飄(つむじ風)

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「終わりのとき」へのサタンの計画!!③

2008-12-31 11:20:15 | 日本

「終わりのとき」へのサタンの計画!!第3弾


 今年も、もうあとわずか。始まりの年の終わり。悪い情報は、さっさとお浚(さら)いするに限る。陰謀論と言われようが、なんと言われようが、悪の陰謀は実在する。コンスピラシー(陰謀・共同謀議)は存在する。コンスピラシー(conspiracy共同謀議)が存在しなければ、刑法上の共同共謀正犯は成立しない。最近はやりの共謀罪等というモノは必要でない。


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  <ブルーホール:記事に無関係>

 
世界の情勢は、悉(ことご)く陰謀によって、作られてきた。陰謀論を攻撃するのは、あまりに図星されるのは都合が良くないからである。陰謀論にもいろいろある。中には『陰謀論』という傘の下で、勝手な憶測を誇張するやり方である。それは、一つは情報攪乱である場合もなるが、便乗商法も少なくない。それらを抜きにしても、陰謀は存在する。


 さしあたり昨今の陰謀は、イスラエルを戦争に駆り立てる企てである。ハマスはイスラエルが作った自作自演のテロ組織である。ハマスすべてを自作自演組織と言うのではない。その中核と細部にモサドが暗躍しているのは疑いがない。組織内組織を構築して、工作するのは諜報活動の常套手段だ。だから、ハマスの兵士は、首にダビデの星をあしらっているのだ。


 ムンバイが手始めなら、アテネの暴動は、世界に波及するであろう。理由などどうでも良いのである。とにかく、騒擾を起こす必要があるのだ。そこで無垢に犠牲者が当然出る。そんなこと眼中にない。心して、惑わされてならない。

 考えても見られたい。あのアデンの海に海賊が出るからと言って、何で世界の海軍が集結必要があるのか。インド洋の給油にしても同じである。あれはライス(国務長官)石油販売の片棒を担いでいるに過ぎない。その証拠に、アフガニスタンのヘロインは増産され、戦局は悪化し、インドとパキスタンはテロが続発している。


 医学が進歩すれば、病が減らなければならない。同じように、治安維持活動が推進されれば、治安は安定するのが順当であろう。そうでないのは、一つのマッチポンプであるからだ。そう、現代医学も、陰謀だ。


 方や、騒動を起こし、方や、取り締まる。消防士が放火して廻る、出動して消火活動をする。愉快犯でそういうのがいたが、それと同じだ。本質は同じだ。愉快犯ではなく、それがコンスピラシー(conspiracy共同謀議)であるところが違う。


 オバマは、ゴザに暴動に静観した。何を意味するか。ライスは、これまでの予定稿を読み上げ、ハマスを非難した。今、イスラエル軍は戦闘準備態勢を整え、地上軍を展開する構えだ。32ドルの原油が、少々値上がりした。なんとしても原油価格を引き上げなければならない。金融崩壊の準備は整った。残すは、エネルギー支配と食料支配の完成だ。そして、騒擾カオスオペレーションを引き起こす。


 そういう思いをひしひしと感じる。

 

【転載開始】 「終わりのとき」へのサタンの計画

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<ブルーホール:記事に無関係>
http://homepage2.nifty.com/elienay/index22.html

 

 近代主義の反宗教思想は、神やキリストに反するというよりはむしろ当時のキリスト教の不純な部分をふるい落としている面もあり、本来的なキリスト教を引き出している面もある。それに対するカトリック教会の態度は常軌を逸しているというほかない。

     こうした歴史の流れの裏面で、ロシアのメーソンの指導者であったモスクワ大学教授のコワレフスキーは1887年、パリ滞在中に同志と共に「コスモス」 ロッジを創立。1906年にモスクワとペテルブルクにメーソン支部ロッジを設立し、同年にそれを地盤として国会議員に躍り出る。彼の布教により国会議員、 将校、学者、市民が次々にメーソン化していき、1916年には大東社系だけでも50以上のロッジができた。ロシア最後の皇帝ニコライ2世の時代には、国会 議員のほとんどがメーソン化していた。
     こうして1917年、2月革命で帝政は倒され、ケレンスキー政府が樹立される。その政府も10月の協賛革命で倒されるが、革命を指揮したレーニンやトロ ツキーも、メーソンの援助でロシア革命を達成したのである。彼らのやり方は、対立する双方に武器や資金を調達し、次第に世界変革という目的を実現させるの である。
     私たちは「ロシアの共産主義革命が成功したのは、帝政に反感を持つ農民たちの支持があったからだ」と教えられているが、このようにして歪曲した歴史を百科辞典や学校教育を利用して世界中に普及させているのも、彼らである。
 レーニンとトロツキーは、皇帝が退位してケレンスキー政府が樹立してから、しばらくの間、ロシアを離れている。その間、レーニンはスイスに滞在し、トロ ツキーはニューヨークで記者生活をしていた。その間、2人はロックフェラーとつながりの深いドイツ人のマックス・ワールブルクと、アメリカ人のパウル・ ワールブベルの資金援助を受けながら、共産主義革命の準備を着々と進めた。そして、革命の準備が整うと、トロツキーはカナダ経由でアメリカからロシアに帰 り、レーニンは名高い封印列車でチューリッヒからドイツ経由でペテルブルクに送り込まれた。その後、2人は協力して賄賂、陰謀、テロなど、ありとあらゆる 手段を用いてペテルブルクの支配権を握った。

