一つのことに専念していて病気になるより、多面的に生きていくこってすよ。明るく元気にニコニコして生きていれば、老後は安泰でございますよん。
ひとつのことに専念して、一所懸命を美徳とするのは日本人の特性であろう。別にそれはそれで反対はしない。それなりに良きことかなと思うだけであるから。
ボキは、今副業を正式には4つ持っている。だからいろいろ言われる。一つのことに専念せぃ!と言われる。先日の歴史の会総会でもそういうヤジが飛んだ。笑ってしまった。ボキがあまりにも多面的にアチコチ顔を出しているからであろう。
一つのことに専念しすぎたから病気になったのだ。マジに後悔しているから、多面的に老後は生きていこうと思っている。定年退職後に入学した某大学院博士課程で、一つのことに没頭しすぎた。学力劣等で成果も出なかった。遺せなかった。なにしろ、毎日13時間は論文執筆をしていたのだ。アホである、アホ。テメェの能力を把握していなかったからこうなるのじゃ(^0^)。
だからである。たこつぼで生きていちゃいけねぇのだ。ボキの場合は特にそうである。閉じこもって、ゴミ論文を書いていて病気になってしまったのだから、洒落にもならないではないか。
中退後は、多面的に生きるというのは、まず身体を動かすことが最大の目標になっている。
太極拳も、walkingも、全部その一環である。
長生きしたいのである。まさか、歴史の会に命を捧げるわけにはいかないからだ。あるいは、バイト各種に命まで捧げるつもりはまったくない。
そんなもので死んじゃったら、後悔のみが残る。
まだまだ旅にも出たいからだ。ゼニもネェけど、ゼニなんかまったく遺さないで死んじまった方がずっとよろしい。
乏しい年金暮らしでなんとか生きていけるのだから。
さらにある。
多面的に生きていると活力がよみがえる。他人のこともまったく気にならない。気にしている時間がない。相手にしない。そんなヒマがないのだ。
わはははっはははっははっはははっははは。
自分が明るく元気に生き生きと過ごしていると、友人もけっこうできてきた。現役の仕事人時代の友人もいる。大事にはしている。しかし、それも程度問題である。ボキにとって学ぶべき価値のある人としか、つきあわないからだ。性格がアワナイ人とは、会わないのである。これがボキの特性である。だから他人からかわいがられないのであろう。出世できなかったワケである。
そんなもんどうでも良いことである。
明るく元気に生きていれば、自然と友達もできる。しかも、ニコニコ微笑んでいればシアワセにもなれる。活力がわき出してくるのじゃよ。
暗い顔して、絶望していたら話にならない。
ボキは、中退した某大学大学院博士課程でそれを学んだのじゃよん。
たったそれだけか?と言われそうだが(^0^)。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