新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

SLに乗りに~2

2015-04-14 19:53:22 | 旅行


ふと気づくとSLが出庫して客車と連結するようなので、車から出て線路沿いに。ちょうど本日の牽引機C10 8号機が客車と連結をするところでした。程なくしてSL急行の乗車開始の案内が入ったので、早速改札を受けてホームに入ります。

すでに列車はホームに入っており、改札口を抜けてくる乗客が次々にやってきて機関車のあたりで撮影をします。このC10型蒸気機関車は国鉄近代型タンク機関車の初代とも言える機関車で、1930年に製造されました。当時のテンダ機関車の技術を応用して作られており、短距離の快速列車の牽引に活躍をしました。この機関車の技術でつぎのC11というタンク機関車の名機が生まれています。当機は新製配置が新小岩機関区という千葉にも縁のある機関車です。最終配置は会津若松区で、廃車後は岩手県宮古市のラサ工業で使用されていましたが、1995年に大井川鐵道にやってきました。

SLだけではなく客車も国鉄の旧型客車を使用しており、昔の急行列車の雰囲気を楽しむことができます。そして指定された3号車はその中でも独特の形態を持っている車両でした。

3号車はオハ35 149号車で1940年に小倉工場で製造された車両で、オハ35系の中でも特異車と呼ばれる車両です。この車両は国鉄工場での溶接技術の向上を図るために試作された車両で、張り上げ屋根に窓上のヘッダがないタイプとなっています。現役唯一の試作車両で、国鉄客車史の貴重な保存車両として研究家の間でも有名な車両です。

客車の端には鉄道省小倉工場の製造銘板と土崎工場の更新修繕銘板が残っていました。ちなみに小倉工場は現JR九州小倉総合車両センター、土崎工場はJR東日本秋田総合車両センターとして現存しています。

隣の2号車は原型のオハ35 22号車でこちらは現役最古のオハ35系客車で1939年に日本車両東京支店蕨工場で製造されました。こちらはリベット止めの車体となっています。そんな車体の違いを観察して客車に乗り込みます。もちろんドアは手で開けるタイプなので、ドアを開けて乗車します。 


SLに乗りに~1

2015-04-14 19:21:11 | 旅行

体の調子をおかしくして以来、週末は家で寝ている生活をしていました。家で寝ていると悪いことばかり考えてしますので、ここらでちょっと出かけようと思い、以前宿泊をした川根温泉ホテルの空き状況を調べていたら、キャンセルが出たらしく空きが出たので、すぐに予約をし、さらにレンタカーやSL列車の予約も済ませました。

4月10日の夕刻にレンタカーを借り、自宅に戻るまでにディズニーリゾートの外周を回って運転感覚を取り戻します。4月11日深夜2時頃に自宅を出発。浦安ランプから首都高速湾岸線に乗ります。久しぶりの高速走行ですが、深夜で道が空いているので気兼ねなく走れます。ただし法定速度遵守で…。本牧JCTで狩場線に移り、狩場JCTで保土ヶ谷バイパスへ。保土ヶ谷バイパスを順調に走って横浜町田ICから東名高速道路に入ります。物流の大幹線の東名高速に入るとトラックの走行が多いですが、流れに乗って走ればさほど苦にはなりません。さすがはプロドライバー。こちらはペーパードライバーですが、なるべく一定の速度で走るように心がけます。順調に東名高速を走り、EXPASA足柄に5時前に到着。ここで少し休憩を取ります。30分ほどの停車で発車。御殿場JCTから新東名高速道路へ進路を向けます。
夜が明けてゆく新東名高速道路を走りますが、新清水IC付近から霧がかかり、見通しが非常に悪くなります。ライト点灯のまま慎重に走りますが、トラックはテールランプがついているのでライトはついているようですが、乗用車の中にはライトをつけずに走っている車も多く、危なくて仕方がありません。NEOPASA静岡で朝食をとってから島田金谷ICで高速を降りて大井川鉄道新金谷駅を目指します。新金谷駅には8時半過ぎに到着。SLの発車まではまだ3時間ちかくあります。

とりあえずSLの切符を買ってから、ちょうどやってきた普通電車に乗って金谷駅まで往復します。普通に切符を買うと昔懐かしい硬券でした。金谷まで往復した電車は大井川鐵道最新車両の7200形電車でした。最新型といっても元東急の7200形電車で、十和田観光電鉄に譲渡された電車を、同線の廃止に伴って再譲渡してもらった電車です。

金谷駅まで往復してもまだ時間はたっぷりあるので、新金谷駅周辺をのんびりゆっくり歩いて、電車の入れ替えやSLの出発準備の光景を眺めます。

一旦車に戻って時間まで車の中でしばし休憩します。