ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

田原の海霧

2013-03-13 05:00:00 | 田舎

2月最後の滞在日となった21日、釣りをしようとは思っていたのですが、前日早くから冷凍のオキアミを溶かしておくのを忘れ、夕方になって冷凍庫から出したのですが、朝には全く溶けてなく、そういえばこの時期に田原の海霧を見ないとまた来年まで見れないと思い直し、朝早く日の出前から田原の海岸に向けて車を走らせました。愚車のフロントガラスは霜が降りたように凍っていて真っ白、このままでは走れないのでぬるま湯をかけて氷を溶かしてから走ったのですが、水分を拭かなかったものですから、走っていると窓に氷の膜が出来て、思うように前が見えません。仕方なくこれ以上凍らないようワイパーを動かしながらの走行です。ヒーター点けて、何らかの操作をしたらフロントやリアのガラスは凍らないんじゃなかったのか、どうすればそうなるのか分かりませんから、良い天気の42号線を私の車1台だけがワイパーを動かしながら走ったのです。まぁまだ暗かったから誰にも気付かれなかったと思います。

             

海霧を観るスポットは歩道が出来ていますから、その近くのバス停(未だバスは走っていない)に車を停めて、歩道を西に向かって歩きます。付近は未だ真っ暗で自分がどの辺りにいるのかさえ分かりませんが、東の空は少しづつ明るくなってきています。このタイミングでも十分きれいです。6時を少し回った時間です。

             

それから約10分ほど経って、ようやく空が白んできました。太陽が出るのをいい角度で捉えられるよう、どんどん西の方へ歩みます。

             

前方の連なる小さな磯も肉眼で見えるようになりました。漁船が港内から出ていくのも見えています。

             

どんどん古座方面へ歩いていくと、先客がたくさんいます。約30人ぐらい居たでしょうか、私も見物人の一人なのに、こんなに早くから朝霧を見ようとカメラを構えているのを見るとおかしくて苦笑してしまいます。この集団の中には入れそうもないのでここから私は地磯に降りました。それにしても皆さん良いカメラをお持ちのようで、羨ましい限りです。

             

望遠で撮る漁港近くの島々。真っ赤からオレンジへと変化する背景に黒々とした島影を映し出しています。

             

最初の写真から30分ほど経って、ようやく陽が登り始めました。所謂御来迎というやつでしょうか。

       

この3枚の写真は1枚目から3枚目までの間が3分程度、このように空の色も刻々と変化していくのですね。こう見ると磯で見るより、道路から見る方が海面が広いので、水に写る陽の光がきれいに見れただろうと思います。陽が登ってくるポイントと島影がなすバランス関係は何処で撮れば良いのかよく分かりません。日の出の位置は毎日少しづつ違ってくるので、その日によって絶好のポイントは変わってくるのだろうと思います。

             

日の出は観れたのですが、海霧は全く観ることが出来ません。海霧を「うみぎり」と読むのか、「かいむ」と読むのかは知りませんが、田原海水浴場にある中華料理屋は海霧と書いて「かいむ」と読むようです。海霧は見れなかったので海霧は皆無やなどと思っていました。

浜を横切っているとこんな河口が、山側から水が流れてきていると言うより、海側から打ち寄せられた石や木が残っています。

             

日の出を見ようと思ったのか、海霧を見ようと思ったのかは知りませんが、先ほどの集団は未だその場に残っています。42号線沿いには車は3台ぐらいしか停まっていませんでしたから、国民宿舎・荒船にでも泊まった人たちだったのかも知れません。大島もハッキリと見えるようになりました。

             

歩いているとしかし、海をよく見ると何だか靄っているのが見えています。

             

日の出から10分経過、私は最初に写真を撮ったところまで戻ってきています。こうみると海霧が発生しているのがよく分かります。海霧は陽が登って暫らくしてから現れるのですね。日の出を観た場所からこの海霧の風景を見たらどうだったでしょう。
でもこうやって陽が登って暫らくしてからしか海霧が見えないのでしたら、海水の温度と気温の差から海霧が発生するという根拠は正しいのか?、陽が登ってその光の加減で海霧が見えるようになるとは考えられませんか。つまり水温と気温の差で発生するなら(それはそれで正解なのでしょうが)陽が登る前から海霧は見えた筈です。

