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真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

マインド・コントロールとは何か

2014-01-26 22:24:21 | カルト宗教

「マインド・コントロールとは何か」(西田公昭 著)という本の紹介を一昨年、去年と延々とやっていたので、このブログをずっとご覧の方は何となくは理解してらっしゃると思います。

しかし上記のような書籍を読み、マインド・コントロール(以下MC)関連のサイトを読み漁っても人にバッチリ説明できるまで理解しているかと言えば、自信満々とは言い難い・・・。いえ、私がそうなだけであって皆が皆そんな頼りないとは思いませんが。

それにMCとは必ずしも宗教の場面で使われるわけではなく、様々な社会のシーンでそうとは知らず・知らされず使われている心理テクニックでもあります。

たとえば多いのが商売・セールスの場面ですね。いかに商品を買わせるか、交渉を進めるかという話術の一つです。

薬物使用や肉体的、精神的暴力・強制力を伴う「洗脳」とは似ても似つかないものであるというのも、世間では混同されがちですね。

そんな本当は敷居の低いMC。もう一度さらっとおさらいしてみたいと思います。ちなみに宗教、特に破壊的カルトと呼ばれる宗教で使われるMCの定義についての説明になります。

[カルト]セミナーというサイトの「総論:カルトに関する基本的理解」 より抜粋。

マインド・コントロールとは何か

「ある人物(組織)が、個人の人格(信念、行動、思考、感情)を破壊して、それを新しい人格に置き換えてしまうように影響力を人工的体系的に与えること。しかも、本人自身には強制されていると感じさせないで。けれども、もし事前に適切な情報が与えられていたら、決して成功しないような仕方で。」

そんなことができるのだろうか、と思われる向きもあるかと思いますが、カルトと呼ばれる宗教組織は、それを見事に行っています。その恐ろしさは、身近にそれを経験した人でなければ、十分感じ取ることが出来ないであろうと思います。その具体的な方法については、下記にご紹介した参考文献を参照下さい。

カルトの見分け方

カルトを見分けるのに分かりやすい特徴を箇条書きにするなら、以下のような点を挙げることができるでしょう。これらをチェックしていけば、その宗教がどれほどカルト性を持っているかを知ることができます。必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当てはまるなら、カルトと考えて差し支えないと思います。

1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。

2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない

3.自分の頭で考えることをしないように指導する

4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ

5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い

6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える

7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある

8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる

9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている

10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする

11.外部に対して正体を隠す傾向がある

12.生活が細部にわたって規定される

13.組織が信者の生活のすべてになっている

14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている

15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える

更に具体的に、ご自分で接する宗教団体がカルトであるかどうかを見分けるためには、以下のような点に注意を払うとよいでしょう。

1.誘われたグループについて外部からの情報を集める

2.そのグループの特徴を内部からも探る(観察、質問、内部文書等によって)

3.どんな状況においても自分自身を見失わないようにする

創価学会は表向きには社会性のある(あるよね?w)宗教団体ですので、そのまんま当てはまらない項目も僅かにあると思います。

1の「真理はその組織に占有されており~ 」なんていうのは、学会で言うと「日蓮大聖人の教え(血脈とか?)は唯一創価学会だけが正しく受け継いでいるのだ~」とかいうやつに当てはまりますね。

4の「組織と外部に二分する」というのも、恐らく学会員さんたちは普段そんなに自覚がないのではと思いますが、選挙の時などその意識はハッキリ丸分かりですよね。

後は12の「生活が細部にわたって規定」以外は特に説明するまでもなく当てはまっていると思います。

うーん。見事だ。

有名なフランスでのSGIカルト指定の際に用いられているカルトの要件10項目も7~8項目は当てはまりますから、本当に見事と言うほかない。

では創価学会ではこれらのカルトと言われ批難されるような状況を改善しないのか?と普通思いますよね。

この答えもアンチ学会の人間ならば即答ものなんですが、答えは「できない」なんですね。

「しない」のではなく「できない」。これらの改善を図るということは即ち、創価学会ではなくなるということを意味するからです。

たまにバリ活学会員さんのコメントやブログなどで、「人間の集まりだから問題はあって当然」「組織に問題があるならば下から変えていかなければ」などという台詞を目にします。

