お茶のことを「あがり」といえば寿司屋の言葉と思いますが、これはもともと遊廓で使われた廓(くるわ)言葉の一つだったのです。
昔、お茶の葉は粗製のままのものを買い、自家の茶臼で挽いていました。このお茶を挽く仕事は遊廓ではその日売れ残った遊女の仕事でした。
そこで売れ残りを「お茶ひき」と言うようになり、お呼びのかかった遊女は、「おあがりさん」と言ってお座敷にあがることができました。このことから「お茶」という言葉は、売れ残りを指す縁起の悪い言葉であると捉えられたのです。(すり鉢のことを、あたり鉢というのと同じです。)
遊廓では、客が部屋へ上がると、すぐにお茶を出しました。上がった端(はな)から出すので、このお茶のことを「上がり花」と洒落て言うようになりました。
この「上がり花」を略して「あがり」とよばれるようになったのです。
これが、遊廓の囲いを出て、寿司屋をはじめ、飲食店で使われるようになったのです。
遊廓は、1585年(天象17年)、豊臣秀吉が京都二条柳橋に遊里を許可してから、1958年 (昭和33年)、赤線が廃止されるまで370年余りも続いたのです。
私の住む町は、昔「赤いダイヤ」といわれた小豆の生産が盛んで景気がよく、遊廓がありました。廃止後は、遊廓のあった界隈を「親不孝通り」などといっていました。正業に戻れない女性が客を引いていたのです。
廃屋となった遊廓は私が大人になってからも残っていました。格子のついた窓は牢屋のようにも見えました。女郎屋(女牢屋)とは偶然でしょうか?
なお、今来たばかりのお客様に出すお茶は、「おでばな」、帰りの客に出すお茶は、「あがり」というのが正しいという説がありますが、間違いです。
語源が「上がり端」ですから「おでばな」も同じ意味になります。すごろくなどの「あがり」と混同したものと思われます。
「あがり」のほかにも、「おてもと(箸)」「やりて(客と花魁を取り持つ年配女性)」「ひけ(花魁の終業時刻)」などの廓言葉が日本語の中に受け継がれています。
蛇足ですが、何故、廓言葉が誕生したかというと、地方出身の女性の訛りを隠すためなのです。悲しい意味があるのです。
上品ぶって、「おてもと」などという人は本当の意味を知らないのです。「お箸」と言ったほうがいいのです。
「あの人は、やりてだね。」というのは決して褒め言葉ではないのです。裏の意味を込めて言う、陰口なのです。
したっけ。
あの子は、そうとうな、やり手だよ
悪意がこもってますね
何も出来ない、負け犬の遠吠えにも聞こえます
私は絶対に使いたくない言葉だもん(*^^*ゞ