にまとめればこんな感じです。

彼ら自身はとても不幸・不運だと感じているでしょうが、とてもお幸せな人たちなのではないかと最近思ってしまいます。

やはり疑問になるのは彼らのブログで、本当に学会員さんたちはついていけるのか?

何だか彼らのブログは彼らの行動や主張とは全く違うところで注目を集めているような、そんな気がします。とても創価学会的な。本当に創価学会員の見本のような。その生態についてのブログのような扱いになっています。私の中では。

えー、また話は変わりましてもうすぐシニフィエさんの「対話を求めて」で500万アクセスに到達する模様です。

皆さま、お祝いコメントの準備はよろしいですか?復活されてその後も順調なようで、本当に良かったです。

ではとても寒い日が続いておりますので、体調にはお気をつけて!


11月18日を迎えて

2016-11-20 22:14:56 | 創価学会問題

皆様、もうシニフィエさんのブログ「対話を求めて」はご覧になりましたでしょうか。

一気に100を超えるコメントが投稿され、多くの方が待ち望んでいたのだなぁと、妙に嬉しい気持ちになりました。

創価学会のリアルの現場で、完全なアンチではなくとも今の学会に少なからずの疑問を持つ学会員さんたちも多いと思います。そのような人たちが、あちらのブログで気持ちを整理し、またその現場で「対話を求めて」というブログの存在を広めていって・・・となれば一つや二つの地区(ブロック?)が消滅することも起こりうるでしょうね。

そもそも末端では組織の維持が難しいところもあるらしいですから。

さて、相も変わらず私は少し忙しい毎日を送っておりまして、元々とても寝ることが大好きで休日はよく寝ているのですが、それに拍車がかかり半日ぐらいしか活動時間がないということもしばしば。

そんな感じでユルいブログ更新になっています。どうか生温い目で見守っていただければw

すっかり「対話を求めて」に話題を奪われていた形ですが、あの元職員3名のブログはチェックしていますでしょうか?

遂に彼らの本が出版されましたね。

「実名告白 創価学会」というタイトル。そして彼らのブログで書かれていましたが、学会幹部による金銭横領疑惑がそもそもの発端だったような感じですね。ちょっとようやく分かってきたwいや、ちゃんと読んでないからアレなんですけどw

本部はその金銭横領問題について明らかにするどころか隠蔽しているとして、彼らは怒りの声を手紙でしたためる・・・という流れだったようです。彼らの周辺の人も何故か手紙で抗議する・・・。流行ってるの?

その金銭横領問題は幹部が飲食&遊興費を出版物の取材や接待費で賄っていたというものらしいのですが。

これと似た問題では、かねてから学会幹部が何らかの名目で地方に行った先々で接待という名の豪遊を繰り返し、接待する側の金銭的負担がハンパなく自殺者まで出たとかいう噂まである始末。

自殺者の真偽は分かりませんが、接待があるのは事実のようで、接待を受ける幹部側が「前回どこそこでは何々が振舞われた(次の接待はそれ以上だろうな?)」などとおもてなしを競わせているのは、複数の学会批判の書籍でも書かれていることです。

そのような学会の体質があれば、彼らが指摘する金銭横領問題もさもありなんというか、如何にもありそうという感想しか出てきません。だって師匠もそんな感じだったじゃないですか~。ていうか師匠の方がもっと凄いじゃないですか~。数千万の飲食代なんて、師匠の足元にも及ばないじゃないですか~。

なのでこちらからしてみれば「へー」って位の感想でしかないのですがね。

あと、聖教新聞の減部を申し出て拒否られた挙句除名された人がいるとか・・・。それだけじゃないんでしょうけれど、減部ってことは多部購読が既にまかり通っているということですよね。それをそもそも突っ込みましょうや。

でも頑張って、その横領問題や不当な除名処分を明るみに出して解決してほしいですね。組織の浄化になればいいですね(棒)。

彼らの目指す師匠の理想とした学会が実現したら、それは存在が難しいものになるという気がするのは、私だけではないはずw

来月もサイレント・アピールするそうです。本も出たことですし、これから益々注目が高まっていくかもしれませんね。そうなるといいですねぇ。


もうすぐ11月18日

2016-11-17 21:08:52 | 創価学会問題

もう皆様分かってらっしゃいますよね?

11月18日は、シニフィエさんのブログ「対話を求めて」が再開されます。

再開一発目でのコメントは初めての方でも自己紹介などの条件はスルーされるとのことですので、いつもロム専だという方も再開&再会を祝うコメントを是非投稿しようではありませんか。

「対話を求めて」で、より多くの方たちが気付き、覚醒していくことと思います。覚醒の連鎖がどうか広まりますように!


