飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

9.11自作自演テロを告発する、圧巻の作!!最終回

2008-12-08 13:39:17 | 日本

9.11自作自演テロを、常識人の目で 徹底告発する力作!!
反論
するなら、同じレベルで反論するべき圧巻の告発!! 転載 最終回


 このサイトを知るに至った経緯は、最も信頼する一人である『リチャード・コシミズ 独立党支援ブログhttp://dokuritsutou.main.jp/newversion/2.17kouenkai.htm のサイト管理者nanasi911さんに依る。

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<こんな損傷は、熱線以外、考えられない!!>

 今回の転載で、最終回とする。まさしく、圧巻の作であった。この回は、転載を開始した時には、出稿されていなかったが、本来は初陣に転載するべきところであったが、最終回に持ってきた。改めて、『真実の見分け方』について、学ぶのも最終回にふさわしい。


 この転載シリーズの記事については、この『真実の見分け方』の基準に沿って検証されている。それはかなり厳格な基準であり、思いこみや水掛論議を排して余りある。それだけに秀逸であると共に、後世に検証記録として貴重なモノであると思われる。それこそ、そこに拡散のために転載した理由がある。


 この作品は、制作に相当の労力を要したものと思われる。それに比べて、転載することなど、比べてみれば分けもない話である。どんなに労作でも、それが拡散してこそ意義を持つ。真実は多くに人々に共有されなければならない。多くに人々に共有されてこそ、真実が生きて、不正を糾すことが出来る。


 未だに、この事件は隠されている。この事件の目的である『驚愕する恐怖』は喧伝されたが、真実はむしろ隠されている。真実が隠されると、同様な事件が、同じような目的のために再発することが考えられる。すでにその兆しはある。


 世界は、『金融恐慌』という嵐が吹き荒れているが、投稿者の見方によると、金融システムの自作自演恐慌である疑いがぬぐいきれない。常に世界を動かすためには問題が必要である。問題があり、そのリアクションをバネとし、解決策が提示される。今、恐慌による通貨不安、金融システムが大問題になっているが、それは、解決策として新通貨の制定、金融システムの大変革が画策されるであろう。ドルの崩壊は、そのために必要問題である。世界統一中央銀行は、金融システム崩壊に導き出される解決策である。


 まだある。世界統一政府は、金融崩壊だけでは提示することが出来ない。統治策に肝腎なのは、無政府状態が必要である。それには9.11事件の数倍、数十倍あるいは数百倍の『驚愕する恐怖』を必要としている。それが有ってこそ、人々は世界統一政府を願うようになる。これは、勝手な妄想ではなく、ロックフェラーが国連に当てた書簡にそう述べてある事実がある。


 また、偽書とされるが、『シオンの議定書』には100年以上前、明確にそのアジェンダ(政治日程)を謳っている。偽書であれ何であれ、これは紛れもない事実である。その為の『mini NUKE=サムソナイト爆弾(純粋水爆)』が、数十個、紛失したという情報、テロ組織に手わたったと言う情報が、まことしやかに巷に流れている。少なくとも、既に、次の準備は成されているのである。


 それらを阻止することは、可能か。? 可能である。自作自演を糾弾すれば、それらは阻止出来る。(連載!永らくのお付き合い、感謝!!)


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※「WTCビル崩壊」の徹底究明:正誤表」については、転載しない。http://doujibar.ganriki.net/00corrigendum.html にて、本著より確認頂きたい。

