「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

信頼は時間 Long Good-bye 2021・09・10

2021-09-10 05:06:07 | Weblog


  今日の「 お気に入り 」。


   「 アフリカでは信頼というのはほかでもない 、時間なのだと学びました 。相手の立場に立ったうえで 、

    自分の行おうとしていたことは本当に正しかったのか 、もっと良い方法が他にあったのではないか 。

    それを考えていくのが対人力なのです 。

     これはアフリカに限りませんが 、何かしらの対立が起こったとしても 、時間さえかければ 、いず

    れは解決する 。別の言い方をすれば 、解決には時間が必要だということです 。解決に至る時間とい

    うのはお互いが歩み寄るプロセスです 。だから 、解決まで果てしないと思っているときほど 、時間

    をかける必要があるということなんですね 。




   ( 出典:山極寿一著 「 京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ 」. 朝日新聞出版 刊 )





    悔いるこころの曼殊沙華燃ゆる  山頭火
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おもろない Long Good-bye 2021・09・09

2021-09-09 05:06:07 | Weblog



  今日の「 お気に入り 」。


   「 今 、京大で取り組んでいるグローバル人材の育成は語学力の向上なども必要ですが、一番重要なのは

    相手を感動させる能力だと思います 。それは相手に『 おもろい 』と思わせることでもあるわけです 。

    『 おもろい 』と思わせるには 、言葉以外のあの手この手も必要です 。あるいは 、『 この人 、素敵だな 』と

    思わせた者勝ち 。 もっと話したい 、これからも付き合っていきたいなと思わせる力 。翻(ひるがえ)って 、

    それが自分の身を守ることにも繋がっていくのです 。」


   「 ・・・ 価値のあるなしではない 。役に立つかどうかでもない 。おもろいか 、おもろないかが肝心なのです 。


   「 まあ 、せいぜいおきばりやす~


     ( 出典:山極寿一著 「 京大総長 、ゴリラから生き方を学ぶ 」. 朝日新聞出版 刊 )







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なるようになる Long Good-bye 2021・09・08

2021-09-08 05:06:07 | Weblog



  今日の「 お気に入り 」。


   「 『 自分が本当に大事だと思うことは繰り返し言いなさい 。そうしないと人には伝わらないよ 』と。」


   「 アフリカの人たちは『 There is no problem . There is a solution. 』と言います 。

    どんな困難に直面したとしても 、必ず解決策があるという意味です 。問題はいつか解決する 、そこには

    解決があるだけだ 、と 。だから 、解決に向かって歩けばいいんだ 、と 。ならば 、やるべきことは決ま

    っています 。解決の可能性がありそうな道を一つひとつ当たっていくだけです。



     ( 出典:山極寿一著 「 京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ 」. 朝日新聞出版 刊 )
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お婆よく歩く Long Good-bye 2021・09・06

2021-09-06 05:06:07 | Weblog


   今日の「 お気に入り 」は、「 放哉俳句 」をいくつか 。


    「 なぎさふりかへる我が足跡も無く 」

    「 たつた一人になり切つて夕空 」

    「 雨の幾日がつづき雀と見てゐる 」

    「 墓石洗ひあげて扇子つかつてゐる 」

    「 何か求むる心海へ放つ 」

    「 考へ事して橋渡りきる 」

    「 こんなよい月を一人で見て寝る 」

    「 淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る 」

    「 わが顔ぶらさげてあやまりにゆく 」

    「 にくい顔思ひ出し石ころをける 」

    「 なんにもない机の引き出しをあけて見る 」

    「 犬よちぎれる程尾をふつてくれる 」

    「 人を待つ小さな座敷で海が見える 」

    「 いつしかついて来た犬と浜辺に居る 」

    「 思ひがけもないとこに出た道の秋草 」

    「 たまらなく笑ひこける声若い声よ 」

    「 帯のうしろに団扇をさしてお婆よく歩く 」


  ( 出典:「 尾崎放哉句集 」池内 紀編 ( 岩波文庫 ) ㈱岩波書店 刊 )

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他人の時間を生きる Long Good-bye 2021・09・05

2021-09-05 05:06:07 | Weblog


  今日の「 お気に入り 」は 、昨日の続きで 、「『 他人の時間 』を生きてみては どうですか 」という

  京大総長 山際寿一さん のお勧めです 。

   「 今 、対話力や対人力を磨けなくなっている人が増えているとしたら 、みんながそれぞれ

    個人の時間を生きていて 、個々の時間を擦り合わせることが難しくなっていることも 、

    原因の一つかもしれません 。それなら 、自分というものをいったんゼロにしてみて 、他

    人の時間を楽しもうとすると 、案外思い切れるのではないでしょうか 。自分の時間だと

    思っていた時間を身近な誰かの時間だと思うだけでも 、意識が変わってくるでしょう ?

    『 あ 、今 、わたしはあの人の時間を生きてるんだな 』と思うと 、ちょっとワクワクし

    ませんか ?


