goo blog サービス終了のお知らせ 

真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

憚りながら その2

2010-11-27 22:34:48 | 創価本の紹介

憚(はばか)りながら 憚(はばか)りながら
価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2010-05-15

第4章 創価学会との攻防 「創価学会への内容証明郵便」 より

 一方の俺も、その頃には多少は力が付いてたから、もう日原なんか相手にしないで、山崎と直で話をしてたんだ。そのうち(富士宮市)議会に、「百条委員会」なんかができて、山崎を証人喚問に呼べだの、池田の名誉市民(称号)を取り消せだのという話になって、いよいよ学会がのっぴきならない状況になってきた。

 百条委員会とは、地方自治法100条に基づく特別調査委員会で、関係者の証人喚問、強制調査、さらには証言拒否や偽証には禁錮や罰金刑を科せる、という強力な権限を持つ。(中略)

 この間(80年)、山崎は学会を破門(除名)になって失脚するんだけど、山崎が作った俺とのパイプは生きていて、今度は地元の公明党の連中を通じて(百条委員会を)「何とかして欲しい」という相談があったんだ。それで(百条委員会)賛成派の連中に"話"をしたわけだ。

 富士宮市議会での百条委員会は1981(昭和56)年3月、いったん設置されたものの、公明党など反対派の猛烈な切り崩しによって同年12月、何ら機能しないまま終結した。(中略)

 ところが、だ。あいつら(学会)の依頼で協力してやったのに、その後(百条委員会が終結した後)は知らんぷりだ。それどころか、俺が今まで山崎から相談を受けて、学会のために協力してきたことを、「それは山崎とあんた(後藤)が勝手にやったことであって、ウチ(学会)は一切知りません」という態度になった。市議、県議といった地元の公明党関係者も、みんな。
 それは話が違うだろう、と。
山崎はあくまで学会とのパイプ役、池田の使いとして来てたんだ。べつに俺は山崎に使われてたわけじゃない。あくまで大石寺、池田のために協力してやったんだ。"あんまり他人様になっちゃいかんぜ"という話だよ。
 それで地元の学会や公明党の連中に話をしても埒が明かんから、神奈川の「伏木」(和雄・元衆議院議員・元公明党副委員長)という人間に話をしようとした。ところが、こいつが逃げを打って、門前払いを食らわせた。ならばしょうがないと、竹入(義勝・元衆議院議員。当時は公明党委員長)さんと、矢野(絢也・元衆議院議員。当時は公明党書記長)さん宛に内容証明(郵便)を出したんだ。

『実録 創価学会=7つの大罪』(吉良陽一著、新日本出版社)などによると、後藤が出した内容証明郵便には、このように記されていたという。
<昭和五五年一二月、富士宮市議会における百条問題は学会にとって大変な出来事でした。斉藤滋与氏(編注:元自民党衆議院議員、後に静岡県知事)にしろ、杉山憲夫氏(同:当時は自民党県議、元自民党衆議院議員)にしろ、百条問題調査打ち切りに関しては多少なりの力添えはあったにしろ、現実はそのような甘いものではなかった、四方八方に手を尽くしてもどうにもならなかった学会側は、以前の富士桜墓地霊園(公園)造成の時と同じ様に、今度は百条委員会調査打切り、池田大作先生の名誉市民剥奪を叫ぶ市民会議解散、山崎正友元弁護士の証人喚問阻止を、土橋(昌訓)公明党富士宮支部長、公明党元代議士・高橋繁、公明党稲田(圭佑)市議の三氏が、学会側の代理人として私の元に依頼してきたのです。私はこの問題解決のため全力を尽くし解決いたしました。
 百条委員会に関しては、中心人物、河原崎(澄雄)市議を自宅に呼び、説得に説得を重ねました。私は常に物事に対処する時は、自分の生命を賭け、明日を考えずにその一事、一事、に全力をぶつけて力いっぱい生きています。ですからこの件にしても、もしこれが刑法二二三条に於ける処の強要罪になったとしても、信念を持ち行動して来ました。
 (中略)
 この件に関して私と学会は一心同体のはずです。先にも書いた様に、富士桜自然墓地霊園造成問題に関係して、私の若い者が学会のために六年もの刑を受け今だに(ママ)受刑中です。それを知り、あえて私に百条委員調査打切り、市民会議解散、山崎正友の証人喚問阻止を依頼して来た事実は拭う事のできない事実であり、私の信念五分、学会側の依頼五分を言うのも判って頂けると思います。(中略)
 しかるに学会側は、そんな私の心を踏みにじる問題を投げつけてきたのです。私は地位も名誉もないが仁義は守り、その上での意地があります。(中略)学会の指導者はおのれだけの権力志向を欲望に生き、口先だけの勤行を唱えているにすぎない。私は池田大作氏の真の声を聞きたい