最終転載開始『見ればわかる9・11研究』より

http://doujibar.ganriki.net/30epilogue.html   

「真実」の見分け方

9・11事件についてどのように考えるのか
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ある事件が起こった際に、その事件の真相を突き止め犯人を確定するのに必要なものは言うまでもなく証拠である。そしてその証拠とされるべきものは、決して噂や推測ではなく、「誰々がこのように言っている」というようなことでもなく、唯一、『明確な事実を示すものごと』のみである。
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今さらのようにこんな当たり前のことを申し上げるのは、9・11事件について、その『明確な事実を示すものごと』があまりにもぞんざいな扱われ方をしており、またあまりにも人々に知らされていないのではないかと疑われるからなのだ。
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さらに、証拠つまり『明確な事実を示すものごと』についての考え方が一般的にいって非常にあいまいな状態のままに放置されているのではないかと懸念される。一つの分かりやすいたとえを使ってご説明しよう。
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人 物Aがある殺人事件の犯人ではないかと疑われたとする。殺人現場でAの指紋が見つかりAの所持品が発見された。これは確かに証拠である。Aには動機も十分 にあり殺人時刻の少し前に被害者と会って口論していたという情報もあった。さらにAの自宅から被害者の部屋にあったはずの物品が見つかった。これらも証拠 となりうる。手袋をつけていたとみえて殺害の武器であるナイフに指紋は無かったがそれは間違いなくAの所有物であった。こういった様々な証拠から人物Aが 犯人であるという説明が作られた。
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ところが捜査が進むうちに、Aが殺害の時刻と推定された夜に他の場所にいたという確実な証拠となる事実が発見された。さてこの場合、この殺人事件の真相をどのように判断すべきだろうか。
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当 然だが「Aがこの事件の犯人である」という説明はこのたった一つの事実によって変更されることになる。つまりこの事実と矛盾しないように修正されなければ ならない。そしてもしその修正が不可能なら、「Aがこの事件の犯人である」という当初の説明は放棄され、あるいは少なくとも「凍結」されなければならず、 その場合、この説明を「真実である」と主張できなくなる。
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まとめてみよう。「証拠があるから真相は○○である」と断定してはならないのだ。決定的に大切なのは逆に《「○○ではありえない」という証拠が存在しない》という点なのである。様々な証拠によって多くの説明が主張されている場合、
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★ 他の説明には《「そうである証拠」も「そうではありえない証拠」も存在する》が
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  ★ ○○にだけ《「そうである証拠」が十分にありかつ「そうではありえない」証拠が存在しない》なら、
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そのとき始めて「○○を真実であり他は誤りである」と主張できるだろう。
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も し一つの説明がある事実と矛盾する場合、その説明はその矛盾がなくなるように修正されなければならない。もし修正が不可能な場合、その説明は「真実ではな い」として放棄され、あるいは少なくとも「凍結」されなければならず、もはやその説明を「真実である」と主張できない。これは当然のことである。
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そしてもしある説明が、それと矛盾する事実を意図的に無視して「真実である」と主張されるなら、その説明は「虚構である」と判断されてしかるべきである。
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9・ 11事件は日本を含む世界中の国々を巻き込み深刻な影響を与え続けている。このような重大事件・重大犯罪を取り扱う際に、こういった「何が真実で何が虚構 なのか」を判断する基準をいいかげんなままに放置して、単に「主要な風潮」に押し流され「信じるしかない」と追随するばかりなら、そのような態度は主権国 家である我国の将来を取り返しのつかない事態にまで追い詰めていくことになるだろう。近代国家は決して無論理・反理性によって運営されてはならないのだ。

そこで、まずこの9・11事件を判断するための証拠つまり「明確な事実を示すものごと」とは何か、また今まで米国でそれらがどのような取り扱い方をなされてきたのか、検討することにしたい。

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[物的証拠について]
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 2001年9月11日に米国で起こった「同時多発テロ」は一般的に次のように説明される。
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《ビ ン・ラディン率いるアルカイダに所属する19名のイスラム・テロリストが、当日朝に4機の民間ジェット旅客機を乗っ取り、2機はニューヨークの世界貿易セ ンター(WTC)ビルに、1機はワシントンの米国国防総省(ペンタゴン)ビルに激突し、残る1機はペンシルヴァニア州シャンクスヴィルの草原に墜落した。 その結果世界貿易センターの第1ビルと第2ビルが崩壊した。そして乗っ取り犯を含む合計3千人近い人々の命が奪われた》。
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  これが史上希なる重大犯罪であることに一点の疑いもない。ところが、この犯罪が行なわれた直後から奇妙なことが起こり始めた。「報復」に名を借りた米国に よるアフガニスタンへの侵略戦争、結局ウヤムヤにかき消された「炭素菌事件」などもあるのだがが、その陰に隠れてもう一つの極めて重大な出来事が起こって いた。
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この大犯罪の物的証拠が続く4ヶ月ほどで次々と姿を消し、永久にこの世から失われるという異常な事態が 進行していたのだ。米国政府機関とニューヨーク市当局の手によって、WTCの7つのビル群を作っていた35万トンを超える鋼材がほぼことごとくリサイクル にまわされ、そのうち判明しているだけでも18万トン以上がスクラップとして中国とインドに破格の値段で叩き売られた。アルミニウムなどの他の金属も米国 内外の再処理業者に売り飛ばされた。
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そして売り物にならない瓦礫類は、そのほとんどが原形の見分けもつかないほど粉々に粉砕され砂状あるいは小麦粉並みの微粒子と化していたのだが、ニューヨークの北にある埋立地に放り込まれた。おそらくその中には犠牲者の遺体の部分も大量に含まれていたはずである。
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またそれには「凶器」と化してビルに激突した2機の飛行機の残骸も含まれていたのだが、それらは何一つまともな調査も分析もされないままこの世から消えてなくなった。しかしFBIによると、どんな激しい墜落にも耐えることのできたはずのブラックボックスは2機分とも《発見されなかった》
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奇妙な話である。2千数百人が犠牲となるような重大犯罪で、その大多数の命を直接に奪った出来事の物的証拠に対して、一体全体どうしてこれほどのぞんざいな扱いができたのだろうか? 
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犠牲者の大多数がWTC第1ビルと第2ビルの崩壊の中で亡くなった。そこは紛れも無い殺人現場だったのだ。遺族の心痛が生々しいうちに外国に叩き売った道義的無責任はともかく、殺人現場の物的証拠をロクに調査もせずに廃棄し、しかも永久に調査が不可能になるリサイクル処分としたのだ。WTCばかりではなくペンタゴンやペンシルヴァニアのものも含めて、飛行機の残骸の精密な研究と調査がなされた形跡は無く、もはやその存在すら確認のしようが無い状態である。
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犯罪の「凶器」を含む物的証拠が当局者の手によって消滅させられたのだ。

