今日の「 お気に入り 」は 、山田太一さんのエッセイ「 夕暮れの
時間に 」から 、「 いきいき生きたい 」の一節 。
備忘のため 、抜き書き 。
引用はじめ 。
「 ・・・ たしかに人の一生なんて 、天から見下ろせば 小さくて
束の間だし 、いつ なにがあって すべてを失うかもしれず 、死ぬ
かもしれず 、見栄をはって豊かさを競うのも 権力に身を寄せる
のも 、はじかれて苦しむのも 、むなしいといえば むなしい 。
人が生きて行くために必要なものは 、結局『 方丈 』 ―― つ
まり畳五枚ぐらいの住いで 、おさまってしまうのではないか 、
といわれると 、ああムダなものを抱えているなあ 、捨てなきゃ
と思いながら 、いろいろ処分できないでいる私などは 、反省ば
かりという気持になる 。 」
「 たしかに死んでしまえば万事が終りなのだから 、むなしいと
いえば すべてがむなしい 。なにかに執着するのは愚か といわれ
れば その通り愚かである 。しかし 、どこに住んでも文句をい
われない 土地 のある平安時代に 、お坊さんで 、家族もなく 、
人ともつき合わず 、稼がなくても自給自足できる 、老境の近
い人のいうことは 割り引いて聞いた方がいいと思う 。お坊さん
への教訓としてはよく分るが 、俗人には無理があると思う 。死
ぬことを考えたら 、たしかにむなしいことばかりだが 、すぐ死
ぬわけではない人間は 、そんな啓示で身をつつしんでいたら 、
生きているうちから 死んだようになってしまう 。
大災害は 、ぎりぎり一番大切なものを教えてくれる 。生きて
いるだけでありがたいとか 、絆が大事だとか 、たしかにそれ
は真実だが 、究極の真理だけで 、私たちは 日々を いきいき生き
ていけないのだと思う 。哀しいといえば哀しいが 、それが生き
ているということなのだと思う 。
( 多摩川新聞 2012年1月1日 ) 」
引用おわり 。
東北の大震災の翌年の元旦日付の新聞に掲載された文章 。
文中に出てくる お坊さん は 、方丈記 の 鴨長明 のこと 。
( ´_ゝ`)
歌手の谷村新司さんが亡くなった 。一度だけお会いしたことがある 。
20年ほど前 、朝の銀行のATMの前で 出会いがしら 、軽く頭を
下げて目礼して 怪訝な顔をされた 。一面識もない相手から 、いきなり
挨拶されたのだから当然である 。ホテル泊まりの 、寝起きの 、不機嫌
そうなお顔だった 。一方 、筆者は 、その日一日 小さな喜びで 、いきいき
幸せだった 。
谷村さんは 、筆者と同じ 昭和23年 ( 1948 年 ) のお生まれで 、関西人 。
合掌 。