 確かほかにも、こんな内容のことを書いたと思うよ。「俺は決してあんたら(学会)に刃を向けようというんじゃない。ただ、今まで俺や若い衆らがやってきたことを、虫ケラを踏み潰すような形で抹殺するようなことはしないでいただきたい」とか、「あんたたちは宗教人として、俺たちも任侠に生きる人間として、仮にも看板上げているからには信義は守ってくれよ」とか……。
 けれど、しばらく待っても返事が来んから、念のため、同じものをもう一回出した。それでも返事は来なかった。つまり
池田は俺の内容証明を無視したというわけだ。

ちょっと長くなりましたが、内容証明の文章をできるだけ紹介しました。

過ぎた事は仕方ないにしても、もしここで後藤氏が学会に協力してなかったら、どうなっていたんでしょうね。

それにしても内容証明の文章だけを読んでいると、どちらが暴力団か分からないな~。

懐かしの伏木さんの名前が出てきましたね。「黒い手帖事件」で矢野さんの手帖を持っていった公明OB三人のお一人です。

やはり名前が出る人というのは、みんなそれなりに昔から色々な仕事をしていたということですね。

その3に続きます。


憚りながら その1

2010-11-22 18:15:52 | 創価本の紹介

憚(はばか)りながら 憚(はばか)りながら
価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2010-05-15

 本書の刊行にあたって 

この本は2008年10月に山口組を引退し、翌年4月8日、天台宗系の「無常山浄発願寺」において得度した元後藤組組長・後藤忠政(本名・忠正/得度名・忠叡)氏に対する延べ50時間のインタビューを構成したものである。

~中略~

 言論・出版界のみならず、現在の日本社会にとって、日本の戦後、さらには日本の深層を生き抜いてきた後藤氏の肉声・主張を伝える意味は、大きいと考える次第である。 編集部

第4章 創価学会との攻防

富士宮の小佐野賢治
創価学会への内容証明郵便
元公明党都議との密会ビデオ
池田大作の見苦しさ
国家に入り込んだ宗教

第4章 創価学会との攻防 「富士宮の小佐野賢治」 より

創価学会は、もともと日蓮正宗の信徒の集まりで、かつては富士宮の大石寺が本山だったから、地元で揉め事を扱っていた俺とは、自然と関わり合いもでてくるわな。

~中略~

 大本堂で300億円、富士桜(自然墓地公園)で200億円、その周りの土地を買うのに数百億といった具合に、全部で1000億円近くになったんじゃないか。もちろん、この学会の建設ラッシュで地元は潤ったが、俺たちにとっても昭和40年代、50年代の富士宮での最大の利権だった。それこそ、ヤクザ、堅気問わず、富士宮中の悪(ワル)という悪が、その利権に群がって丁々発止を繰り広げたんだ。
 そんななか、富士桜の造成を一手に引き受けていたのが、地元じゃ有名な「日原」という男だった。

~中略~

 日原は地元じゃ、「影の市長」とか、「富士宮の小佐野賢治」とか呼ばれてさ。ちょっとした有名人だったんだよ。後で、この富士桜で儲けた金を隠してて、脱税で挙げられるんだけどな。
 俺は初め、その日原から頼まれて、用心棒みたいなことをやっていた。

~中略~

 ところが、日原が、富士桜の儲けを独り占めするもんだから、他の業者から散々、反発を買ったんだよ。やり過ぎたんだ。墓石でもさ、台湾か中国で買ってくれば1000円か2000円程度のものを5000円で売って、据え付けたら1万円ぐらいになって、それが何万基もあるんだから。

この日原と一緒に批判を受けた後藤組。組の若い衆が、民家へブルドーザーで突っ込み、日本刀で批判者を切りつけるというあの有名な事件を起こします。

 この事件でウチの若い衆は(懲役)6年食らったんだけど、実は日原の後ろにはあの「山崎正友」がいたんだ。日原と山崎は、それこそ二人三脚で富士桜を進めていたわけだ。

 山崎正友は当時、創価学会の顧問弁護士で、池田大作・創価学会会長(当時。現在は名誉会長)の"お庭番"であると同時に、「宮本顕治・共産党委員長宅盗聴事件」など、過去に創価学会が行った数々のダーティーワークの指揮官でもあった。