学会も昨日今日できた組織ではなく、宗門から離れてから数えても四半世紀です。下から変えられましたか。変わりそうでしたか。

「変えていかなければ」というのは「やれば変わる」という前提の元の言葉ですが、そう思っている&思わされているのは、組織上層部の思惑にまんまと嵌っているのではないでしょうか。

事実変えられようもありませんよね。

そうやって末端の意識を吸い上げてもらえるような組織であると思わされることは、不満を持つ学会員さんたちのガス抜きであり、所謂下克上のような本当の組織改革から目を逸らさせるための誘導でしかありません。

自分たちが自由に組織の悪いところを批判できるなんて、健全な宗教団体だ。そう思っちゃってる人いるんじゃないでしょうか。

覚醒しようとする人・している人はきっと、組織への批判をぐっと胸に収めています。

口にしたところで何も変わらない・変えられないということに気づいているからです。

そうして余計な荒波を立てず距離を取り、去っていくことを選ぶ方が多いでしょう。

辞め方ひとつ取っても、健全な宗教団体ではないことがよく分かります。

入脱会の自由の有無は、カルト宗教の要件の一つですからね。


マインドコントロールとは何か より「マインド・コントロールに気づきにくい理由」その2

2013-02-24 17:34:35 | カルト宗教
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第4章 一時的マインド・コントロールの原理と実際 より

マインド・コントロールに気づきにくい理由――コントロール感の錯覚

 マイヤーは、人は実際にはコントロールできない事象をコントロールできると認知したり、実際以上にコントロール可能であると認知することがあると指摘し、以下のような実験を取り上げた。
 ランガーの実験では、宝くじの状況を設定した。そして、自分で宝くじの当選番号を選ぶことができる条件と、実験者によって選ばれる条件をつくる。そうすると、自分で当選番号を選べる条件では、他者によって選ばれる条件よりも四倍もの金額を投資したという。容易にわかるように、だれが当選番号を決めようと、当選確率は同じである。しかし実際のギャンブルの行動でも、この実験と同じようなことが起こっている。

~中略~

 またさらに、シャフナーの実験では、被験者の大学生は、小学四年生の「ハロルド」の登校時間を教育するように求められた。被験者には毎日ハロルドの登校時間がパソコンの画面上に表示されて知らされ、被験者は「ほめるか」あるいは「叱る」という選択肢のいずれかを選ばされた。しかしハロルドは実際には架空であり、彼の登校時間は学校の門限時刻の前後一〇分をただランダムに表示するようになっていた。この実験終了後、多くの被験者が実際の効果がないにもかかわらず、「ほめる」あるいは「叱る」といった教育効果があったと思いこんだという。
 これらの実験が示すように、人は実際には統制できないことを、注意深くよく考えたらわかることであっても、統制できると思いこんで行動する傾向があるといえる。つまり、祈祷や呪術などの行為が
確率的ないし科学的に調べてみれば、効果のないことが判明するにもかかわらず、ある程度は効果があるのではないかと錯覚してしまう。
 破壊的カルトからの勧誘において、被勧誘者は常にコントロール感を過信し、いつでもやめて元にもどれると考えている。つまり、自分の意思しだいでどうにでも自由になると思いこんでいることが多い。しかし、それは自己についてのコントロール感の錯覚であり、状況の強い力が彼らを拘束していることに気づいていない。その力とは、たとえば一貫性であったり、返報性であったりする。人はこのような心理的な力によって拘束されるために、ひとたび破壊的カルトに接近してしまうと、もし遠ざかりたいと思ったときには、相当な苦労が必要とされる。
 だから多くの人は
「やってみなきゃあ、わからない。とりあえず、経験してみてからでも遅くはない」という軽い気持ちで接触してゆくが、それは非常に要注意なのである。入会した後、ふたたび脱会しようと思っても、今度はなかなか止めることができず、精神的にも物理的にも数々の困難にあうことが多い。

