「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

今も昔も Long Good-bye 2023・10・09

2023-10-09 05:44:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から

 「 高鴨の地 」の一節 。

 備忘の為 、 抜き書き 。

 引用はじめ 。

 「 わが葛城 ( かつらぎ ) 一言主神 ( ひとことぬしのかみ ) の後裔は 、

  典型的な大和顔である 。長い丸いという分類法でいえば丸顔に属する

  が 、こまかくいえば五角形で 、あごがよく発達し 、えらが出 、ぜん

  たいに ぶ が厚く 、頭髪が強 ( こわ ) い 。

  ( 典型的な大和の顔だ )

   と 、失礼ながら 、一言主神社の神職の伊藤大人 ( うし ) とむかいあい

  ながら 、感嘆するおもいでいた 。死んだ母方の叔父とそっくりで 、ど

  うぞどうぞと茶をすすめられる目尻のこじわのあたりまで似ておられて 、

  懐かしくもあり かなしくもあった 。

  『 このお宮の台地は 、葛城の高丘とか 、高鴨の高丘とか高尾張とかいわれ

  ておりますですね 』

  と 、障子越しに低く見おろす大和盆地を見ながら私はきいた 。

  『 はい 、そのように 』

  いわれております 、という言葉のかわりに 、大人は煎茶の茶碗をすっと私の

  ひざに押してすすめた 。

   『 やはり 、ここが一言主の氏族というか葛城のひとびとの宮殿だったので

  しょうか 』  」

  ( ´_ゝ`)

 「 このあたりは 、高鴨 、高尾張 、高丘などといったふうに 、地形が高い 。

  古代のある時代 、この高燥の地から盆地の天孫族の繁栄をながめて 、

  ―― あの連中にはかなわない 。

   とおもった葛城びともいたであろう 。天孫族はどぶどぶした低湿の泥田

  に入って水稲を植え 、そのあと水はけまでできる技術をもっていて 、ど

  んどん耕地をふやし 、耕地のふえるごとに人口もふえ 、ムラもたくさん

  でき 、人数からいっても葛城のひとびとを圧倒した 。軍事力において

  かけはなれてしまった葛城のひとびとにとって 、誇るべきものは神々だ

  けしかなかった 。かくて葛城びとや鴨族のひとびとは神族たる面をいよ

  いよ誇示せざるをえなかったのであろう 。 」

  ( ´_ゝ`)

 「 ・・・ ここ十年 、あたらしい道路ができると建売り住宅ができ 、結局

  は大和の風景をこわしてしまったように 、最後の大和といっていいあた

  りも飛鳥の惨状に墜ちてゆくことはあきらかである 。すでに建売り屋が

  農家に手を打っているという 。

   私は古くさい左翼理論にはうんざりしているほうだが 、日本の政治と

  いうのは 、結局は無数の利益団体の欲望を調整するだけの機能にすぎ

  ないようである 。逆にいえば 、それだからこそ日本史上最初の活動力

  に富んだ経済社会ができたともいえるが 、しかしその裏目が出てきて 、

  たとえば 大和が大和でなくなってしまった 。日本の建設会社というもの

  は一年も遊んでいれば つぶれてしまうのにちがいなく 、だから絶えず

  道路やダムを生産しつづけねばならない 。建設会社をつぶさないため

  には調整権力としては たえまなく新道路の建設を企画せねばならない

  のであろう

  『 だいぶ考えたのですが 、結局はお国のためだとおもい 、ハンを

   つきました 』

   と 、葛城王朝の末裔ともいえる伊藤さんはいわれた 。古代葛城氏は

  一言主命が雄略天皇に あれほどさからったことでもわかるように いわ

  ば反骨の神さまなのだが 、結局は 大和盆地の新勢力に屈し 、その勢力

  下に入って 、葛城国造 ( かつらぎのくにのみやつこ ) という小さな存在

  になってしまい 、その祖神はいまは村の鎮守になりはてている 。いま

  もう一度 一言主命が奮い立って この道路計画をぶっこわしてくれれば

  大和の一角はかろうじて守れるのだが 、そうはいかないであろう 。

   建設省が 役小角 ( えんの おづぬ ) のごとき魔力をもっているのである 。

   小角が 葛城から吉野まで岩橋をかけようとして一言主命をこきつかい 、

  一言主命がいうことをきかないとなると 葛城の谷底に蹴おとして 石牢

  に封じこめてしまったように 結局は 土着神というのは弱いようである 。

   ついで 、葛城のふもとを南へたどって高鴨神社へゆく 。 」

 引用おわり 。

 今も昔も変わらぬ人の世 。都市は増殖し続ける 。

 (* ̄- ̄)

 ( ついでながらの

  筆者註:「 役 小角( えんの おづぬ / えんの おづの / えんの おつの 、

       舒明天皇6年〈634年〉伝 - 大宝元年6月7日〈701年7月16日〉

       伝)は 、飛鳥時代の呪術者 。役行者( えんのぎょうじゃ )

       役優婆塞( えんのうばそく )などとも呼ばれている 。姓は 君 。

       いくつかの文献では実在の人物とされているが生没年不詳 。

       人物像は後世の伝説も大きく 、前鬼と後鬼を弟子にしたと

       いわれる 。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道

       の霊場でも役小角・役行者を開祖としていたり 、修行の地と

       したという伝承がある 。

       出 自

       役氏( えんうじ )、役君( えん の きみ )は三輪系氏族に

       属する 地祇系氏族 で 、葛城流賀茂氏から出た氏族 である

       ことから 、加茂役君 、賀茂役君( かも の えん の きみ )

       とも呼ばれている 。役民 を管掌した一族であったために 、

       『 役 』の字をもって氏としたという 。

       また 、この氏族は 大和国・河内国 に多く分布していたとされる

      以上ウィキ情報 。  ) 

 

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