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真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

村社会

2016-10-31 00:18:09 | 創価学会問題

えー、今まで土曜日曜ってどうやって過ごしてたんだっけ・・・?みたいな最近の週末。皆様いかがお過ごしでしょうか。

秋も深まってまいりましたね。

うちの猫らは猫団子(猫同士で寄り添って寝ること)で温め合っております。可愛いです。しかし言いたい。

私の脚はお前らのベッドではない!

4.5キロ、5キロ、7キロが連なって私の脚の上で寝る。いくら私の脚が長くともwもう一匹の7キロはさすがに乗れずに横にもたれかかってくる。

可愛いが限界と言うものがあります。・・・というノロケですw

以前紹介した「創価学会を卒業します!」というブログ、こちらの常連さんも何人か訪れて下さったようで、ありがとうございます。

私は大勝利さんのブログ「聖教新聞 一面だけは読んでやる!」でランキングバナーをぽちっとした時に気付いたのですが、ブログ村の創価カテゴリ。結構カオスな状態ですね。

学会にはブログやサイトを監視する専門チームがあるそうですが、私がそのチームにいたらいくつかのブログは管理人を特定して閉鎖に追い込みたくなるような・・・。

いわゆるアンチブログではなくて、学会員さんの運営しているブログを、です。

たまに情報収集のためにチラ見する程度なので何処がどうアウトだとは言い切れないのですが、完全に学会のイメージダウンにしかなっていないのがチラホラと見受けられます。

種の存続と繁栄には多様性をいかに抱えられるかにかかっている、らしいですが学会のこれも「色々な学会員がいる」という多様性の内包であり、ある意味必要悪・・・というか汚れ役?なのでしょうかね。

アンチブログがいくら過激なことを書いていても、以前もこのブログでも書いたことですがアンチブログを訪れる読者層を考えれば学会には大したダメージにはならないのです。

熱心な学会員さんたちの過熱したやり取りの方が、それを見る者(学会員さん)にとってはダメージでしょう。

ま、どうでもいい話ではありますがw

最近のちょっとした雑感でした。ではまた!おやすみなさい。


日曜は短い

2016-10-16 23:42:11 | 創価学会問題

日曜は短い。起きるのがまず遅い。そして明日に備えて早く寝なければならない。必然的に、活動時間は半日くらい・・・。

どうもこんばんは。ちょっとだけと思いつつゲームしてたらうたた寝してしまったクロです。

本日は気になるブログをご紹介。

にほんブログ村の創価カテゴリで1位に突然躍り出たブログなので、皆さんもうご覧になっているかもしれませんが。

にゃんこ丸さんという女性の書かれている「創価学会を卒業します!」というブログです。

創価学会批判を目的としたブログ内容ではなく、あくまでご自身の体験から感じられたことを綴っておられます。

中でもマインド・コントロールの渦中にあった頃の考え方や行動は、まるで怖いのに見てしまうホラー映画のように(失礼?)目が離せず、一気に読んでしまいました。いや、本当に「怖い」んですよ。自らマインド・コントロールに追い込んでいく心理描写が。

あくまで心理描写がですよ。管理人さんは誠実でお優しい性格の方のように感じます。

そしてやはり自分で経験したことを語る文章は説得力が違います。

どういう風に創価学会を信じていたか、ありがちな障害(困難)をどのように捉えていたか、その思考を辿ることは学会を信じていた方にとっては何より気持ちの整理になることでしょう。

そして今現在、学会の中にいて揺れておられる方、あるいは離れたもののまだ気持ちの定まらない方、そういった人たちにはこのような元活動家の方のブログを是非読んでもらいたいと思います。

今日は他人のふんどしですもう、な感じでまとめさせてもらいました・・・。定時で帰ることができる日々はいつ戻ってくるのか・・・。しばらくこんな感じで簡単な更新になると思いますが、よろしくお付き合いくださいませ。


「新会員の友のために」2002年度版より

2016-09-11 21:50:57 | 創価学会問題

今日はちょっと簡単更新。

先日、大勝利さんのブログで「新会員の友のために」(463円+税)という広告が聖教新聞にあったと書かれていました。

私の手元に実家からこっそり拝借してきた「新会員の友のために 1」という小冊子があります。これは2002年発行のもので、価格は100円(税込)。随分と値上がった印象です。

うちにあるのは「1」とあるので、全何冊かは分かりませんが、もしかしたら複数巻を一冊にまとめたので値段が高くなったのかもしれません。

巻頭の凡例には

一、本書は、読者の要望により、聖教新聞に掲載された「新会員の友のために」の第一回から第六回までを収録しました。

とあります。出ました「読者(会員)の要望により」。何かあるたびに使われる説明なので「ホンマかいな!」と言いたくなります。

それはさておき、軽~くご紹介。もし以前にも同じ箇所を紹介していたらごめんなさい。

仏法は道理、祈りは必ず叶う!