 一時的マインド・コントロールは、マインド・コントロール全体の技術の中でも比較的に汎用された技術であり、破壊的カルトの専売特許ではない。それは、人間の外見的な行動を操作しようとする技術である。つまり、その個人が採用した行動が、個人の内面的な状態を反映しているかどうかを問題にはしていない。内面的な状態とは、つまり、「正しい」とか「誤りである」とかいった確信や「好き」とか「嫌い」とかいった価値を含むビリーフであるが、行動は必ずしもそれらを反映しているわけではない。要するに、「正しい」と思ったから、行動したともいえないし、「好き」だから、行動したともいえない。そうした「こころ」などおかまいなしに、とにかく要請どおがの行動をさせてしまおうとするのが、一時的マインド・コントロールの技術である。

こうしてみますと、人間が如何に曖昧な生き物かと思ってしまいますね。でもこういったコントロールを完璧にできてしまうと、到底社会で生きていけないのも人間のような気もしますが。

また、自分の労力の結果というものに対して「良かった」結果だけに注目するという傾向は確かにありますね。学会の座談会などで行われる体験談は、この効果に非常に役立っているといえるでしょう。

今まで紹介してきたものは、書いてあるように「一時的マインド・コントロール」の説明であり、多くは勧誘に際して使われることが多い技術です。

しかし創価学会の場合(他の宗教団体でもそうかもしれませんが)、既に信仰している会員に対してもこの一時的マインド・コントロールは活用されている感じですねぇ。

この「とにかく要請どおりの行動」をさせることを連続させているという感じです。そのため、非常に思考停止している学会員さんが多い印象があります。

さてさて、このところ寒い日が続いていますね。皆様、体調管理にはくれぐれもご注意下さい。

春はもうすぐ・・・だったらいいなぁ。

アンチ創価の春も近いといいなぁ☆*~゜⌒('-'*)⌒゜~*☆ウフフ♪


マインドコントロールとは何か より「マインド・コントロールに気づきにくい理由」その1

2013-02-10 23:22:50 | カルト宗教

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第4章 一時的マインド・コントロールの原理と実際 より

マインド・コントロールに気づきにくい理由――他者からの影響の過小評価

 たとえば、マイヤーによれば、人は自己の以前の意見や感情をも簡単に忘れることがあるという。すなわち、マインド・コントロールをする側からいえば、個人に他者から何らかの影響を与えられたということを忘れさせる、あるいは気づかせないことに成功すれば、人は自発的で自由な意思決定の結果であると自らを信じさせることになるだろう。
 ベムとマッコーネルがおこなった実験では、カーネギーメロン大の学生たちに、学生管理の計画を提示し、その計画にどの程度賛成するかという評定に答えさせた。そのあと被験者たちには、その
学生管理計画に反対するレポートを、一週間後に書くことに同意させた。そして一週間たったあと、被験者はレポートを書かされる前に、もう一度以前と同じ質問に対する意見の評定を求められた。そのとき彼らの表明した意見は、前に質問したときよりも強く反対する立場に変容していた。つまり、被験者は一週間の間、レポートを書くために、反対意見を考えさせられたのであった。そのことが自らの意見をも動かしていた。しかし、彼ら地震は自分の意見の変化に気づかないし、その実験の効果さえも否定し、もともとの自分の主張であったと考えた。
 この実験でわかるように、
人は一般的に人に説得されたとは思いたがらない傾向があることを示している。破壊的カルトからの強い説得も、当人はそれをあまり認知しない傾向にあるといえる。つまり、被勧誘者は、「考える」という行為そのものさえあれば、集中的にある特定のメンバーとの接触を繰り返し受けていても、自分の意思だけで判断したのだと思いがちなのである。
