大極殿のはるか南、この辺りに住む人々にはもってこいの散歩道と言えるようなのどかな道の彼方に朱雀門が見えます。
朱雀は赤いスズメと書きますが、読んでその字の如くではありません。中国の伝説上の鳳凰に似た神鳥、方角は南を示します。お寺で言うと南大門ですね。
時間は8時半ごろ、何処の施設も入場できる時間ではありません。
近づくに従って判ったことは、この広場を近鉄電車が横断していること、近鉄側がこの平城京跡を横断していることを知った上での建設だったのか、知らなかったのか、どちらにしても邪魔としか言いようがありません。
8時半を超えて朱雀門の門が順次開いていきました。このシーンに出会ったのは偶然ですが、何処の施設にも入れない代わり、とっておきの瞬間に出会えました。
どうやら、こちら朱雀門の方から入場するのが正規のルートらしい。観光バスなどもこちらに集まってきます。遷都祭は終わっていても、観光ルートからは外れないのでしょう。
大極殿にしても、この朱雀門にしても、このように額を掲げていますが、最初から分っているものにわざわざ額を掲げて名前を書き示すものなのか、平城京建設当時はこのような額など無かったのではないかとさえ思ってしまいます。
開いた扉の中に大極殿が姿を見せています。
こちらは遣唐使船、中国(当時の唐)へ行くには、小さいような気がしました。一度にたくさんの人を運べないでしょうし、嵐が来たら水の上に漂う葉っぱです。
朱雀は赤いスズメと書きますが、読んでその字の如くではありません。中国の伝説上の鳳凰に似た神鳥、方角は南を示します。お寺で言うと南大門ですね。
時間は8時半ごろ、何処の施設も入場できる時間ではありません。
近づくに従って判ったことは、この広場を近鉄電車が横断していること、近鉄側がこの平城京跡を横断していることを知った上での建設だったのか、知らなかったのか、どちらにしても邪魔としか言いようがありません。
8時半を超えて朱雀門の門が順次開いていきました。このシーンに出会ったのは偶然ですが、何処の施設にも入れない代わり、とっておきの瞬間に出会えました。
どうやら、こちら朱雀門の方から入場するのが正規のルートらしい。観光バスなどもこちらに集まってきます。遷都祭は終わっていても、観光ルートからは外れないのでしょう。
大極殿にしても、この朱雀門にしても、このように額を掲げていますが、最初から分っているものにわざわざ額を掲げて名前を書き示すものなのか、平城京建設当時はこのような額など無かったのではないかとさえ思ってしまいます。
開いた扉の中に大極殿が姿を見せています。
こちらは遣唐使船、中国(当時の唐)へ行くには、小さいような気がしました。一度にたくさんの人を運べないでしょうし、嵐が来たら水の上に漂う葉っぱです。
27日は朝方冷えて寒かったので、天気が良くなると思っていたら、視界もすごくきれいでしたね。その前の二日間は波が荒かったです。
その日、歯医者は、開いていたのでしょうね。それも気になります。
歯医者さんは、水曜日でしたが急用とかで土曜日になったのです。次は再来週なのでそれで終わりだと・・思いたい。
日曜日、光泉寺にも行きました。
かなり遠方に見えましたが、開けてたのは古代の飛鳥奈良人に見えたのは私だけ・・?
25日は釣りに行ったものの波が激しくていつもの磯に上がれなくて、家ですることもなかったから、知っておれば行ってみたかったです。今年はもう行けないでしょうから、来年にとっておきます。
心の叫びが届くような力をお持ちなら、もっと前に届けてください。私にも分るように・・・
そういえば、junnoさんと、ちのとさんのことで話したことがあります。私が全く面識のない人だと言ったらビックリしてました。私が面識がないだけで、ちのとさんとしてはあるんですよね。
平城京は8時半に動き出すようですね。昔はもっとずっと早かったのでしょうが、観光地としては8時半でも早い方かも知れません。
開門されるときは未だ遠いところから見ていたので、古代の飛鳥人かどうか、見当もつきませんでした。でもそれって、見た目の問題じゃ無くて、感性の問題なんですよね。