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[映像資料について]
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このようにほとんどすべての物的証拠が消されてしまった犯罪に関して、一体何をもって「事実」とすべきなのだろうか? この点が9・11を考える際の大きな分岐点になるだろう。以下の点については「当サイトからのご挨拶」や「水掛け論に陥らないために」にも書いたことだが、非常に重要な点であるので、再度詳しく採り上げることにしたい。
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2001 年9月11日に起きたことは、ビデオや写真という手段で大量の映像資料として記録されている。特にWTCの3ビルの崩壊については、TV各局が撮影したビ デオ映像、一般の人々によるビデオ映像、プロとアマの写真家による写真画像が極めて豊富に残されている。またWTC建設に関連する昔の写真や記録やビデ オ・テープ、人工衛星からの精密な写真映像、地図や建物の図面などがあり、これらのほとんどはインターネットを通して世界中の誰にでも公開されておりいつ でも確認することができる。
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大切な点は、こういった映像資料がすでに非常に数多くの人の目にさらされており、さらに多くの人々や団体によって正確にコピーされているため、誰かにとって都合が悪いからといって今さら変造や隠蔽が不可能なことだ。これはデジタル時代、インターネット時代の重要な特徴である。
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逆 に今さら「物証」を持ち出されても、それが本当に現場にあったものなのかどうか、どんな確証があるのか、ということになるだろう。事件以降に適当に捏造さ れたものではないか、という疑いを排除できなくなるからだ。つまりもし今から「物証」が持ち出されたとしたら、むしろ疑わしいものとして扱うべきであり、 多くの方面の様々な立場の人々によってそれが検証されよほどしっかりとした科学的な証明が為されない限り、本物と認められないものであろう。<o:p></o:p>

 物的証拠が失われた以上は、このような映像資料を中心にして事件当時に発生した事実を割り出すよりほかに手が無いだろうし、またそれによって相当に正確な事実の再現が可能になるだろう。この事件の場合、ビデオや写真の映像こそ事実を知るための唯一確実な「一次資料」といえる。
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 ただ、映像資料といってもその信用度に様々なレベルがある。デジタル時代の現在では写真やビデオはかなり自由に取り扱うことができ偽造がたやすくできる。写真やビデオがあるからといって簡単に信用することはできないのだ。
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 さらにその被写体の信憑性が問題である。写真自体には偽造した跡が無くても、その被写体が本当に事件の現場にあったものなのか、元々無かったものを誰かが運んできて最初からあったかのように仕立てた可能性は無いのか、ということである。
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 こういった疑いが少しでももたれる映像は排除しなければならない。「ケチをつけ出したらキリがないではないか」と言われそうだが、しかしこの選別の作業は根本的に大切である。情報化時代には情報の信用度をどのように測るのかが最も大切な作業にならざるを得ない。
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ここで映像資料で記録される現象が事実かどうかを判断する際の基準について、次のように提案したい。
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 一つの画像で捕らえられているある現象が、別の場所からの別のカメラによる映像でも明らかに確認できること、
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 その場合、それらの映像に記録される現象に矛盾が無く(ただし光の具合などによる色調の違いやカメラの性能による違いなどを除く)明らかに同一のもの、あるいは同種のもの、あるいは連続したものであると確認できること、
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 被写体が通常の手段で輸送や移動が可能であり捏造の可能性をゼロと断言できない場合、その実物あるいは映像と附合した正確な分析記録が存在すること。
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お断りしておかねばならない点がある。確かに数多くの映像が当日TV局によって放映された。しかしその大部分は次の日から二度とTV画面に登場することがなかったのである。したがって現在インターネットなどで流されているビデオ画像のほとんどは、視聴者によって録画されたものか、あるいはおそらくTV局内からの「内部告発者」によって表に出されたものである。写真にしてもその大半は新聞や主要雑誌には全く掲載されたことがなく、その存在すら無視されているのだ。なぜか、という疑問はさておき、これもまた9・11を特徴付ける重大な事実の一つである。

