今日の「 お気に入り 」は 、昨日のつづき で す 。
学生時代の 網野善彦 ( 1928 - 2004 ) さんが、「 日本共産党 の活動家 」で 「 山村工作隊 の指揮や階級闘争による
国民的歴史学運動に携わ 」り 、「 民主主義学生同盟副委員長兼組織部長 」となったが 、のち運動から脱落 、後年 、
高校教師・大学教授・歴史学者 に転身された 、という 「 ウィキペディア 」の掲載記事を読んで思い出したのが 、
同じ 「 ウィキペディア 」掲載の 、元東京都知事で作家の 猪瀬直樹 ( 1946 - ) さんの 経歴記事 。
猪瀬さんについての掲載記事を 、以下に部分引用いたします 。猪瀬さんは 、元「 信州大学全共闘議長 」で「 新左翼学生
運動の指導者として通称『 白ヘル 』( 中核派 )に属し 」ていたそうです 。
ついでながら 、学生時代の 網野善彦さん が所属していた某政党傘下の 「 民青 」は 、1960年代の学園紛争の頃、「 青ヘル 」
でしたっけ 。今どきの若い人はご存じないでしょうが 、猪瀬 さん が所属していた「 中核派 」って 、後に言う 所謂
「 過激派 ? 」。
昔の 「 意識高い系 」は、政治活動に向かう人が多かったようで 、若気の至り 、でも 真 摯 。・・・・・・ 今 は 昔 。
「 猪瀬 直樹(いのせ なおき、1946年(昭和21年)11月20日 - )は、日本の作家、元政治家(第18代東京都知事)。
血液型はAB型 。妻は女優 、画家、映像作家の蜷川有紀 。
長野県出身 。『 ミカドの肖像 』で 大宅壮一ノンフィクション賞受賞 。道路公団民営化推進委委員 、
地方分権改革推進委員会委員 、日本文明研究所所長 、大阪市特別顧問 、大阪府特別顧問 。
東京都知事( 第18代 、1期 )、東京工業大学世界文明センター特任教授 、
東京大学大学院人文社会系研究科客員教授 、国際日本文化研究センター客員教授を歴任 。
経歴、人物について
長野県下水内郡飯山町( 現 、飯山市 )生まれ 。2歳半から長野市に移る 。
父が飯山出身で母は松本の出身 、両親共に小学校教師 。諏訪市の諏訪市立高島小学校で知り合って結婚し 、
飯山に異動になってそこで生まれる 。育ったのは長野市 。往生寺のすぐ下に住んでいた 。
1950年5月、3歳半のとき父親が狭心症で急死した。
信州大学教育学部附属長野小学校 、信州大学教育学部附属長野中学校 、長野県長野高等学校を経て
( ジャーナリストで産経新聞客員編集委員だった花岡信昭とは幼稚園から高校まで同級生 。)信州大学
人文学部経済学科卒業 。在学中は社会主義運動理論家の清水慎三ゼミに所属し 、新左翼学生運動の
指導者として通称「白ヘル」(中核派)に属した 。1967年の羽田事件を皮切りに新左翼学生運動が
高揚しており 、1969年に信州大学全共闘議長を務めている 。大学構内のバリケード封鎖を行ったり 、
学生運動の主力部隊を率いて上京し 、反米・反イスラエルの 10.21 国際反戦デー闘争 や 佐藤首相訪米
阻止闘争 に参加したりした 。猪瀬は 、自身も参加したこの1969年の佐藤訪米阻止闘争でもって 、
60年代後半の学生運動は終わったと述べている。その後の運動は、いわゆる全共闘運動ではないと
主張している 。
大学卒業後 、上京し結婚 。出版社勤務などを経て 、1972年 、明治大学大学院政治経済学研究科政治学
専攻博士前期課程にて政治学者の橋川文三に師事し 、日本政治思想史を研究 。ナショナリズム研究の
橋川文三に教えを請うたのは 、学生運動を離れた後 、『 日常性の連続がふつうの生活 』『 そうした
日常性から日本の近代やナショナリズムをもう一度とらえ直さないといけないと思った 』からだという 。
その後 、アルバイトを経て 、作家活動に転じる 。1987年 、西武グループと堤義明について皇族との
関係を絡めながら著した『 ミカドの肖像 』により 、第18回大宅壮一ノンフィクション賞、ジャポニ
スム学会特別賞受賞 。1996年 、『 日本国の研究 』により 、文藝春秋読者賞を受賞 。
2001年 、小泉内閣の行革断行評議会(行政改革担当大臣の諮問機関)に名を連ねる 。2002年 、道路関係
四公団民営化推進委員会委員に就任 。
2007年 、地方分権改革推進委員会委員に就任 。2001年から2009年まで東京大学大学院人文社会系研究科
客員教授 、2001年から2003年まで国際日本文化研究センター客員教授 、2006年から東京工業大学世界
文明センター特任教授 。
2012年3月26日 、マラソン初挑戦にして東京マラソンを完走 。走破タイムは6時間40分 。
2007年から 、石原慎太郎知事の下で東京都副知事を務めていたが 、石原知事の退任に伴い後継指名を
受け 、2012年(平成24年)12月16日の東京都知事選挙に立候補の届出 。そして選挙で433万8936票を
獲得し 、日本の選挙史上では個人としては最多得票記録で当選した 。青島幸男 、石原慎太郎に続き 、
東京都知事は3人連続で作家出身となった 。また 、初の戦後生まれの都知事となった 。猪瀬は石原
前知事の五輪招致方針を引き継ぎ 、2020年オリンピックの東京招致を成功させた 。
その後徳洲会グループからの不透明な借入金問題を追及されて任期1年余りで辞任した( #徳洲会
グループからの資金提供問題 )。なお五輪招致活動中の2013年7月に 、妻・ゆり子が病気のため
逝去 。享年65歳 。
都知事の職を辞してから約10ヶ月 、メールマガジンの発行だけを続けた 。2014年10月末に新刊発行を
もって執筆活動を再開したが 、政治活動は行わないことを表明している 。なお徳洲会資金問題では
メディアが収賄と報道したが 、司法には選挙資金収支方報告書帳簿記載漏れと判断され 、
公職選挙法違反として罰金刑が確定し5年間の公民権停止となった 。
2016年10月には蜷川有紀との交際が明らかとなり 、2018年4月には婚約を発表 、12月下旬に結婚( 再婚 ) 。」
記事の引用はここまで 。
昭和3年生まれの網野さんは2004年に亡くなりましたが 、敗戦直後の昭和21年生まれで 、団塊世代の猪瀬さん は
まだまだお元気なよう 。
英国生まれの作家 P. G. ウッドハウス ( Pelham Grenville Wodehouse ) の小説「 それゆけ 、ジーヴス 」の
主人公 バーティーに、同じく作中人物で、バーティーの執事である ジーヴス が語って聞かせる言葉にこんなの
があります 。
「 ・・・尊敬すべき老紳士というものは 、青年時代にきわめてやんちゃでいらしたと喧伝(けんでん)される
ことを決して嫌われるものではないということをおわかりいただけようと存じます ・・・ 」
( 翻訳家 森村たまき さん による邦訳 )
やんちゃ話しは 、彼らにとって 、勲章みたいなもんでしょうか ? はったり ?
それとも 自慢 ?
お若い頃やんちゃだった 、口達者、手達者な 、網野 さん や 猪瀬 さん や どこか
の 慎太郎さん のような人たちと対峙して 、並みの人たちが 、議論に勝てよう道理がありません 。
皆さん 、論破王 。
とても 太刀打ちできるもんじゃありません (;´д`) 。