シルクロードの終着点「奈良」ならではの逸品、「黒米カレー」。古代米の「黒米」と「カレー」の異色の取り合わせのカレーだそうです。
カレーはインド発祥の料理ながら、すっかり日本食として定着しているようです。カレーの語源はスパイスの効いたスープ状のものを指す“カリ”であるとも、釈迦が不老不死の薬としてスパイスを市民に与えた時、人々がおいしいという意味で叫んだ“クーリー”だとも言われます。いずれにしても長い歴史を持つ食べ物であることには間違いなさそうです。
食材をペースト状にしたモノを「フランス料理」ではクーリー(coulis)と呼ぶのだそうです。
天平勝宝4年(753年)奈良東大寺では大仏開眼の法要が荘厳華麗に執り行われましたが、その大導師を務めたのはインド僧婆羅門僧正菩提遷那(ぼだいせんな)だったのです。婆羅門僧正はインドから長安、さらに日本へと仏教を伝えるために遥かな旅をしてきました。三蔵法師の旅よりさらに遠く日本まで来たのですから驚きです。
日本に着いたのは天平8年(西暦736年)、大仏開眼の1年前には大僧正に任命されました。鑑真和上に先立つこと2年のことです。
婆羅門僧正はカースト制の最高位、その旅は多くの従者を従え、故郷インドの多種多様なスパイスを持参して来たのではないでしょうか。
かつて釈迦が、人々を病から救うために、様々な薬草をブレンドして与えたことが、カレーの起源と言われています。釈迦がしたように婆羅門僧正もスパイスの効いたスープを与えたとしても不思議はありません。
長い旅の果てに着いた奈良の地では故郷をしのんで“カリ”を食べ、釈迦の伝説に基づいて“クーリー”を振舞っていたと考えられます。大仏開眼法要の大導師を務めたこの高僧が、釈迦がしたようにスパイスの効いたスープを奈良の人々に与えたとしても不思議はありません。
そうすると、奈良時代、既に日本にカレーはあったことになります。
日本人で初めてカレーを食べたのは奈良の人だったということになります。当時の人が食べていた古代米、黒米や赤米にかけて・・・。
奈良は、シルクロードの終着点であり、西暦2010年には平城京が遷都されて1300年を迎えます。奈良の食としてすっかり定着した黒米カレー。古代米「黒米(くろまい)※」の異色の取り合わせを、歴史とロマンを感じずにはいられません。
※ 黒米(くろまい)
「古代米」である「黒米(くろまい)」は、おはぎの起源で古くからお祝いの米として珍重されてきたという説もあります。 原産地は、中国・狭西省漢中地方です。漢の時代の有名な探検家・張塞がこの珍しい米を発見してから順調に出世して以来、歴代の皇帝は、この縁起のよい出世米を皇室御用米として、当時の長官に献納させてきました。
また、明の時代、李時珍の「本草綱目」に黒米は滋養強壮に優れ造血作用があると記され、中国では薬膳料理にも古くから使われていることから薬米の別名もあります。
残念ながら、レシピを書き留めた料理人はいなかったようですが・・・。
黒米カレーは、奈良時代にインドからやって来た僧、菩提僊那(ぼだいせんな)がカレーを伝えたという空想に基づいたアイデア料理で、古代米である黒米を使うのが特徴。県が2003年に公募で決めた新名物料理「奈良のうまいもの」の一つに選ばれたのだそうです。
「奈良のうまいもの」黒米カレー
http://www.pref.nara.jp/norinbu/umaimono/recipe/kuromai-karei.html
したっけ。