「先生」と呼ばせたい。

2016-11-06 23:01:42 | 創価学会問題

いや~、とっておきのネタ降臨!!てな感じの2016年11月5日の聖教新聞。

もう皆様ご存知のことと思いますので説明は省きますが。

まあ教学的なことは私は突っ込めないのであくまで一般的な感覚からの突っ込みを入れさせてもらいますがね。

「創価学会仏」ってwww

もうこのネーミングがね、やっちゃった感満載ですね。

あと普通に思うのは日蓮さんは捨てたのかな?ってことです。いや、捨ててはないんだろうけれど、創価学会が同格みたいな扱いになるの?みたいな。そんでもうこれ、完全に新興宗教のカラーなるってことですよね。たとえ日蓮さんを捨ててなくても!

私の母親は創価学会が新興宗教であるということを認めている、少数派の学会員だと思います。(実際どこまで認識しているのか置いといて)

でも御書根本とか言いながらも当然「創価学会仏」って御書に出てくるワケがないし、そもそも運ちゃんさんのブログ「想学談林」によれば最初に言い出した二代目戸田会長の指導の意図からは大きく捻じ曲げられているのが分かります。

それにしても都合のいい時だけ戸田会長(師匠の師匠)って使いますよね~。実際の戸田会長の指導から今の創価学会や池田氏の発言・行動は大きく逸れています。戸田全集、絶版にしたのは何故ですかね?

まあでもご本尊の件からしても、伝統仏教のフリをした新興宗教から脱却して真の新興宗教として舵を切ったワケで、それはそれで色々な縛りから解放され独自路線(恐らくは国際化)を進みたい学会としては、ネーミングはアレとしても路線としてはまあ分からなくもない、気もしないでもないw

ただどうしようもなく、頭の悪い方法ではあると思います。ネーミングもそうだし、今までの慎重とも思える老獪な組織運営からは想像もつかないぶっ飛びようではありますが。まあ路線としては、やりたいのだろうな、と。

それとも今の学会員さんにはこういうのがウケるのかな~?理解できん。

組織の存在そのものが仏。今まで学会員さんで問題や犯罪起こした人たちは「学会にも色々な人がいる」という風に片付けられてきましたが、これからどうするのでしょうね?

組織という色々な人の集合体であるからできた言い訳が、通用しづらくなりませんか。私が心配することではないですが。

と、もうひとつが「先生」と敬称決めちゃいました宣言。

決めるものかww

百歩譲って故人である初代牧口氏と二代目戸田氏に関しては好きにしたらいい、という部分もあります。

でも池田氏、聖教新聞上では元気で視察中に偶然目にした一日館長さんに車中から合掌するという、一般人には理解しがたい尊い行いを各地で繰り広げておられるわけでしょう。

判断力がないとは言わせないw

その池田氏が「俺を『先生』と呼ぶように会則で決める?よきにはからえ~」とか言ったわけですか。

言葉はどうであれ、つまり池田氏は了承したったことですよね。新聞で初めて知ったなどというワケはありませんよね。

さあ、ここですよ皆さん。違和感を抱くポイントは。

会則で敬称を「先生」と定めたこと自体の異常性に気を取られがちですが、池田氏は存命で判断力も有る。とするならば、この会則変更に対して異を唱えなかった。

あるいは可能性としては低いですが、会則変更に際して池田氏の意向は及ばなかった、というのもありますがね。

池田氏が「会則で『先生』と決める?ヤだよ、そんなの恥ずかしい。勝手に呼ばれるのがいいんだよ」と普通のことを言ったとしても「いや、学会本部で決めたことなんで従ってもらいます」なんて上下関係が果たして成り立つでしょうか?いや、無理ですなw

自らを「先生」と呼ぶ会則変更にOKを出す指導者。こんな人が人格者だとでもw

逆に今まで「尊師」とか「大聖人」とかもっと大袈裟な尊称がまかり通っていたのでそれを抑えるため、っていうなら分かりますが、今まで普通に「先生」が通り名だったわけじゃないですか。そして当然のことですが、牧口氏と戸田氏は単なる後付けであり言わば巻き添えです。

池田氏の尊称を「先生」としたいがために、抵抗感を削ぐために牧口・戸田両氏を引き入れたに過ぎません。

ここでふと邪推するのが「博士」というもう一つの通り名です。これは学位詐称に当たり、法的にもマズイことになるということが度々指摘されています。これに対し学会側の言い分は「向こうが勝手にそう呼んでいるだけ」というまさかのニックネーム扱い。

海外の識者がよく池田氏を呼ぶ際の「池田博士」は「池田博士」までがワンセットのニックネーム・愛称であるという解釈です。

「先生」を規定化するのって、この博士問題にも絡んでいるのかな?なんてのは考えすぎですかね。

そういえばインドだかどこかに「池田大作先生学校(学園だったか?)」が割と最近設立されていたはず。あの学校名もかなりおかしなものでしたが、こうなってみると余計にややこしい校名でしかないw

は~、久しぶりに大ネタが降って湧いたので感想を書きなぐってみました。諸々取りこぼした突っ込みもあると思いますが、また色々な人のお考え・感想を聞いて解釈を広げて行きたいですね。

さすがに今回の会則変更は多くの学会員さんたちが気付いてw認知していることでしょう。

それでも違和感はないのか。ないのか・・・?ないのでしょうな・・・。恐ろしい人たちだ。