     親は比較的子どもに対してそういう気持ちになれるのです 。子どもと一緒に遊園地や

    動物園で遊ぶうちに自分まで子どもに返ったようになることがあります 。『 あ~ 、今

    日は楽しかったな 』と思うとき 、振り返ってみると子どもが楽しそうにしていたとき

    なんですね 。もちろん大人同士でもそうだと思います 。他人の時間を生きられるとい

    うことは 、自分というものから抜け出して楽しめるということなのです
。 」


    ( 出典:山極寿一著 「 京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ 」. 朝日新聞出版 刊 )
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自分の時間 ・ 他人の時間 Long Good-bye 2021・09・04

2021-09-04 05:06:07 | Weblog


  今日の「 お気に入り 」 。

   「 私たちは 夫婦や恋人同士で一緒に食事をしたり 、映画や旅行に行くことがありますが 、

    一緒に何かを食べた 、何かを観(み)たということよりも 、一緒にいることそのものに意味

    があると私はとらえています 。つまり 、互いの時間を合わせたということに意味がある

    のです 。『 私はあなたのために自分の時間を捧げました 。これからも捧げようと思って

    います 』という意思表示は 、実は愛の誓いなんですね 。

     時間の価値に関しては親子間のことを思い浮かべると 、分かりやすいかもしれません 。

    親子が親子でいられるのは 、親が子に対して与える時間が長いからです 。

     小さいころに異性の親に親しく世話をしてもらった場合 、思春期になると娘は父親を 、

    息子は母親を嫌いになり葛藤が生じる 。その結果 、娘も息子も家庭の外に自分のパート

    ナーを見つけるようになります 。これをウェスタ―マーク・エフェクトと呼んでいます 。

    小さいころに親しく付き合っていなければ 、性的衝動を覚えてしまう可能性がある 。子

    供のころに親しい関係にあるからこそ 、親子や兄弟姉妹は性的な関係を前提にせずに 、

    子どもが成長してからも親しく付き合うことができるのです 。つまり、付き合った時間

    の長さや密度によって 、子どもと親は親子になれるというわけです 。」

    ( 中 略 )

    「 今は 、プライベートな時間やプライベートな空間が非常に重視されて 、『 私は今〇

    〇をしに来ているのだから 、あなたとは付き合えません 』ということが前提になってい

    ます 。それが 、たとえぶらぶらしている時間であってもです 。そばにいるときでさえ

    お互いに時間を分け合うことなく 、私は私の時間を生きていて 、あなたはあなたの時間

    を生きている 。そこには大きな壁がある 。

     みんながすごく忙しくなっているんですね 。逆説的に聞こえるかもしれませんが 、み

    んながそれぞれ自分の時間を生き始めたために忙しくなってしまった 。『 みんなの時間 』

    を生きていない 。あるいは 、『 他人の時間 』を生きようと思っていないのです 。」

     ( つづく )


    ( 出典:山極寿一著 「 京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ 」. 朝日新聞出版 刊 )
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一日物云はず Long Good-bye 2021・09・03

2021-09-03 11:22:00 | Weblog


  今日の「 お気に入り 」は、昨日に続いて、「 放哉俳句 」をいくつか 。


    「 蜜柑山の路のどこ迄も海とはなれず 」

    「 堤の上ふと顔出せし犬ありけり 」

    「 落つる日の方へ空ひとはけにはかれたり 」

    「 道細々と山の深きへ続く 」

    「 犬が覗いて行く垣根にて何事もない昼 」

    「 つくづく淋しい我が影よ動かして見る 」

    「 牛の眼なつかしく堤の夕の行きずり 」

    「 流るる風に押され行き海に出る 」

    「 一日物云はず蝶の影さす 」

    「 茄子もいできてぎしぎし洗ふ 」


   出典:「 尾崎放哉句集 」池内 紀編 ( 岩波文庫 ) ㈱岩波書店 刊 。






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女よ女よ年とるな Long Good-bye 2021・09・02