 あるいはまた、マイヤーが紹介するマックファーランドとロスがおこなった研究では、大学生を調査し、自分の恋人についての評定をきいた後、二ヵ月後、再びその恋人についての評定をきいた。この二回の調査の結果、ふたりの関係がよりよい方向に進展していた被験者に、その二ヶ月前にきいた評価を思い出させると、実際にしていた評価よりも好意的な評価を思いだし、仲が悪くなっていた被験者に思い出させると、前の実際の評価よりも否定的な評価を思いだす傾向にあった。また以前より恋愛関係が高まった人は、相手を最初から好きであったと報告し、その間に別離を経験していた人は、相手は幾分利己的であったり病的であったと報告した。
 この実験例で見るように、個人がいだく
ある対象への最初の印象は否定的でも、その後の経過で本人にとって好意的な方向に印象を変化させれば、過去の否定的な印象を忘れさせることができることを示唆していた。つまり、つぎのことがいえる。日本人は、「宗教」に関してあまり良くないイメージを抱いている人が多い。しかしそんな彼らが、もしも宗教的な装いをした破壊的カルトに入ってしまうと、なぜ否定的なイメージを抱いていたのかを忘れてしまう傾向にある。

カーネギーメロン大学なんて名前の大学があるのか!というどうでもいい驚きはさておきw

ここで書かれている実験、だいたい皆さんも経験のある感覚ではないかと思います。

別に恋人関係に限ったことでなくても、意地になっていると自分で分かっていたとしても、過去の意見の違いを認めたくない感情って確かにありますよね。そしてそれを正当化するために「いや、元々こうじゃないかと思っていたんだよ~」という風に自分にも周りにも言ってしまったり。

また実際に学会では、上記の最初の赤字部分の実験(学生管理計画の反対意見をレポート提出させるという実験)と同じことを実践していますね。

教学試験がそれではないかと思います。

教学と言うからには仏教や日蓮さんへの理解を深めるための試験かと思いきや、日蓮正宗(日顕宗)が如何に間違っていて如何に悪辣で、まさにトンカチで頭を叩いてやらないといけないような邪宗であるかを説明しなさい、というような設問が必ずあります。

この試験を受ける人たちは、実際に今まで自分の考えとして日蓮正宗に対しての批判を持っていなかったとしても、上記の実験結果からすれば「それは元々思っていたんだ」というように自らの意見を動かし、意見が動いたという事実さえも気づかないというわけです。

こうしてみると、巧みに、そして確実に創価学会の在り方というのはマインド・コントロールの手法に則っているということが分かると思います。

厄介なのは過去の意見を「忘れてしまう」という部分でしょうね。元々そういう考えであったのだと思ってしまうという、これは「認知的不協和の理論」という心理作用に当てはまるものであるでしょう。

「認知的不協和の理論」とは、自分自身の内部に矛盾がないように努力する、という自然な真理の流れです。これはまた、いずれ詳しく記事にします。

話は変わりまして、引き続き蛍さんの「実事求是」(インド創価池田女子大の怪)のブログが更新されています。

いやはや、創価学会の涙ぐましい努力、相当なものです。なんせ国際規模での詐称ですから。そのお金も時間も労力もかけた偽りの栄光を、基本的に無料のインターネットで暴露され世界中に発信されるとは、可哀想な気もしないでもないですがそれが時代というものです。

けれど日本国内よりも海外でこういった活動に注力するというのは、コオロギ丸さんの「嫌創価流」で記事にされた「インフォメーション・ギャップ」というものであり、実に学会の益に適っているものであるということのようです。

このブログを見ている学会員さんがいたとしたら。いないかな~?