 学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしてたんだ。大本堂を造る際に、市道を勝手に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな。それが(富士宮市)議会で問題になったり、道路交通法違反で池田大作が告発されたりしたんだよ。けど、この告発の黒幕が実は日原で、山崎は日原を懐柔するために日原と組んだんだ。それからは、何をするにも山崎と日原は二人三脚だった。
 ところがだんだん、学会と日原のこれまでやってきた悪事がバレてきて、富士宮の中でも左翼の連中を中心に「日原造園、創価学会と市政の疑惑を正す市民会議」とかいうのができたりして、(創価学会に対する)反対運動が起こった。デモが起こるぐらいに盛り上がったんだが、その時に山崎から(反対運動が)「何とかならんか」という相談があった。そういう裏の話は当時、あの男(山崎)が全て仕切っていて、池田ともサシで話し合えるぐらいの実力は持ってたんだ。実際、俺にも
「親分のことは池田会長にも伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と言ってたんだから。

ようやく「憚りながら」のご紹介です。皆さん忘れかけた頃だから、丁度いいかも(笑)。

以前、他の方のブログのコメント欄でバリ活さんが「暴力団だったような人の本は読まない、読む価値もない(信じない)」というようなことを書いていました。

とんだ偏見ですね。

それを言ったら池田氏は元々金融業の取り立て屋。血も涙もないその取立てぶりは、チンピラそのものだったのですから、似たようなものかと思います。

それにしても過去の経歴を引き合いに出して門前払いするというのなら、宗教とは何のためにあるのでしょうね。

その2に続きます。


池田大作の品格 第三章より 四.池田ファミリーについて思う

2010-09-12 16:09:22 | 創価本の紹介

池田大作の品格―憂慮される池田Xデー後の社会的混乱 池田大作の品格―憂慮される池田Xデー後の社会的混乱
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2007-12

第三章 池田神格化への軌跡とその虚像 より

四.池田ファミリーについて思う

①私の折伏親は池田家の家政婦だった

 昭和三十年、私の両親は伯母の斉藤敏恵(仮名)により日蓮正宗創価学会に入信、その一年後、私も創価学会に入りました。
 この伯母は父方の人で、
池田家の家政婦を長年勤め上げ、十年以上前に退職しました。伯母はなかなか口の堅い人で、私が興味深くあれこれ池田大作のこと、かね夫人のことを問いただしても、容易には教えてくれませんでした。口の軽い人間では、池田家の家政婦の役は務まらないのでしょう。
 大体、私が本部職員時代をふり返っても、池田家の大奥で従事する人間は限られており、一般職員と気軽に交流したり、目立つような振る舞いをしている人はいなかったように思います。
 よく知られている管理人としては、上田雅一副会長の奥さんの宮本京子さんだとか、熱海研修所の女帝といわれたY副会長の奥さん(旧姓・高橋さん)のご両親などがおります。
 熱海研修所のお父さんなどは、
池田大作と高橋さんが親密な関係になったことから「仏様の手がついた」と嬉しさを隠し切れず周りに喋ってしまったほどです。また、節子さんも、このバッグはセンセーから頂いたとか、着ているものも誇らしげに池田からのプレゼントであると吹聴していました。
 このように口の軽い人は、実は管理人失格なのです。
 それでも、池田センセーが高橋さんに入れ込んでおり、
Y君と結婚してからも熱海研修所に入り浸り高橋さんをはべらせているのですから、常識を超えた男女関係なのでしょうか。職員達は、なぜ池田大作がご執心するのだろうかと、みんな不思議に思っていました。