             

もう7時を回って陽もかなり上がってしまいました。波止の先端では釣りをしている人が居ます。

             

何を釣っているのか、エサ釣りでないのは明らかですが、ジギングなのかエギングなのか、その辺りはこちらからでは分かりません。釣り人には海霧が見えているのか、陽の光を通してのみ海霧が見えるのであれば、釣り人には下の海霧は見えていないのでしょうね。

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8 コメント

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Unknown (ねこ)
2013-03-13 05:35:43
こんな素晴しい景色、初めてみました。。
私の人生ではじめて、
ぼんくらさん、ありがとうございます。
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海霧は皆無 ()
2013-03-13 06:30:42
そうやね、陽が昇らないと見えない、光がなければ見えへんのやなぁ・・・寒い朝、川でも見かけるけどあれも明るくなってる時やなぁ・・・

霧の中にいると、自分では霧が見えない・・・霧は立ち昇る・・というから、自分の足元からモヤモヤと立ち昇った情景を思うと、「化け物や!」と他人が見て思うかも・・・と考えましたわ
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自分でも (ぼんくら)
2013-03-13 08:40:10
なかなかよく撮れたと思っています。早くから陣取っていた人達は一眼レフの高価なカメラで狙っていましたが、どんな風に写っていたのか、見てみたいものです。
寒い朝の筈が、私はそんなに寒くは感じませんでした。

今日は朝から暖かですね。
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昨日はお世話になりました (ぼんくら)
2013-03-13 08:57:21
自分の足許から霧が立ち込めてきたら、自分でも仙人にでもなった気になるんと違いますかね。そんな情景に出くわしたことはありませんが・・・。

寒いのに朝早くから行った甲斐があったと思います。でも写真を撮ってる時はあまり寒さを感じませんでしたよ。

今日は外に出るとメッチャ温いですね。昼からは雨だとか、イヤですね。
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Unknown (ねこ)
2013-03-13 09:01:57
私1人で、独占するのは如何にせん、勿体無さすぎますので、本当にあっちこっち送ってみてもらう事にします。
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ご好意は (ぼんくら)
2013-03-13 09:24:09
ありがたいのですが、信頼できる人にだけ送って下さいね。
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Unknown (詠み人知らず)
2013-03-13 10:14:28
ぼんくらさん、田並の事で思い出した事を記してみます。
田並の川が狭く、台風などでいつも洪水がおこり、川を広げる工事をした時、上地?田並の神社の上、辺りから、上地だと思いますが(定かではありません)、多分弥生時代と思います、土器(つぼ)が出土して田並中学校の校長室に置いていたのを思い出しました、田並はどうも上地から発展した可能性がありますね。。平安末期に先人はもう絶えてしまっていたか?それとも平安末期に使われたものか?ただ素焼きと記憶しています。弥生の頃は戦いに明け暮れ、同族でも残酷な殺し合いに発展していたと歴史家はいいますから死に絶えた。。歴史は仮説から組み立てるともいいますから、おもしろいですね。
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平安末期は (ぼんくら)
2013-03-13 16:58:26
熊野詣も盛んであり、大辺路を貴族が往来していますから、素焼きの壺などはもう使われていなかったんだろうと想像しますが、庶民はどうだったんでしょう。

江住から田子までの平見の多さ、田並では田の崎の上、有田では逢坂山の上が平見のような地形で、畑などが作られています。水がたくさん要る稲作が平見で出来ていたかどうかは分かりませんが、古代から人が住むには十分な条件があったことは確かなようです。

田並はその名の通り、他の地区より田んぼが多いような気がします。ひょっとすると古代では串本などより田並の方が人口が多かったのではないかとも考えられますね。ただ串本は一山越せば広い農地が(くじの川や姫川)あるので、一概には言えませんけどね。

こんなことを考えていると、歴史は確かに面白いです。
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