いつまでも言われたことをそのまま受け入れる時は終わりにして、本当のことを知ってみたいと思いませんか?ちらっとでも思った方はどうぞ、上の二つのブログをそろっと訪れてみて下さいね。

勿論アンチの方たちも唸る秀逸な記事ですので、是非是非ぽちっとリンク先にどうぞ~!


マインドコントロールとは何か より「マインド・コントロールに気づきにくい理由」

2013-02-03 21:57:40 | カルト宗教

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第4章 一時的マインド・コントロールの原理と実際 より

マインド・コントロールに気づきにくい理由

 人はマインド・コントロールを受ける可能性を「わたしは大丈夫だ」「他の人はそうかもしれないけれど、私はあてはまらない」といった例外感覚で否定する人が多い。しかし、その感覚こそ危険である。
 チャルディーニの指摘したルールに沿って一時的マインド・コントロールの原理と実際を見てきたが、これらは人間のあまり深く考えないで引き起こす行動に注目している。つまり、
あまり深く考えないということは、だれかに操作されている可能性についてもまた、あまり考えないということだ。ところでこのほかにも、自動的に反応するビリーフ・システムという意思決定の「装置」には、いくつかの特徴があり、操作者はそれらを巧みに利用すると、外部から影響を与えられていることをごまかすことも可能である。そうした特徴のいくつかを紹介しよう。

続く・・・

もう早いもので2月になりましたね。

ほんの少し前までクリスマスだー、お正月だー、なんて思っていた気がするんですが、もう節分です。皆様いかがお過ごしですか?

どうやら創価学会では財務の最終追い込み期間のようです。

以前紹介しましたが、法華経では教団への寄付は無用としているそうです。

「財務なんてどうでもいい」(仏教と批判的合理主義)

創価学会及び池田氏を崇め奉り財務するか、法華経に準ずるか・・・。

信仰とは何か。一歩立ち止まって考えてみて欲しいですね。

まあこれを書いている時点ではもう既に、一歩踏み越えちゃってる人が多いのかもしれませんが。

ところで素朴な疑問ですが、年末の通常財務と今回のような特別に期間をずらした財務では、金額の総計は変化があるものなのでしょうか?

私自身は財務したことがないので、自分だったらどうするかっていう想像が全くできませんw

変わらないのかな?目に見えて減ったりするという予測があるなら、選挙と被ろうと期間をずらしたりしないでしょうから、やっぱり大差ないのでしょうかね。

「信者が三人いれば家が建つ」でしたっけ?誰の言葉か知りませんが名言ですよね~。


マインドコントロールとは何か より「特定の状況に作用するルール」その5

2013-01-14 21:25:58 | カルト宗教
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第4章 一時的マインド・コントロールの原理と実際 より