 どうして祈りが叶うのかについて考えてみましょう。
 日蓮大聖人は、私たちの祈りが必ず叶うことを次のように仰せです。
「たとえ大地をさして外れることがあっても、虚空をつないで結びつける人があっても ~中略~ 『法華経の行者』の祈りは叶わないことは、絶対にないのです」
 大地をさして、はずれるということはありません。また、大空をつなぎ止めておくことなどできません。潮の干満は必ずあり、太陽も必ず東から昇ります。こうした真理や宇宙の法則以上の確かさで、私たちの祈りは叶う、と仰せなのです。

全然祈りが叶うことの説明になっていないと思うのは私だけでしょうか?

しかしこんなの、誰でも言えますよね。前回の新宗教認知度ランキング3位の幸福の科学が「太陽が東から昇るのと同じように、幸福の科学の信仰は絶対に幸せになれるよ!」って言っても、ホラ説明になってないでしょう。

ちなみに続きに二代目戸田会長の教えで「鐘を強く叩くのと弱く叩くのでは音の大きさが違うように、信心の強弱によって功徳が違ってくる」とあります。

だから学会員さんが悪いことがあるとよく口にする「信心(題目)が足らない」という台詞があるのでしょうね。

新会員の友のために、難しいことは置いておいて分かりやすく書かれているのですかね?端折りすぎて説明になっていない、という言い訳ならまだ通るかもしれませんよw

この小冊子は全部目を通したのですが、全く信心してみようという気にはなれない内容です。上述のように、説明になっていない強引さが多々あり、MCが完了していない人間には納得できないものでしかないからです。

しかし入院、旅行時の勤行をどうしたらいいか、など日常生活のQ&Aは確かに周囲に配慮を促すものとなっており、必要なことだと思います。常識ない人が多いですからね。しっかり指導してほしいと思います。

ではでは、本日はこのへんで・・・。


言葉にしてはいけないのでは?

2016-08-28 21:34:08 | 創価学会問題

ちょくちょく紹介しています元職員3名のブログで、ふと目に留まった言葉がありました。

師匠の創価の中で許されていいのか」

何でも原田会長に10通ほどの手紙を送っていたが(最早業務妨害のレベルでは?)、その原田会長から「話があるならアポを取りなさい」と言われアポを取る為に役員室に5通、41頁に渡る手紙(最早業務妨害・・・)を提出したら、アポが取れるどころか懲罰対象行為と認定されてしまった、という出来事のようなのですが。

その失意の中で彼らは題目を上げると、師匠の言葉が降りてくる境地になっているようです。

そうしてこんな騙し討ちのような行為が「師匠の創価の中で許されていいのか」と。

しかし彼らの手紙好きは一体全体、何の病と呼ぶべきなのでしょうか。手紙に異常なまで固執するのは、手紙で何か成功体験があるからなのでしょうか。最早手紙を送られた側に同情を禁じえないレベルになってきているのは、私だけではないと思うのですが・・・。

まあそれはさておき、師匠の創価、らしいですよ。

確か池田氏は「学会は皆さん(会員)のものです」みたいなことを言っていたような気がするんですが、記憶違いでしたでしょうかね。

名実共に「池田名誉会長の創価学会」であることには誰も異論を挟まないとは思いますが、言葉にしてはいけないことだったのではないかとw

彼らのブログはこういったある意味での「失言」がチラホラ出てきます。本音が出てしまうとでも言うのでしょうか、事実は事実なんですがね。

何度も言っていますが、彼らのブログ記事は通読するにはかなりの苦痛を伴い、私は引っかかった一部分のみを書き出しています。ですので全体で読めば違った意味に取れる、ということもあるかもしれません。

しかしながら、彼らのブログ記事が本当の本気で書かれているならば、冗談抜きで病院のお世話になるレベルではないかと心配してしまいます。

手紙攻撃が無視され続けるという、彼らにとっての理不尽があったにせよ、題目しかないと一心不乱に祈り倒したら池田氏の指導が頭に蘇ってきてそれを行動の指針にしているのです。

学会的にはこれは美談になるんですかね。どうも一線を越えていってしまっている気がします。こちらの世界には帰ってこれないのではないでしょうか。

これが「演出」ならば、まあ釣れる学会員さんたちが一線を越えていっている方たちであるというだけなのですが。

そしてまた別の話題を一つ。

週刊ダイヤモンド「特集 創価学会と共産党」の中で「東大・早大閥が実験を握ったポスト・池田体制の権力構造」という記事の中から。

 学会本部では、新卒採用の7割程度を創価大卒が占めるとされ、創価大卒は本部人材の圧倒的マジョリティーだ。正木は創価大閥の頭目的存在として理事長に君臨し、最近まで病床の池田への面談を許された、ごく限られた最高幹部の一人だったとされる。

新卒採用の7割が創価大卒ですか。思ったより少ない。9割ぐらいだと思っていました。

理事長から参議会副議長に降格され、粛清されたとされる正木氏(創価大卒)。次期会長レースからの脱落だと、一時期騒がれていました。

その正木氏が最高幹部の特権として許されていた「病床への池田氏との面談」。

かつて一度も池田氏が「病床」にあるとはされていません。糖尿病など持病があるにせよ、学会側の言うことは常に「お元気な先生と奥様」。

熱心な学会員さんたちとて、聖教新聞に載る池田氏の写真を見て「お元気」と信じきるのは難しいとは思いますが、それでも言うことは「お元気な先生と奥様」。まあ奥様はお元気なんでしょう。