~中略~

 先日、脱会した、同じく池田家の家政婦をしていたAさんの話ですが、時たま、池田家の掃除を行い、めったに入れない部屋に入り、作業を行いました。その際に、非常にびっくりしてしまった場面がありました。
 当時は、Aさんは池田センセーのことを無条件で尊敬し、渇仰していたのですから、信仰面に関しては完璧に朝夕の勤行をはじめ、池田家の御本尊のまわりは荘厳されていると思い込んで、仏間の掃除を始めたのです。
 本来、家庭にある御本尊のお給仕はその一家の中心者が真心から御本尊様をお守りして仏壇の中の埃を払い「お樒(しきみ)」「蝋燭」「線香」を整えて勤行を行うことが正しい信徒の姿なのです。
 Aさんがびっくりした場面とは、
仏壇の中が埃にまみれていたことで、大変なショックを受けたというのです。
 池田センセーが勤行嫌いなことは、有名な話です。
 学会員の前では、本来、声だけは大きく通りますので、お題目を三遍朗々と唱えるパフォーマンスで、みんな騙されてしまうのです。
 信仰の基本さえできていない池田大作を見てからAさんは創価学会の信心について疑問を抱き、ほどなく日蓮正宗に戻ることを決意されたそうです。

池田家には常に家政婦さんがいたということですね。

昔はさほど「奥様」もご多忙ではなかったでしょうに、恵まれた家庭だったようです。

こういう事実を考えてみると、創価学会の言う信心の功徳・福運など、どれほどの効果があるのか疑問ですね。

池田氏は学会的にはスーパースターであり、唯一絶対の成功者と言っても過言ではないでしょう。

その成功に信心の功徳・福運は関係なかった、ということにはなりませんかね。

学会の拡大に貢献したので、それが信心の代わりだという解釈でしょうか。

まあしかし、本当に人生成功しているか、幸せなのかは甚だ疑問ですが。

先週は遂に大人買いしてしまった「20世紀少年+21世紀少年」を読みふけっていて、記事の更新ができませんでした。たまにはこういうこともあるということで(笑)。

ちょっと涼しくなったかと思いきや、日中はまた異常な暑さがぶり返して残暑はまだまだ厳しいようです。体調など崩されませんよう、暑さに負けず元気に乗り切っていきましょうね。


池田大作の品格PART2 第二章より「<信仰度ゼロ編>(香峯子夫人の悩み)主人が勤行しないのです」

2010-08-29 21:23:23 | 創価本の紹介

池田大作の品格〈PART2〉創価テロリズムを許すな 池田大作の品格〈PART2〉創価テロリズムを許すな
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2009-07

第二章 すべての元凶は池田大作にある より

<信仰度ゼロ編> 二,(香峯子夫人の悩み)主人が勤行しないのです

 池田は、結婚当初から戸田会長の下で金貸しの手代や学会活動に明け暮れ、天下を盗ることや世間をあっといわせることなどを夢想する生活を送っていました。
 はしなくも、香峯子夫人は新婚間もない頃、こうした池田の性癖にびっくりしながらも、一番疑問に思っていることを戸田会長に質問しました。

「戸田先生、私の主人(池田)は朝晩の勤行をしません。どうしてと聞くと、俺は特別だからといいます。本当に主人は特別なのでしょうか」

 また、当時の池田を知る青年部幹部は、登山しても、丑寅勤行にほとんど参加していなかったと述懐しています。

~中略~

 その香峯子夫人も"同じ穴のムジナ"のように、学会員から「奥様」と特別扱いされて、いまでは気分も上々のようです。
 創価学会はいつから、
学会の第一線活動をやらない特別な役職=「奥様」なるものを設置したのでしょうか。
 これは池田大作のご乱交が過ぎて、香峯子夫人のご機嫌取りのための役職だとも言われています。その、香峯子夫人の「奥様」は、婦人部からの耳打ちで人事に口を出し始めており、"奥の院"が組織を動かす弊害も指摘されています。また、池田家の世襲の確立になくてはならない存在となっているのです。近頃は、聖教新聞で池田と同じように宣揚されています。この香峯子夫人の扱われ方は、創価学会の中で何を物語るのでしょうか。池田創価学会は信仰宗教団体に良く見かける、組織の私物化を行っている似非宗教団体に向ってまっしぐらといえます。
 池田Xデー後、香峯子夫人の影響力が発揮され、学会の最強婦人部がどのように創価学会の人事面に口を出してくるか、見ものとなってきました。

香峯子夫人、昔は「夫が勤行しない」のが悩みだったようですが、きっと今ではご本人もしてないんではないでしょうかね。

池田氏が第一庶務、婦人部などの学会員女性を囲っていますが、普通の家庭で見れば単なる「浮気」です。もっとも、宗教的権威を利用している分かなり悪質ですが。

創価の世界では「仏様の手がついた」と、相手の女性もその家族も大変ありがたがって喜んでいたようですがね。信じられん。

この「浮気」に不満と苛立ちを募らせていた香峯子夫人のご機嫌を宥めるため、池田氏と同様の名誉称号などを与え「奥様、奥様」と周りからチヤホヤしてもらって今の形になってきた、ということのようです。

聖教新聞での写真や現在の行状見る限り、香峯子夫人も今や「私は特別だから」と勘違いされているみたいですね。

ところで「丑寅勤行」ってなんでしょう?丑寅の時間に勤行する修行か何かでしょうか?

