「マインド・コントロールとは何か」(西田公昭 著)という本の紹介を一昨年、去年と延々とやっていたので、このブログをずっとご覧の方は何となくは理解してらっしゃると思います。
しかし上記のような書籍を読み、マインド・コントロール(以下MC)関連のサイトを読み漁っても人にバッチリ説明できるまで理解しているかと言えば、自信満々とは言い難い・・・。いえ、私がそうなだけであって皆が皆そんな頼りないとは思いませんが。
それにMCとは必ずしも宗教の場面で使われるわけではなく、様々な社会のシーンでそうとは知らず・知らされず使われている心理テクニックでもあります。
たとえば多いのが商売・セールスの場面ですね。いかに商品を買わせるか、交渉を進めるかという話術の一つです。
薬物使用や肉体的、精神的暴力・強制力を伴う「洗脳」とは似ても似つかないものであるというのも、世間では混同されがちですね。
そんな本当は敷居の低いMC。もう一度さらっとおさらいしてみたいと思います。ちなみに宗教、特に破壊的カルトと呼ばれる宗教で使われるMCの定義についての説明になります。
[カルト]セミナーというサイトの「総論:カルトに関する基本的理解」 より抜粋。
マインド・コントロールとは何か
「ある人物(組織)が、個人の人格(信念、行動、思考、感情)を破壊して、それを新しい人格に置き換えてしまうように影響力を人工的体系的に与えること。しかも、本人自身には強制されていると感じさせないで。けれども、もし事前に適切な情報が与えられていたら、決して成功しないような仕方で。」
そんなことができるのだろうか、と思われる向きもあるかと思いますが、カルトと呼ばれる宗教組織は、それを見事に行っています。その恐ろしさは、身近にそれを経験した人でなければ、十分感じ取ることが出来ないであろうと思います。その具体的な方法については、下記にご紹介した参考文献を参照下さい。
カルトの見分け方
カルトを見分けるのに分かりやすい特徴を箇条書きにするなら、以下のような点を挙げることができるでしょう。これらをチェックしていけば、その宗教がどれほどカルト性を持っているかを知ることができます。必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当てはまるなら、カルトと考えて差し支えないと思います。
1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない
3.自分の頭で考えることをしないように指導する
4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い
6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる
9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている
10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
11.外部に対して正体を隠す傾向がある
12.生活が細部にわたって規定される
13.組織が信者の生活のすべてになっている
14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える
更に具体的に、ご自分で接する宗教団体がカルトであるかどうかを見分けるためには、以下のような点に注意を払うとよいでしょう。
1.誘われたグループについて外部からの情報を集める
2.そのグループの特徴を内部からも探る(観察、質問、内部文書等によって)
3.どんな状況においても自分自身を見失わないようにする
創価学会は表向きには社会性のある(あるよね?w)宗教団体ですので、そのまんま当てはまらない項目も僅かにあると思います。
1の「真理はその組織に占有されており~ 」なんていうのは、学会で言うと「日蓮大聖人の教え(血脈とか?)は唯一創価学会だけが正しく受け継いでいるのだ~」とかいうやつに当てはまりますね。
4の「組織と外部に二分する」というのも、恐らく学会員さんたちは普段そんなに自覚がないのではと思いますが、選挙の時などその意識はハッキリ丸分かりですよね。
後は12の「生活が細部にわたって規定」以外は特に説明するまでもなく当てはまっていると思います。
うーん。見事だ。
有名なフランスでのSGIカルト指定の際に用いられているカルトの要件10項目も7~8項目は当てはまりますから、本当に見事と言うほかない。
では創価学会ではこれらのカルトと言われ批難されるような状況を改善しないのか?と普通思いますよね。
この答えもアンチ学会の人間ならば即答ものなんですが、答えは「できない」なんですね。
「しない」のではなく「できない」。これらの改善を図るということは即ち、創価学会ではなくなるということを意味するからです。
たまにバリ活学会員さんのコメントやブログなどで、「人間の集まりだから問題はあって当然」「組織に問題があるならば下から変えていかなければ」などという台詞を目にします。
学会も昨日今日できた組織ではなく、宗門から離れてから数えても四半世紀です。下から変えられましたか。変わりそうでしたか。
「変えていかなければ」というのは「やれば変わる」という前提の元の言葉ですが、そう思っている&思わされているのは、組織上層部の思惑にまんまと嵌っているのではないでしょうか。
事実変えられようもありませんよね。
そうやって末端の意識を吸い上げてもらえるような組織であると思わされることは、不満を持つ学会員さんたちのガス抜きであり、所謂下克上のような本当の組織改革から目を逸らさせるための誘導でしかありません。
自分たちが自由に組織の悪いところを批判できるなんて、健全な宗教団体だ。そう思っちゃってる人いるんじゃないでしょうか。
覚醒しようとする人・している人はきっと、組織への批判をぐっと胸に収めています。
口にしたところで何も変わらない・変えられないということに気づいているからです。
そうして余計な荒波を立てず距離を取り、去っていくことを選ぶ方が多いでしょう。
辞め方ひとつ取っても、健全な宗教団体ではないことがよく分かります。
入脱会の自由の有無は、カルト宗教の要件の一つですからね。