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[文書資料について]
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 公的・私的な様々の機関で作られた記録や文書類の内容にしても、それが人間の手で作られるものである以上、偽造や変造の可能性は常に付いて回る。また逆に、破壊・抹消され隠蔽された記録があるという指摘も数多くある。
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地 図や地震計の記録などは偽造・変造のしにくいものであり、先ほど述べたような基準で事実と見なされる映像にある現象の裏づけとなれば、これも「事実であ る」と信用して良い。また事件とは直接の関わりあいなく客観的な場で作成された建築に関する図面や資料、飛行機の構造などに関する図面や資料、およびそれ らからの正確な引用なども同様だろう。
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しかし、その他の記録や文書(公式文書を含む)はどうであろうか。
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事件当日およびその前後の期間における、米国の政府機関や軍事組織その他の各公的機関の動きを記録した公的な文書については、厳密な時系列の分析を行った結果、各機関およびその担当者の行動や発言を、事実として疑いようのない事柄であると判断できるのであれば、それは信頼に足る情報であると分類できるだろう。
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ただし担当者の発言や行動に関して、例えば「そのときの思い違いであった」「記録者の間違いだと思う」などという「撤回」が可能なもの、また情報源が一つしか無く検証のしようの無い資料は信頼に足る情報とは言えず「参考資料」として扱われるべきだろうし、信頼に足る他の資料や事実と矛盾するような記録は考慮する価値も無いだろう。
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これは、物証をほとんど破壊されたからにはこれくらいの慎重さが無いと事実をつきとめることができない、という単純な話である。「○○の資料があるから事実だ」という軽々しい態度をとるべきではあるまい。

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[テレビ、ラジオ、新聞などによる報道]
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マスコミ関係の方々にはまことに申し訳ないが、マスコミによって報道されたから事実である、という断定はできない。9・11事件に関しては実際に、BBC、CNN、FOX、MSNBCなどの欧米の大TV網による疑問のある報道が存在している。
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し かも先ほど申し上げたとおり、今となっては最も確実な資料である映像の大部分が、事件以来、ほとんど「ボツ」とされて二度とTV画面に登場することがなく なった。多くの新聞や雑誌が当日記録された画像を無視し続けている。このようなメディアに事実を追求する姿勢がどこまであるのか疑問に思わざるを得ない。
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したがって、マスコミによる報道内容は、あくまでも今までに申し上げた確実と判断できる情報と比較してその信憑性を考えるべきものであろう。

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[目撃者証言、容疑者の自白について]
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 一 般に、目撃者の証言をどこまで信頼すべきかという点は非常に判断が難しいであろう。日本でいわゆる冤罪事件で「有罪の根拠」とされたものがほとんどの場合 「容疑者の自白」か「目撃者の証言」であったことは言うまでもない。「自白があるから」「目撃証言があるから」事実である、などという断定は極めて危険だ ろう。
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もちろん目撃者の全員が誤ったことを語っているわけでもあるまい。問題はどの証言が信用できどれが信用できないのかの基準であり、先ほど来の信頼に足る情報や映像と照らし合わせて、それらによって確認される事実と矛盾の無い場合にのみその証言を取り上げるべきである。決して目撃証言から事実を判断すべきではない<o:p></o:p>

さらにこの事件の場合、「容疑者の自白」など判断根拠とはなりにくいと言える。9・11事件の「容疑者」とされる者の中にはグアンタナモ米軍基地で数年間も拷問にさらされ続けている者すらいるのだ。


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いかがであろうか? ここでもう一度、最初に取り上げた、証拠つまり「明確な事実を示すものごと」の取り扱い方について申し上げておきたい。
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「証拠があるから真相は○○である」とは断定できない。決定的に大切なのは《「○○とは矛盾する事実」が存在しない》点だ。もしある説明が一つの事実と矛盾する場合、それはその矛盾がなくなるまで修正されなければならない。もし修正が不可能ならその説明は放棄あるいは「凍結」され、それを「真実である」と主張することはできない。
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もしある説明がそれと矛盾する事実を意図的に無視する場合にのみ成り立つのなら、それはすなわち「虚構である」。

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本 サイトが以上述べたような判断基準に沿って編集されていることは申し上げるまでもない。訪問者諸氏には、どうか以上に申し上げたような基準をしっかりと 持って、この、日本を含む世界中の国々に極めて重大かつ深刻な影響を与えた史上希なる凶悪犯罪についてお考えいただきたいと、切に希望するものである。【転載完了