丼
「井(いど)」に、水がたまったさま「丶」を示し、元は本字が「ショウ・セイ」の音を有し「いど」を意味していたが、「井」に変わった。なお、「井」はものを取り囲んださまをかたどったもので「ケイ」の音をもつ(「刑」の旁)。「どんぶり」の意は、字形から「いど」に物を落としたときの「どぶん」という音をしゃれたもの。
丼(どんぶり)
日本食の中ではそれほど古い歴史をもつ食事形式ではなく、室町時代の「芳飯」が似た料理であるが、天丼は浅草の「三定」(創業1837年)が始まりだと言われ、鰻丼は19世紀初めに登場し、深川丼は江戸時代末期に作られたといわれている。
江戸で一杯盛り切り飲食物を提供する店を「慳貪屋(けんどんや)」と呼んでおり、忙しい時に素早く食べるためにも便利な食事なので、そのような階層に広まった食事方法だったとされる。明治初期には牛丼や開化丼、1891年に鶏肉を鶏卵でとじた親子丼が登場した。大正時代の1913年にカツ丼が発表された。このように、丼物の様式は日本で受容され、様々な料理を丼飯に載せて食べる事が広がっていった。
ウィキペディア
江戸時代。当時、盛り切り一杯のご飯を売る「見頓屋(けんどんや)」という店がありました。その店で出す器を「けんどんぶり鉢」といいました。それを略して「どんぶり」になったといいます。
けんどん屋という名前は、客に対して「突慳貪」だという事からつけられました。「慳」は物惜しみすること、「貪」はむさぼるという意味があります。
つまり、「慳貪」とはけちで欲が深い事を言います。転じて、一杯きりでおかわりを出さないものの名称となったわけです。
どんぶりの語源
元々「丼」と言う文字は「井戸」の中に「つるべ」がある状態を表している。
「丼(ショウ・セイ)」井戸の中に水がたまったさま。四角い枠のことです。
更に「丼」は「とん」あるいは「たん」とも読めますが、これは井戸の中にものを落とした時の音を表しています。丼の真ん中の点は、井戸に落とした石だという解釈になりました。
そう考えていくと「どんぶり」と言う読みも、そのまま物を落とした時の音に聴こえます。
小石では「ポチャン」ですから、漬物石くらいの石を落とさなければ「ドンブリ」とは聞こえないでしょう。
こうして、「丼」は日本では、「どんぶり」の意を持つようになったそうです。
井戸には、「井」を使うようになったのではないでしょうか。
ちなみに、「丼」は「どんぶり」と読みます。「どん」と読むのは、メニューになったときだけです。
「天丼」、「鰻丼」、「カツ丼」。「どんぶり」とは読みません。
ちなみに、中国では「天津丼」というような使い方はしません。
したっけ。
丼、美味しいですね。
そうか、いいとこのお嬢さんだったんですね。
「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり、また侏儒國あり、その南にあり。人の長三、四尺、女王を去る四千余里。また裸國・黒歯國あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。 倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり。」
よく見つけましたね。
楽しみです^^
したっけ。
丼大好きぃ~
天津丼は中華じゃあ無かったんだ。
スイカやトマトをぅ~
凄いですねぇ~
実家では寒蘭も育ててらした様子ですし~
上品なはずですぅ~笑
明日も時間があれば頑張っちゃうね。
さっき魏志倭人伝の「侏儒国」をみ~つけたぁ~
卑弥呼さんも九州出身みたいですね。
考古学者さんも色んな意味で都月さんみたいに勉強してほしいなぁ~って思います。
面白いですね~。
ええ~、秀吉が立ち寄った井戸で、スイカやトマトを!
個人の庭に看板が立っているんですか?
北海道には歴史的なものはほとんどありません。
天丼大好きですよ。掻き揚げ丼の美味い店があって、昔は2枚のったのを食べていましたが、今は1枚で十分です^^
したっけ。
先日行った、唐津の従兄弟の家にも井戸が庭の隅にあって、
夏にはすいかやトマトを入れてたようです。
その井戸の水、朝鮮出兵のときに秀吉が立ち寄って
飲んだという言い伝えがあるんですって!
柵できれいに囲まれて説明の書かれた看板が立てられてました。
天丼大好きです^^