「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

カツレツ ビフテキ Long Good-bye 2024・07・02

2024-07-02 06:19:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、内田百閒さん

 ( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公

 文庫 )の中から「 人垣 」とした小文

 一節 。家電の冷蔵庫などなかった 、われらの

 父祖が暮らした 、ほんの百年前の時代 の お話 。

  引用はじめ 。

 「 暫く牛肉のすき焼きをたべない 。鍋の手
  順を忘れた様である 。思ひ出すと食べたい 。
  しかし明け暮れすき焼の事を考へてゐるわ
  けではない 。鼻の先でいいにほひをさせら
  れては困るが 、辺りにその気配さへなけれ
  ば食はなくてもよろしい 。学生時分の事を
  思ひ出して見るに 、人人は近年程牛肉を食
  つてゐなかつた様である 。
   豚の肉が一般の台所へ入る様になつたのは
  もつと遅い 。漱石先生の学生時分には牛肉
  が一斤四銭か五銭とかであつたと云ふ話を
  聞いた様に思ふ 。そんな古い事は勿論知ら
  ないが 、私共が学校を出た当時 豚は極上の
  ロースが四十銭位であつた 。二三年前まで
  の馬肉の値段よりもまだ安かつた 。
   豚は牛肉よりきたならしい様に思はれた 。
  お膳のわきで経木や竹の皮の包みを開いて
  豚肉の生の肉を見るのは 余りいい気持でな
  かった 。学生達に取つては 豚鍋よりもカツ
  レツの方が先にお馴染になつた様である 。
  当時は ポークカツレツ と云つた 。別に英
  語を気取つたわけではなく 、場末の一品
  料理店の書出しにさう書いてあつた 。
  んカツと云ひ出したのは極く近年であつて
  甚だ下品な音(おん) である
   学生の時分には方方に一品料理の西洋料
  理屋があつてカツレツ 、ビフテキ 、オム
  レツ 、コロツケなど懐の小遣の都合に従
  つて簡単に食べる事が出来た 。ところが
  警保局の丸山保安課長と云つたと記憶する
  が 、その人の英断で以て浅草六区の私娼
  窟を取り潰した為に 、頸に白粉を塗った
  女が市中に散らかり 、それが方方の一品
  料理屋へ這入り込んで後の女給の先駆者
  の様な役目をし出した 。ナプキン紙でビ
  フテキのナイフを拭いたり 、カツレツを
  細かく切つてくれたり 、うるさい事にな
  つて 、学生が ただ下宿のお膳に不足して
  ゐる滋養分を摂取する為には手軽に立ち
  寄ると云ふわけに行かなくなつた
   牛肉のすき焼の方はもとの侭で 、行き
  にくいと云ふ事はない 。しかし 一寸腰
  掛けで一品料理を食べるのと違ってお金
  がかかる 。それはお代りお代りでいくら
  でも食べるから さう云ふ事になる 。安上
  りのつもりでクラス会を牛肉屋でやると 、
  きつと足が出て幹事が困るのであつた 。
   大正十二年の大地震の後は諸事軽便にな
  つてすき焼も腰掛けで食べられる様にな
  つた 。」

  引用おわり 。

  われわれが目にする 現代の風俗は 、大概 大正時代

 には 、その萌芽があつたようです 。ビフテキ なんて

 言葉 、すっかり 聞かなくなりましたね 。

  カツレツ は cutlet 、ビフテキ は beefsteak 。

  幼い頃 、牛肉は生焼けでもいいが 、豚肉は中まで焼き

 色がつかないと 、食べちゃ駄目と言われたものです 。

  百閒先生の随筆の中には 、牛カツ 、豚カツ について 、

 こんな文章もあります 。牛カツにせよ 豚カツにせよ 今

 日の隆盛をみるまで 高々 百年 、歴史は浅い 。

 「 カツレツと云ふのはビーフカツレツで 、
  当今の様なポークカツレツ 、豚(とん)
  カツではない 。大正初め頃の話で 、豚
  肉が一般の食用になつたのはその後の事
  である 。
   初めの頃 、御用聞きが来て註文を受け 、
  豚肉を誂へられると 、後で経木にくる
  んだ豚を届けて来る 。牛肉は従来通り
  竹の皮である 。白つぽい経木の包みを
  お勝手の板の間へ置くと 、ちょいと 、
  その辺へ 、少し離して置いて行つてく
  れと頼む 。そこいらの外の物に触れれ
  ば 、きたない様な気がした 。豚と云ふ
  物の不潔感 、けがれの聯想が 、どうせ
  すぐ後で口にするにしても 、何となく
  拭ひ切れなかつた様である 。
   そこへ行くと 、牛肉は清潔である 、
  などと云ふ理窟はない 。小学校の友達
  の近所の大工が普請の屋根から落ちて死
  んだ 。前の晩に牛肉を食つてゐたので 、
  そのけがれの為だと云ふ 。」

 

 

 

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