     その後、ソ連のペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊、東ヨーロッパの民主化、EC統一と、東西冷戦の時代の終焉に、世界中が「ついに世界に平和が訪れた」 との思いに沸きかえった。もはや核兵器の恐怖も過ぎ去ったかに思われた。これらを実施したゴルバチョフ、西ドイツのコール首相、フランスのミッテラン大統 領は、いずれもメーソン員である。中でもミッテランはメーソンの「300人評議会」のメンバーである。彼らにより1993年1月1日、ついに欧州共同体 ECが統合された。
     EC運動を最初に唱えたのは、オーストリアの政治学者でメーソン員のカレルギー伯爵である。彼はウィーンのメーソン・ロッジ「フマニタス」の主要メン バーで、世界をアメリカ・ブロック、ヨーロッパ・ブロック、イギリス・ブロック、ソ連・ブロック、アジア・ブロックに分けて世界政府を設立するという構想 を抱いていた。
     カレルギー伯爵はまずヨーロッパ・ブロックから着手した。チャーチルの支援でこの運動は軌道に乗り、1952年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、 1958年に欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(EURATOM)が設立された。そして、1967年にヨーロッパ6カ国によるECが発足。その 後、6カ国が加わって12カ国の経済統合体となった。そして1986年に「単一ヨーロッパ議定書」が決議され、1992年にEC内の物資・労働・資本・ サービスの完全自由化を実現させることが決定した。(旧ソ連は実は世界最大のイスラム国家でもあった。しかし帝政ロシア時代から権力者たちは強烈に「自分 たちはヨーロッパ人である」と思ってきた。彼らのヨーロッパ思考はイスラム恐怖症の現れでもある。アフガニスタン紛争が起ったのも、イランで生じたホメイ ニのイスラム革命の波が自国にまで押し寄せて体制を浸食することへの恐れであった。この視点は「終わりのとき」に重要な意味を持つ)

     ちなみに日本のキリスト教は、明治6年(1873年)にキリシタン禁制の高札が撤去されて、文明開化と共に受け入れられた。キリスト教を最初に受け入れ たのは、薩長中心の明治政府に登用されなかった佐幕派諸藩や維新に後(おく)れをとった諸藩の武士階級出身の青年たちであった。彼らが官途で身を立てるの をあきらめ、洋学を身に付けて文明開化の日本を担っていこうとした際に出会ったのがキリスト教だったのである。植村正久の出た横浜バンド、内村鑑三や新渡 戸稲造の札幌バンド、小崎弘道や海老名弾正らの熊本バンドが最初期の源流であるが、彼らは皆、官途に不遇な武士階級出身の青年たちであった。
     明治から昭和にかけて天皇絶対主義の日本にあって、文明開化の名の下に妥協してきた日本のキリスト教の中にあって、内村鑑三は明治24年に天皇絶対制と衝突し(不敬事件)、無教会主義になった。
 大正時代になると、ロシアの共産主義革命やいわゆるデモクラシーの影響で日本でも社会主義運動が活発となり、日本のキリスト教も個人主義や社会運動に対 応する。個人主義に対応したキリスト者の代表が高倉徳太郎であるが、晩年、うつ病にかかって自殺した。社会主義に対応したキリスト者の代表が賀川豊彦で、 彼は神戸新川の貧民窟で伝道を始め、神戸川崎造船所のストライキを指導し、公娼廃止や少年少女保護などに挺身した。
     昭和に入り、軍国主義体制が確立されていき、昭和14年に宗教団体法が帝国議会を通過すると、キリスト教諸教会はこの法律に従って翌15年の奉祝大会を 機に合同することに決め、翌16年に「日本基督教団」を結成した。その翌年の昭和17年には、教団の統理が伊勢神宮に参拝して教団結成を天照大神に報告す るという始末であった。こうした中で、内村鑑三の弟子であった矢内原忠雄がキリスト教信仰の立場から日本の満州政策や中国侵略を批判して東大教授の職をお われ、その後も弾圧に屈せず伝道を続けた。「日本基督教団」には見るべきものは現代に至るまで何もない。【転載終了】