カステラというお菓子があるが、16世紀の天正年間(1573年~1592年)ごろにポルトガルから長崎に伝えられたとされています。では、「カステラ」は何故「カステラ」となったのか。
その1
オランダ人の持っていたお菓子を、長崎奉行の侍が何という物かと尋ねたところ、カステラと聞こえた。実はカステラの入っていた箱に描いてあるお城のことを聞かれたと勘違いして、オランダ人は「kasteel(カステーロ=城)」と答えたのが、「カステラ」になったという。
その2
カステラの語源は、ポルトガル語の「pao de Castelra(パオ・デ・カスティーリャ)」(カスティーリャ地方のパンの意味だそうです。パオ・デ・カスティーリャ地方とは、イベリア半島の中央部に位置する標高600~700mの高原だそうです。
当時、スペインはカスティーリャ王国が支配していたが、その「カスティーリャ」はラテン語で「城」を意味する「castellum」の複数形「castella」に由来するそうです。城塞(じょうさい)の多い地方という意味だそうです。
ポルトガル人から新しい菓子をいただいた日本人が「なんという菓子か」と尋ねたところ、ポルトガル人が「どこの国の菓子か」と聞き違えて「カステーラ」と答えたそうです。
ポルトガル人は「カスティーリャ」を「カステーラ」と発音していたので、それを日本人は菓子の名前だと思ったから、「カステラ」になったのだそうです。
その3
ポルトガル人が菓子をある日本人に皿にのせて差し出した。その菓子を食べ終えた時、日本人が「これは何か?」と、菓子がのっていた皿を指差した。
するとポルトガル人は、てっきり、皿に描かれている城の絵のことを指していると思い、城を意味する「castelo(キャステーロ)」と返答した。
それを聞いた日本人がその菓子が「カステラ」という名前だと思ってしまった。それで「カステラ」になったのだそうです。
諸説あるが、「城」を意味する「kasteel」、「castella」または、「castelo」が関係していることは間違いなさそうです。その2の説が有力だそうです。
一般的な説では16世紀の室町時代末期に、ポルトガルの宣教師によって長崎周辺に伝えられたとされています。当初のカステラは卵、小麦粉、砂糖で作った簡素なものであり、ヨーロッパの菓子類としては珍しく乳製品を用いないことから、乳製品を生産、常用しない当時の日本にも残ることができたといわれています。
このカステラは江戸時代初期には全国に広がったが、特にカステラが長崎で盛んになったのは江戸幕府が鎖国により長崎しか外国との貿易ができなくなったことに関係しています。
長崎だけが外国から多くの砂糖を取り入れることができたことにより、長崎でカステラ作りが盛んになったのです。
したっけ。
“チョコラ―テ”という
カステラが大のお気に入りです♪
しっとりとしていておいしいんですよ^^
『私とダイスキなコ日記』の、紫音です。
私のブログ、なぜかOCNブログの方にコメントする際に、URLを
入れると、スパム扱いになってしまうんです。
今も、URLを入れて送信してみたのですが、やはりスパム
扱いになってしまいました。。。(涙)
なんでだろう。。。
なので、URLを入れずにコメントさせて頂きますね(^^)
カステラの語源について、フムフム、なるほど。。。と
読み進めていたのですが、最後の絵に、また笑わせて
頂きました(●^o^●)
当地には「六花亭」というお菓子屋さんがありまして、そこのカステラは絶品です。
したっけ。
ごめんなさいね。私画が謝ってもどうしようもありませんね。これに懲りずに来てくださいね。
したっけ。
当時は高級オヤツ
私って古い人間だね(^^
明智鉄道の山岡と岩村に長崎から
伝えられた昔の商法で作られた
カステラが人気があります。
カステラは高級でした。裏の紙についてるのまで食べたもの(^^
したっけ。
そういう伝統的なものが残っているのですか。
したっけ。
そりゃあ仲良くしたほうがいいんじゃないですか。
したっけ。