飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

クリスマスは6月17日であることが天体観測で判明 !!

2008-12-21 17:16:23 | 日本

クリスマスはイエスの生まれた日ではない!!
単に太陽が『
死ぬ』(冬至)日であり、新しく生まれる日に過ぎない!!
同時に、
バベルの塔を建設した、ニムロデの誕生日でもある!!

 
ハロウィーンが、スコットランドのドイルド教の生け贄の儀式の日であるように、X'masと表現するXは、チャールズ・マンソンの女達が、額にXと書き込んでいた。ウォッチ(魔女)の象徴であり、ニムロデを表し、サタニストの象徴でもある。

 キリスト教は、すでにサタンに侵入されている。残念だが、実態だ。

 聖別に、ワインとパン(種なし)を持ってするが、これも創作である。旧来の陋習を破り、魔の侵入を許してはならない。

 
 


 

【転載開始】2008年12月11日 12時22分00秒

ギガジンより
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081211_jesus_born_on_june_17th/

クリスマスは6月17日であることが天体観測で判明

最新の研究によるとキリストの生誕は12月25日ではなく、実は6月17日ではないかという説が出てきました。キリストが生まれたときに輝いたという「ベツレヘムの星」が大きなカギとなったようです。

詳細は以下

Astronomer Dave Reneke believes he has solved the Star of Bethlehem mystery | Christmas | News.com.au

キリスト生誕の日については諸説あり「12月だと『羊飼いが野宿をしていた』という聖書の記述に無理がある」「同時期の歴史書と付き合わせると食い違う」など様々な面から西暦0年の12月25日は間違いである可能性がかなり高いといわれてきました。

今回、オーストラリアの天文家Dave Renekeが注目したのは当時の天体の様子です。高度な星図ソフトウェアと聖書の記述をもとにして解析したところ、キリストが生まれた時に現れた「ベツ レヘムの星」の正体は恐らく木星と金星が重なったもので紀元前2年にはこの二つの星が接近し、一つの大きな星として見えたそうです。「キリストが生まれた 時、明るく輝く星が現れ人々の知るところとなった」と聖書にあるのですが、おそらくこのことなのだろうとDave Renekeは考えているそうです。

天体の位置からキリストの生年月日を探る試みは、D.ヒューズの紀元前7年9月15日説や、M.モルナーの紀元前6年4月17日説などこれまでもありました。また超新星の爆発であるとか、彗星であるとか他にも色々な説があります。科学の進歩がまた一つ歴史の謎を解き明かしたといえるのではないでしょうか。なお「もともとクリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝うお祭りではない」のでクリスマスの準備はそのまま進めてもよいようです。【転載終了】


聖書について!!⑫

2008-12-21 13:17:46 | 聖書について

聖書の改変について
ちょっと書いてみる!!


 聖書は、現在に於いても金言が今に生きている。それに間違いはないが、改変も多くあることは確かである。有名なのが、325年ニケーア(ニカイア)公会議において、正統とされるキリスト教信仰の標準を定めた改変である。

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 その後も、何度か改変があると、言われている。現在もそれは、進行中である。結局、いずれの時代も、時の為政者に都合が良いように、改変された歴史を持っているのが、大方の歴史書の宿命であるとすれば、驚くには当たらない。


 問題は、聖書は霊に依って書かれたから、一元一句、改変はないとする盲信家や、矛盾を追求することもない聖書読みの聖書知らずが多いことである。

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 イエスは、言われた。『求めよ、されば、与えられん。』と言うことは、聖書そのものについても当てはまる。何故か、どうしてか、何を言わんとしているのか、と常に考えて読めば、必ず、その解答は与えられる。それを封ずるとすれば、それこそ、聖書改変は、そこに目的があると言うことであろう。


 前にも書いたが、投稿者はクリスチャンでも、カトリックでもない。いかなるキリスト教信者でもない。ましてや、エホバの信者などであろうはずがない。エホバの信者こそ、聖書を悪用したマインドコントロール被害者だと断じている。


 先ず、新約聖書はイエスの言行録の編纂である。それぞれを福音書と呼んでいる。福音とは、良い報せの意がある。その言行は、概ね、一致している。それが金言は生きているというとの意味である。しかし、いずれもイエス亡き後の記録である。そして、聖書にはマタイから始まり、ヨハネにいたる4つの福音書から成っている。それ以外は、異端とされたのである。


 しかし、他にもある。時折しも、1990年代になって、多くのキリスト教文献が発見された。それによると、トーマス福音書、マグダラのマリヤ福音書にいたる数多くの福音書がある。それでも言行は、概ね、一致している。金言は変えようがないのである。

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 教義は、都合良く改変されている。三位一体の理論や、十字架に対する偶像崇拝、聖母マリヤに対する信仰、正統とされるイエスの代行者などは、後でくっつけた理論(後付理論)である。イエスの生誕の時期、生誕の経緯(処女懐妊)などは、インチキである。クリスマスはイエスの生誕と関係がない。


 イエスに兄弟姉妹がいたことや(以前、兄弟にヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ、そして、妹にマルタとルツがいた、と書いたが、一人抜かっていた。兄弟にもう一人、トーマスという人物もいたようだ。)、マリヤのヨセフという夫がいたことを、暗に無視している。ヨセフを無視する(処女懐妊)と、イエスがアブラハムの子孫であることを否定することになるのだが、そんなことはお構いなしだ。ヨセフが、大工であったこと、イエスも良き大工であったことなど全く無視。


 それは、教義に関係するからだ。イエスの神格化は、カトリックの重要課題、十字架、マリヤ信仰は偶像崇拝の原点となる。兄弟が多数おり、処女懐妊でないとすると、イエスの神格化もマリヤ信仰も影が薄くなる。

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 他にも多数ある。律法に対する見解も、復活に対する記述も多くの矛盾点がある。が、今回は深入りしない。紙数に限りがあるからである。


こうした点を、甘受した上で、尚かつ、聖書を愛読するのは、こうした改変に影響を受けない金言が生きているからである。改変は、先に書いたように為政者、指導者の都合によるもので、イエスの思いを知る上ではあんまり関係がない。宗教を実行する者、利用する者にとっては重大かも知れないが、その余は無関係である。


 世俗に宗教を利用するのは、本来、旨としていない。この世の世俗から離れ、もっと大きな世界(内的宇宙、宇宙の実在)から、人生を見つめるには、聖書は未だに生きている。

Baphometmasonic


 また、聖書を利用し、世界に捏造の混乱を招き寄せようとしている悪を見抜くにも、聖書は絶対に欠かすことの出来ない書物でもある。