ご存知の方が読んでらしたら、教えて頂けると嬉しいです。


池田大作の品格PART2 第二章より「<信仰度ゼロ編>お題目一ぺんでいいんです」

2010-08-01 16:11:04 | 創価本の紹介

池田大作の品格〈PART2〉創価テロリズムを許すな 池田大作の品格〈PART2〉創価テロリズムを許すな
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2009-07
第二章 すべての元凶は池田大作にある より

<信仰度ゼロ編> 一,お題目一ぺんでいいんです

 池田大作の勤行嫌いは有名です。池田夫人(香峯子)が、信仰当初、戸田会長に指導を受けていたくらいですから、昔から池田は怠行の名人だったのです。
 平成四年四月二十六日の第五十三回本部幹部会で、とうとう池田大作の本性が出て、勤行否定論を打ち出しました。

「ねェ、朝勤行をしてない人、ずいぶんいるかもしれないけどさァ、いいですよ、お題目一ぺんでいいんです」

 それまでは、五座・三座の勤行は、学会員なら誰でも日常的にしていたわけですから、急に否定すると組織内で疑問が噴出することを恐れ、徐々にマインドコントロールしていきながら、現在では、方便・自我偈と題目五分の簡略勤行になってしまいました。
 そのうち、師匠と同じように、学会員は勤行をしなくなるのではないでしょうか。
 もっとも、一番喜んでいるのは池田大作であり、それに連なる宗教貴族といわれる、本部職員や幹部たちです。
 こんな宗教指導者に指導される学会員は、哀れという以外にありません。

このような勤行ルールの変更があったとは当時は知りませんでしたが、あるときから母親の勤行がずいぶん短くなったな~と思った記憶があります。

前にも似たようなことを書いたかもしれませんが、これが創価学会がイチから作った宗教であるならば全然構わないと思います。池田さんが教祖(宗祖)ならばね。

この簡略勤行がまかり通るっていうんなら、そもそも日蓮さんがそう言ってなきゃおかしくないですか。

確か小学校か中学校の社会の資料集かなんかで、各宗派の特徴と宗祖と呼ばれる方たちの比較がイラストで載っていました。

日蓮宗&日蓮さんの紹介では…

信者A「俺は毎日お題目を三万遍唱えてるぜ!」

信者B「何回も唱えればいいってもんじゃない。俺は心の底から真剣に、一日一回『南無妙法蓮華経』と唱えているんだ!」

そこへ通りすがる日蓮

信者A「日蓮様、お題目は数が多いほうがいいんですよね!?」

信者B「いや、真剣に唱えれば一回でいいんですよね!?」

日蓮「私は一日三万遍唱えています」

信者A「やっぱり!そらみたことか!」

日蓮「しかし、三万遍全部、心の底から真剣に祈っています」(そのままにこやかに立ち去っていく)

信者A&B「どっちが正しいんだ…?」

というやりとりでした(笑)。

資料集の結論としては、とにかく「南無妙法蓮華経」と唱えれば幸せになれるとして広まった、というように書いてあったと思います。

今だったら創価の抗議と圧力でそのページは黒く塗りつぶされるかもしれませんね。

他の宗派は全然覚えていないんですが、ま、母親がやってるやつなんで印象強く記憶に残っていました(笑)。

こういった信仰の根幹に関わる部分をコロコロ変えるって、宗教としてどうなんでしょうね。

SGIメンバーが増えてきたのでそのために、とかいう理由付けだったと思いますが、それだったら「題目一ぺん」の方がみんな負担は少なくて会員も増えるかもしれないですもんね!?

そしたら勤「行」ではなくなるかもしれないですけどね~。

【ぎょう 行 ギョウ】 ①仏教で、悟りに到達するための修行。「行を積む」「無言の行」

一ぺん題目なんて、単なるおまじないの呪文だ(笑)!