2021-09-02 05:06:07 | Weblog


    今日の「お気に入り」は、「 尾崎放哉句集 」( 池内 紀編、岩波文庫 ) の 巻末にある 編者 池内 紀 ( いけ

   うち おさむ、1940 - 2019 ) さんの 「 解説 」です 。

    「 尾崎放哉は不思議な俳人である 。自由律俳句の秀作をのこした 。吐息のような一行だが 、いちど知

     ると忘れられない 。なにげなく目にとめたのが 、いつまでも記憶にしみついている 。たあいない句と

     思うのに 、奇妙に印象深いのだ 。まさしく『 放哉俳句 』というしかない 。

      そのおおかたが晩年の三年間にできた。厳密にいうと 、もっと短い期間だろう 。死とつばぜり合い

     をするようにして俳句が生まれた 。おのずと放哉作には死と生とが紅白二本の糸のようによじ合わさ

     れている 。

      さらにこの俳人に特異なところだが、その句は作者ひとりのものではなかった 。作り手の背後に直

     し手がいた 。わが国の短詩型の世界の作法であって 、師が弟子の作を添削する 。ムダを省いて 、不

     足をつけ加える 。それをしてもかまわない 。添削を受けたからといってオリジナルの価値は減じない 。

     その約束を前提にしている 。

        口あけぬ蜆(しじみ)死んでゐる

      放哉秀句の一つである 。もとの句はこうだった。

        口あけぬ蜆淋しや

      師にあたる人が『 淋しや 』を『 死んでゐる 』と添削した 。とたんに淡い叙情句が厳しい死の造型

     になった 。この種の例は無数にある 。

      とすると放哉俳句は師との共作というべきなのか ? むろん 、そんなことはない 。俳句世界の約束

     からもオリジナル性は変わらない 。作者の価値は減じない 。作り手の背後に直し手のいたこと自体 、

     とりたてて尾崎放哉に特異なところではない 。

      ただこの俳人の場合 、添削の意味がふつうとはちがっていた 。はじめは作り手 、直し手とも気が

     ついていなかったかもしれない 。ごく通常の約束ごととしてすすめられた 。それがあるころから 、

     めだって一つの方向性をおびてきた 。そのもとに作られ 、そのもとに直された 。そのうち直すまで

     もなくなった 。放哉秀句は 、このようにして誕生した 。



        ( 筆者註 : 文中にある『 作り手 』は尾崎放哉 ( おざきほうさい 、
                   明治18年 - 大正15年、1885 - 1926 ) さん 、
              『 直し手 』は 荻原井泉水さん ( おぎわらせいせんすい 、
                   明治17年 - 昭和51年、1884 - 1976 ) さん 。)



      ( 中 略 )

    「 わが国の年号ではわからないが 、西暦にてらすと浮かび出る 。放哉の死んだのが一九二六年 、

     井泉水の死は半世紀のちの一九七六年 、それから二十年後の一九九六年に眠っていた句稿が世に現わ

     れた 。文業はときにたのしいイタズラをするものである 。
」    

       ( 出典:「 尾崎放哉句集 」池内 紀編 ( 岩波文庫 ) ㈱岩波書店 刊 )

      「 解説 」の引用はここまで 。

      ここからは 、放哉さんの自由律俳句をいくつか 、『 放哉さんの 原句 』と『 井泉水さんによる 手直し後 』

     を併記します 。

            『 原 句 』                   『 手直し後 』

      「 汽車通るま下た草ひく顔をあげず 」        「 背を汽車通る草ひく顔をあげず 」

      「 たった一人分の米白々と洗ひあげたる 」      「 一人分の米白々と洗ひあげたる 」

      「 時計が動いて居る 寺の荒れてゐること」      「 時計が動いて居る 寺の荒れてゐる 」

      「 いつも泣いて居る女の絵が気になる壁の新聞 」   「 壁の新聞の女はいつも泣いて居る 」

      「 お粥をすゝる音のふたをする 」          「 お粥煮えてくる音の鍋ふた 」

      「 一つ二つ蛍見てたずね来りし 」          「 一つ二つ蛍見てたづぬる家 」


     「 添削後 」は確かにいいが、「 原句 」にも味わいがあるような 。


                今日の「お気に入り」、放哉俳句を もう一つ 。

                    「 女よ女よ年とるな 」



       



      
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放哉俳句 Long Good-bye 2021・09・01

2021-09-01 05:06:07 | Weblog


   今日の「お気に入り」は 、俳人 尾崎放哉(おざきほうさい、本名 秀雄、鳥取県 生まれ、1885 - 1926 )さんの

  若ーい頃の定型俳句、いくつか 。

   後年「 放哉俳句 」として知られる 独特の「自由律俳句」が生まれる前のもの 。

   出典:「 尾崎放哉句集 」池内 紀編 ( 岩波文庫 ) ㈱岩波書店 刊 。


   明治33年ないしは34年の作といいますから 、十五、六歳ころの定型俳句 、四つ 。

   「 よき人の 机によりて 昼ねかな 」

   「 刀師の 刃ためすや 朝寒み 」

   「 虫送り 鎮守の太鼓 叩きけり 」

   「 病いへず うつうつとして 春くるゝ 」

   明治39年ないしは40年の作といいますから 、二十一、二歳ころの句 、六つ 。

   「 煮凝りや 彷彿として 物の味 」

   「 つめたさに 金魚痩せたる 清水哉 」

   「 舟中に 雷を怖れぬ 女かな 」

   「 寝て聞けば 遠き昔を 鳴く蚊かな 」

   「 轡虫 籠ふるはして 鳴きにけり 」

   「 鶏頭や 紺屋の庭に 紅久し 」

   明治44年の作といいますから 、二十六歳ころの俳句? 、一つ 。

   「 芋掘るは愚也金掘るは尚愚也 」



          
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