「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・12・20

2013-12-20 07:25:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「電話の普及が私たちの生活を根底からかえたと私は書いたことがある。昭和三十年まで電話は各戸になかった。したがって客は常に突然あらわれた。客好きの亭主は会社の帰りに同役や下役を誘ってあらわれた。女房は手早く肴(さかな)をつくり何はともあれ酒をあてがい、それから客をもてなす支度をした。主人も客も夜がふけるまで飲んで、客は泊って行くこともあった。
 向田邦子のドラマにはこんな家庭が描かれている。細君は客が来たら酒は出すもの、月に何度か泊り客はあるものと心得ていた。嫁に来た時からそうだから別段不服はなかった。
 各戸に電話があるようになってから、客は電話してからでなければ訪問することが許されなくなった。人恋しいときがあって電話すると来週の何曜ならどうかと言われて、会いたいのは今だと言いかねて沈黙するようになった。開闢(かいびゃく)以来の人間関係は失われたのに私たちは気がつかない。さりとて電話のなかった昔にはかえれない。
 自動車もまたそうである。旧幕のころの乗物はカゴだった。カゴはあと棒とさき棒の二人で一人をかつぐ乗物だから、明治になって車夫ひとりが客ひとりを挽く人力車があらわれたらひとたまりもない。
 その人力車は鉄道馬車が、馬車は自動車があらわれて滅びた。芝居の時代は長かったが、これも映画があらわれたら客足は絶えた。浅草の宮戸座本所の寿座中洲(なかす)の真砂座赤坂の演伎座以下東京には小芝居(こしばい)がたくさんあってそれが芝居の時代を支えていた。ほかに寄席が最も盛んな時には百以上あった。各区に映画館が二つも三つもあったことを思えば分るだろう。
 活動写真の時代になって、小芝居や寄席は映画館に転じた。したがってたいして失業者は出なかった。その映画の全盛時代はほぼ五十年で終った。テレビに駆逐された。私は自動車に好意をもってない。あんなものないほうがいいと思っている。電話もテレビもそうである。驚いてはいけない。そういう考え方もあるのである。
 朋(とも)有り遠方より来(きた)るというのが人間本来のコミュニケーションなのである。
『アポイントメント』などというのは日本語ではないのだとは私だけが思うのではない、発展途上にある国々ではそう思っている。
 日本人が自動車を売込むには道路からつくらなければならない、電気をひかなければならないとまず発電所をつくろうとして『なぜ』と問われる。夜あかるくして働くためと答えると、夜も働くのかと問われる。働くばかりではない遊ぶためでもあると答えると再びなぜと問われる。
 夜は暗いもので眠るときだと彼らは言って理解しないので、商社のエリートたちはさじを投げるそうだが、それは考え方の違いでアメリカ人とその亜流である日本人の考えが正しいとばかりは言えない。まして発展途上国の国民が野蛮だとは言えない。つい江戸時代まで私たちも夜は眠ったのである。東海道五十三次は歩いて旅したのである。そして江戸時代はすぐれて文化的な時代だったのである。それを認めない人も二百なん十年も戦争のなかった時代だったことは認めないわけにはいかない。それだけでもすぐれた時代だったのではないか。
 けれども私は人力車の時代にかえれ、テレビを去れと言っているのではない。それどころか出来たものは出来ない昔にもどれないのが原則だと言っているのである。私たちはなぜと怪しまないでこの方向を選んだのである。途中下車は出来ない。その極は言いたくはないが原水爆で、これこそ出来ない昔にかえれないものの随一で、ここまで言えば一笑に付すわけにはいかないだろう。テレビは映画を滅ぼした。自動車は人力車を駆逐した。邪悪なものを征伐するには更に進んだ邪悪なものに待つよりほかないのではないかと私は渋々思うのである。
                                       (『プレジデント』昭和60年5月号)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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