特定の状況に作用するルール――⑤権威性

 人は権威者がいるとき、その人に行動の責任をあずけて、命令に自動的に服従しやすくなる。ミルグラムは、人が権威に盲目的に従ってしまう姿を、非常にセンセーショナルな実験で証明してみせた。その実験では、被験者は二〇歳から五〇歳までのアメリカ人男性二九六人であり、職業では労働者階級の人が四〇パーセントで、ホワイトカラー、セールスマン、ビジネスマンが四〇パーセント、専門職が二〇パーセントであった。つまり、ごくふつうの善良なる市民の代表というわけである。そして、その実験は、エール大学という非常に権威の高い大学の実験室で行われた。実験の表向きの目的は、「記憶に及ぼす罰の効果」というふう説明された。手続きは、二人の被験者がペアを組んで実験に参加し、一人が教師の役割で罰を与える役、そしてもうひとりが生徒の役割で記憶課題をおこなうというものであった。しかし、その生徒の役割というのは、実のところ、実験の共謀者である。よって、役割はくじで決めたのだが、それには細工がほどこされていて、真の被験者は、必ず教師の役割をすることになっていた。
 被験者が実験室に入り、教師の役割の人は問題を出し、もし生徒がまちがえたら、罰として電気ショックを与えることと説明された。電気ショック装置は、一五ボルトから四五〇ボルトまで一五ボルトずつ三〇段階あった。そのレバーには「かすかにショック」から電圧によって「中程度」「強烈」「危険、強烈なショック」という表示もついていた。そして、被験者には、四五ボルトを経験してもらって本物であることを信じこませた上で、生徒を椅子に縛りつけ、電極につなぎ、実験を開始した。そして被験者は、生徒の役割をしているペアの相手が課題にまちがうたびに、電気ショックをあたえるように言われる。しかも一段一段、電気ショックを強くするように求められる。被験者が躊躇した場合には、白衣を着た権威ある専門家とみえる実験者は「迷うことはありません、続けてください」と告げ、それでもなおかつ、被験者が実験の続行を拒んだとき、実験は終了することになっていた。
 さて、被験者は、どこまで、つまり何ボルトまであげたであろうか。電気ショックの威力は非常に強烈であり、強いショックでは相手を死亡させてしまう可能性があった。そのことを被験者は知っていた。もちろん、実際には電気ショックは与えられてはいなかったが、生徒の役割の人が仕組まれた芝居を演じていた。たとえばショックのレベルに応じて、「うっ」とか「痛い」とか「もうやめてくれ」とかというように、迫真の演技をするようになっていた。
 ところでミルグラムは実験に先立ち、精神科医四〇人にこの実験結果を予想させていた。彼らの予測では、被験者の多くは、一五〇ボルトまでにやめるだろうし、一〇〇〇人に一人くらいは、四五〇ボルトまでやるかもしれないと予想したのであった。
 しかし、実験結果は予想外なものであった。驚くべきことに、被験者は予想をはるかに上回るレベルの電気ショック与えた。しかも職業などにはかかわらず、六〇%を超える人が、最後の四五〇ボルトのレバーさえもあげてしまったという。
 実験が終わった被験者は面接を受け、なぜそうしたのかと聞かれると、
「私はあなたに命令されただけだ、私のせいではない」などと答えた。

~中略~

 破壊的カルトの勧誘でもこれを用いる。たとえば、組織のメンバーには有名な大学や大学院の出身者や関係者である人がいると伝える。組織のトップや一部のメンバーは、世界中の著名人と親交が深いことを伝える。あるいは、政界や経済界、学術界の大物、権威ある機関や著名な人物が、自分たちの組織やその活動を高く評価していると吹聴する。まだ何も組織のことを理解していない被勧誘者は、それらの評価に自動的に反応してとりあえず足を向けてみようとする。

この実験はテレビでも紹介されたりする有名な実験なのでご存知の方も多いのではないでしょうか?

電気ショック中に、「私は心臓が弱いんだ」などと生徒役が訴えても背後から白衣の人に命令されると、手を震わせながらでも電圧のレバーを上げてしまった、などというパターンもあったようです。

センセーショナルというか怖い実験ですが、命令に従ってしまう人間の心理というのがよく分かるものだと思います。

この実験のキモは表題にもありますように、単に「命令に従ってしまう」というものではなく、「権威あるものに従ってしまう」ということです。

実際カルト宗教で「寄付をしろ!」などと命令されることは少ないでしょう。

あくまでも信者たちが自分から進んで差し出す、という形が必要なのです。

そして「自ら」という方向に信者を向けるのがこの「権威性」ということです。

権威あるもの、たとえば「ガンジー・キング・イケダ」などというように世界の偉人と肩を並べているのだから、本物の平和の体現者だ!だからセンセーに間違いはない!みたいなことだと思います。

書いてて「ガンジー・キング・イケダ」ってなんとも、こっぱずかしいものですわw

しかしこういった隷属性って、やはり根底に「自己責任」の意識の薄さがあるのかな、と考えてしまいます。

「誰々が言っているから」というように、自分の考えを持てない人たちがカルトにドハマリしているような気がします。