『遠野物語』という本を読んでおかないといけないなぁと最近思っていて、本屋で物色していると、『新釈 遠野物語』という井上ひさし氏の本が並べられていたので、先にこれを読んでから、本物を読んだほうが解釈しやすいだろうと思って、2冊の本を買いました。
柳田國男の『遠野物語』の冒頭は「この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治42年の2月頃より始めて夜分折々訪ね来たりこの話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手には非ざれども誠実な人なり。自分も亦一字一句をも加減せず感じるままを書きたり。思ふに遠野郷には此類の物語猶数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ・・・・・」とあり、井上ひさし氏は同じような調子で「これから何回かにわたって語られるおはなしはすべて、遠野近くの人、犬伏太吉老人から聞いたものである。昭和28年10月頃から、折々、犬伏老人の岩屋を訪ねて筆記したものである。犬伏老人は話し上手だが、ずいぶんインチキ臭いところがあり、ぼくもまた多少の誇大癖があるので、一字一句あてにならぬことばかりあると思われる。考えるに遠野の近くには、この手の物語がなお数百件あることだろう。ぼくとしてはあんまりそれらを聞きたくはないのであるが、山神山人のこの手のはなしは、平地人の腹の皮をすこしはよじらせる働きをするだろう」と全く同じような語を並べながら、全く逆の内容で書き始めています。
新釈とありますが、柳田國男の『遠野物語』を解釈したものではありませんでした。自分が遠野の近くの療養所で働き始めた頃、山の洞穴でトランペットを吹く犬伏老人と親しくなり、老人が狐や河童に騙された様子が語られる9つの短編を面白可笑しく書き連ねています。最後の話の最後に自分は老人が大切にしていたトランペットを貰い、吹いてみるのですがなかなか音が出ない・・・それは何故だったのか、ここにこの本の最大のオチがありました。
さて、柳田國男の『遠野物語』は、私たちが思っている起承転結のある物語ではありません。当に佐々木鏡石さんが語る伝説を筆記しただけのものであり、話を1から119まで番号を附って分けてあります。そこには遠野地方の生活感や明治以前の民衆の考え方などが伺え、所謂民俗学の魁です。
遠野物語は思っていたような長いものではなく、論文でもありません。本にするには短すぎるのか、他に12篇の詩や抄、論が連なっています。何故ちくま版のこの本を買ったのかと言うと、写真にある目次、上段の左から2番目に『酒の飲みようの変遷』という論文があり、それが目にとまったから。この柳田という人が酒を飲むのか飲まないのかは知りませんが、酒を飲む習慣は昔と今では大きな変遷があり、古今の移り変わりを一通り承知した上でないと、各人は自由に酒を飲んでよろしいか、悪いかを判断できないとまで序で述べています。
私など、そんなこと今まで考えたこともなかったけど、結構自由に酒を飲んで30年以上になります。
どんな変遷があったか知りたいですか?それならこの本買ってあげてください。税抜き880円です。
柳田國男の『遠野物語』の冒頭は「この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治42年の2月頃より始めて夜分折々訪ね来たりこの話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手には非ざれども誠実な人なり。自分も亦一字一句をも加減せず感じるままを書きたり。思ふに遠野郷には此類の物語猶数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ・・・・・」とあり、井上ひさし氏は同じような調子で「これから何回かにわたって語られるおはなしはすべて、遠野近くの人、犬伏太吉老人から聞いたものである。昭和28年10月頃から、折々、犬伏老人の岩屋を訪ねて筆記したものである。犬伏老人は話し上手だが、ずいぶんインチキ臭いところがあり、ぼくもまた多少の誇大癖があるので、一字一句あてにならぬことばかりあると思われる。考えるに遠野の近くには、この手の物語がなお数百件あることだろう。ぼくとしてはあんまりそれらを聞きたくはないのであるが、山神山人のこの手のはなしは、平地人の腹の皮をすこしはよじらせる働きをするだろう」と全く同じような語を並べながら、全く逆の内容で書き始めています。
新釈とありますが、柳田國男の『遠野物語』を解釈したものではありませんでした。自分が遠野の近くの療養所で働き始めた頃、山の洞穴でトランペットを吹く犬伏老人と親しくなり、老人が狐や河童に騙された様子が語られる9つの短編を面白可笑しく書き連ねています。最後の話の最後に自分は老人が大切にしていたトランペットを貰い、吹いてみるのですがなかなか音が出ない・・・それは何故だったのか、ここにこの本の最大のオチがありました。
さて、柳田國男の『遠野物語』は、私たちが思っている起承転結のある物語ではありません。当に佐々木鏡石さんが語る伝説を筆記しただけのものであり、話を1から119まで番号を附って分けてあります。そこには遠野地方の生活感や明治以前の民衆の考え方などが伺え、所謂民俗学の魁です。
遠野物語は思っていたような長いものではなく、論文でもありません。本にするには短すぎるのか、他に12篇の詩や抄、論が連なっています。何故ちくま版のこの本を買ったのかと言うと、写真にある目次、上段の左から2番目に『酒の飲みようの変遷』という論文があり、それが目にとまったから。この柳田という人が酒を飲むのか飲まないのかは知りませんが、酒を飲む習慣は昔と今では大きな変遷があり、古今の移り変わりを一通り承知した上でないと、各人は自由に酒を飲んでよろしいか、悪いかを判断できないとまで序で述べています。
私など、そんなこと今まで考えたこともなかったけど、結構自由に酒を飲んで30年以上になります。
どんな変遷があったか知りたいですか?それならこの本買ってあげてください。税抜き880円です。
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