池田氏が「病床」にあった。あるいは今現在も「病床」なのかもしれません。

さあこれは週刊ダイヤモンドの捏造か?誤報か?それとも真実か。

とりあえず創価学会が週刊ダイヤモンドを訴えたという情報は流れていませんね。

普通に考えればお元気ではないことは明らかであり、病床にあると言われても何の疑問もありません。しかしこれもまた、ハッキリと「言葉」にしてはいけないことだったのではないかな~?なんて引っ掛かりを覚えたということで、今日の記事にしてみました。


海の日

2016-07-18 20:48:37 | 創価学会問題

今日は海の日ですね。3連休の方も多かったのではないでしょうか。

最近ちょこちょこ紹介していた週刊ダイヤモンドの「創価学会と共産党」という雑誌、遂に買いましたよ。

まだ全部読んではいないのですが、確かに良くまとめられていて分かりやすいです。

アズラさんが紹介して下さっていましたが、例の元職員3人組のことも記事になっていました。写真と簡単なプロフィールが載っているのですが、本っっっ当にどうでもいいんですが歳と見た目が3人逆なんじゃないの?って感じですw(つまり一番若い人が一番年上に見える)

3人組の記事の中で面白い表現だったのが「池田教」です。

今まで(恐らく)創価学会はこの「池田教」という表現を嫌ってきたかと思います。あくまで日蓮大聖人であり、法華経であったかと。

彼らの主催した座談会に招かれた小林節慶応大学名誉教授が、3人組に提案したのがこの「池田教」としての宗教改革だということです。

「自分が正しいと信じる『池田教』を発足させる」と・・・。

彼らの言動をブログから拝見するとその実態はまさにその通りなのですが、ここにきて「池田教」と言い切っちゃったんだな~という感想です。池田氏が宗祖なんですね。

これは個人崇拝であり、依法不依人という日蓮さんの教えを否定するものですね。

この提案に対し、3人組はあくまで内部からの改革を望んでいるとのこと。ちょっと日蓮正宗乗っ取りを企てていた当時の学会を彷彿とさせますね。規模は違うんですが。

あとちょっと面白かったのが、学会の本部中枢での権力闘争を解説したページで国立大、私大、創価大学それぞれ派閥の特徴が書かれています。なんでも創価大卒は内部の権力闘争では完敗だとか。

創価大卒生の評価として、

国立大OBの元学会幹部
「創価大OBは名誉会長のチルドレン。死に体の名誉会長に頼っているので実権がない」

創価大OBの学会関係者
「東大・京大OBは政治家や経済界とのつながりが強い。一方、創価大OBは友人が少ない。学生時代、信仰していない人がいたら折伏する、嫌われるのは当然
まともな友人としての交流を抜きに社会に出ても通用しない。純真で世間知らず。せいぜい中堅幹部までしか出世できない」

私大OBの学会本部職員
「創価大OBの中には、変に劣等感を抱く人もいる。その思いが彼らの仲間意識を強め、閉鎖的なグループをつくってしまうケースもある」

・・・とあります。創価大OBの人の話、そこまで自分達のことが分かっているんならちょっと改めろよ!と突っ込まずにはいられませんねw

自覚あるんじゃないですか~。

しかもそれが人生においてマイナスにしかなっていないっていうことも分かっているんじゃないですか~。

学会は来世での幸せではなく、現世利益追求型の宗教でしょ。現世で上手くやってくださいよ。頼むから。

この雑誌はまた熟読の後、紹介したいと思います。

話は変わりまして、皆様ご存知かと思いますがシニフィエさんのブログ「対話を求めて」が終了するということになったようです。

もったいない。私の最初の感想はこれに尽きます。

けれど管理人であるシニフィエさんのお疲れや、今まで学会の中で抑圧されていた気持ちの不安定さを思うと、ゆっくりと休んで欲しいという思いも強くあります。

コメント欄でのすれ違いはまあ、ああいった形式でのやり取りの中ではたまにあること。今までそのために閉鎖していったブログもいくつか見てきました。

それはある意味、ネット上のやり取りという形式である以上仕方のない部分もあるかと思います。

誰かが仰っていたように何日か定期的に休みを設けてペースダウンしながらでも続けていって下されば、という案はナイスアイデアだと思っていたのですが・・・。

「対話を求めて」のブログ自体は消されず読むことが出来ます。

今までのシニフィエさんの努力や誠実な訴え、そしてそこに集う方々の思いは残っています。その軌跡が「これから」の人たちの支えにもなってくれることでしょう。

残念な気持ちは未だにありますが、ともかくシニフィエさんやコメント欄に集っていた方々はどうか今はお休みの時間として、ゆっくりお過ごし頂きたいと思います。

学会問題は、覚醒すればいずれ卒業する時が来るものです。多くの方の巣立ちとなることを願っています。